ゴーゴリ『外套』あらすじと感想~小官吏の悲哀に満ちた日々~ドストエフスキー『貧しき人びと』に直結
ゴーゴリ『外套』のあらすじと解説
ニコライ・ゴーゴリ(1809-1852)Wikipediaより
『外套』は1842年ゴーゴリによって発表された「ペテルブルクもの」のラストを飾る作品です。
私が読んだのは河出書房新社、横田端穂訳の『ゴーゴリ全集3 中編小説』所収の『外套』です。
早速あらすじを見ていきましょう。
これはしがない小官吏の物語である。その唯一の夢はすり切れた外套を新調することであった。さまざまな苦労の後やっと仕立ててもらったその日に、外套を追いはぎにとられてしまう。取り戻そうと奔走するが寒さと絶望のためにやがて死んでしまう。死後彼の幽霊が現われて人々の外套をはいで歩くという噂が流れる。この物語は、しがない「小さい」貧しい人間たちへのヒューマニスティックな同情のこもった作品として広く読まれ、下級官吏を主題にした数多くの小説がこれにならって書かれることになった。ドストエフスキイの出世作『貧しき人々』もこの系列に属する作品である。
岩波書店 川端香男里『ロシア文学史』P158
『外套』の主人公アカーキイ・アカーキエヴィチは貧しい下級官吏です。彼は擦り切れてしまった外套を新調するために驚くほどの節約ぶりを見せ、ついに外套を新調します。
しかしやっとのことで手にした外套もあっという間に追いはぎの手に渡り、警察に泣きついても逆に叱られて相手にもされません。絶望した彼はその後息を引き取ることになります。
外套を新調するくらいでなぜそこまで驚くべきほどの節約ぶりを見せたのか、そして外套を失ってなぜ死ぬほど絶望したのかと不思議に思われる方もおられるかもしれません。
ですが『外套』の前半にはこんな言葉が語られます。
四百ルーブリあるいは、だいたいそのくらいの年俸を受けている役人たちみんなにとって少々手ごわい敵がペテルブルグにはいる。その敵というのは、ほかでもない、わが北方の酷寒だ
河出書房新社、横田端穂訳の『ゴーゴリ全集3 中編小説』P202
ロシアの冬は言わずと知れた極寒です。外套がなければ死んでしまいます。
お金持ちなら室内でがんがんに暖房を焚き、外出するにしても立派な馬車で毛布にくるまりながら悠々と移動することができます。
しかし貧乏な役人は極寒のロシアを歩いて行かなければなりません。
ですので外套は冬の必需品なのです。
そして気になるお金の価値。
1ルーブリはおよそ今の日本円にして2000円ほどだそうです。
つまり下級役人の給料は年間80万円ほどということになります。
かなり節約したとしてもこれでは生きていくだけで精一杯だったと言われています。
そんな中アカーキイは外套を新調しなくてはならなくなったのです。
しかもその値段が驚きの80ルーブリ。実に年棒の5分の1に当たります。日本円にして16万円。
なぜこんなにも外套が高いのかといいますと、現代と違って衣服は全部手仕事でしかも材料費や工賃も今とは比べ物にならないほど高価だったからです。
年間80万円で過ごさなければならない人にとっての16万円というのがどれほど厳しいものなのかは想像できると思います。
だからこそアカーキイは驚くべき節約ぶりを発揮してなんとかこのお金を工面したのです。外套がなければ寒さで死んでしまうので彼も必死です。
こういう背景があるからこそ、せっかく手にした外套を奪われた彼が絶望し息を引き取ってしまうのです。(とはいえ、ここにゴーゴリ流の風刺があるのですが)
ドストエフスキーとのつながり
『外套』はドストエフスキーのデビュー作『貧しき人びと』に強い影響を与えました。川端氏の『ロシア文学史』では次のように述べられています。
この物語は、しがない「小さい」貧しい人間たちへのヒューマニスティックな同情のこもった作品として広く読まれ、下級官吏を主題にした数多くの小説がこれにならって書かれることになった。ドストエフスキイの出世作『貧しき人々』もこの系列に属する作品である。
しかしドストエフスキイは、ゴーゴリが『外套』の主人公に対し十分な共感を示していないことに気づき、はっきりとその点を『貧しき人々』の中で批判している。素材は涙をもよおさせる貧乏物語、不幸な話であるが、作品中の地口や軽妙な語り口に笑わない者はいない、というのが事実である。
岩波書店 川端香男里『ロシア文学史』P158
ゴーゴリとドストエフスキーのつながりを語る上でよく出てくるのがドストエフスキーが「われわれはみなゴーゴリの『外套』から出たのだ」と述べたというエピソードです。(※実は彼はそのようなことは述べていなかったともされていますが)
それだけドストエフスキーをはじめロシア人作家に巨大な影響を与えたのが『外套』という作品でした。
しかしドストエフスキーはこの『外套』に対して「ゴーゴリは本当にアカーキイに共感しているのか?茶化しているだけではないか?」と批判を加えます。
ドストエフスキーは『外套』を下敷きに彼独自の物語を書き始めます。それが彼のデビュー作『貧しき人びと』だったのです。
『評伝ドストエフスキー』の著者モチューリスキーは次のように述べています。
「貧しい人びと」の主人公マカール・ジェーヴシキンもやっぱり貧しい、あわれな小役人である。彼も生涯書類を浄書するしかない生活をして、同僚たちに嘲笑され、上司に虐待される。
彼の姿かたち、身なり、長ぐつまでが「外套」の主人公そっくりである。ドストエフスキーは、ゴーゴリの手法を強め、複雑にしながら残らず取りいれたが、時にこの弟子は師に反逆している。
自分の不幸な主人公にたいするゴーゴリの扱いかたを彼は憤慨している。小説「外套」は、この貧しい小役人をむごいほど嘲笑してはいないか。アカーキー・アカーキエヴィチは、生きている繰り人形ではなく、その最高の目的として暖かい外套だけを夢みているような愚鈍な人間でもないのではないか。ゴーゴリから学んだ技法を身につけたドストエフスキーは、それを内部から爆破している。
モチューリスキー『評伝ドストエフスキー』松下裕・松下恭子訳P34-35
※一部改行しました
ドストエフスキーは主人公のジェーヴシキンの口を借りて『外套』を批判します。
マカール・ジェーヴシキンはゴーゴリの「外套」を読んで、すべてをわがことのように受けとる。彼はこの作品の「風刺」に激しい侮辱を感じ、ワーレニカに苦情を言っている。
「いったいなんのためにこんなことを書くのでしよう。そしてこんなことがなんのために必要なのでしよう……。そうですよ、これは悪意にみちた本ですよ、ワーレニカ。これは実際ほんとうらしくない本ですよ。だってこんな役人なんかいるはずがないからです。いいえ、わたしは訴えますよ、ワーレニカ、正式に訴えてやりますよ」(七月八日)。
ジェーヴシキンは、アカーキー・アカーキエヴィチのあらゆる点に自分自身を認めている。すべての細部は写実的でありながら、それでも「実際ほんとうらしくない」のである。(中略)
ドストエフスキーはゴーゴリの精神にプーシキンの精神を対比させている。ジェーヴシキンは、プーシキンの「駅長」を読んで、ワーレニカに書いている。
「わたしはこれまでこんなすばらしい本を読んだことがありませんでした。読むと、まるで自分が書いたような気がします。たとえていえば、自分自身の心を取り出して、それがどんなものであろうと、それを取り出して、みんなの前でそれを裏がえしてみせ、何から何までくわしく書いた、そんなぐあいなのです!いいえ、これは作りごとじゃない!読んでごらんなさい。これは自然そのままですよ!これは生きています!」(七月一日)
モチューリスキー『評伝ドストエフスキー』松下裕・松下恭子訳P35-36
このようにゴーゴリの風刺に対してドストエフスキーは批判を加え、それに対しプーシキンの『駅長』に賛辞を送っています。
『駅長』は以前このブログでも紹介しました。
プーシキンの『駅長』は下級官吏である駅長に対する同情のまなざしに満ちています。虐げられた弱者たる人間の心をリアルに描いたのがこの作品だったのです。
ドストエフスキーはゴーゴリの『外套』をベースにしつつもプーシキンの『駅長』のような優しいまなざしをもって下級官吏の心を描いたのです。
モチューリスキーは続けてこう言います。
主人公たちはロマンチックな小説の中世の騎士たちではなく、つつましく目立たない人びとで、しがない小役人や駅長なのだ。悲劇は内部世界に移されている。「貧しい人びと」は、主人公の精神生活の物語、その愛と苦悩と破滅の物語である。ドストエフスキーは心理小説の技法をプーシキンに学んだのだ。
モチューリスキー『評伝ドストエフスキー』松下裕・松下恭子訳P36
ここにドストエフスキーの『貧しき人びと』の優れた点があったのです。
『貧しき人びと』を読むときに、『外套』や『駅長』を読んでいるかいないかでこの作品の見え方は全く異なってきます。
私自身、これらの作品を読んでから『貧しき人びと』を読み返したとき、その物語がまったく別なもののように感じて驚いたことを覚えています。
やはりある程度物語の背景を知っているかどうかというのは作品を理解する上で非常に重要なのだなと感じました。
『外套』はドストエフスキーを理解する上でも非常に重要な作品と言えます。
また当時のロシア社会を知る上でも興味深い作品です。ロシアの小役人たちの生態をゴーゴリはユーモアを交えて語っています。
こちらも読みやすい作品ですのでおすすめです。
以上、「ゴーゴリ『外套』あらすじと解説―ドストエフスキー『貧しき人びと』に直結」でした。
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