藤田一郎『脳がつくる3D世界 立体視のなぞとしくみ』あらすじと感想~フェルメールのリアルな絵画がいかに高度な技術なのか考えてみた
藤田一郎『脳がつくる3D世界 立体視のなぞとしくみ』フェルメールのリアルな絵画がいかに高度な技術なのか
今回ご紹介するのは2015年に科学同人より発行された藤田一郎著『脳がつくる3D世界 立体視のなぞとしくみ』です。
早速この本について見ていきましょう。
三次元世界を見せる脳のからくり
不思議さと深遠さがひそむ難問への挑戦私たちが住む世界は空間的に三次元なのだから、世界が立体的に見えるのは当たり前のように思える。
一方で、3D映画やステレオグラムといった、平面から飛び出す画像を見ると、新鮮な驚きを感じる。
ところが、いずれの場合も脳が受け取る情報には、奥行きをはっきり示すものがない。
脳は、受け取った情報から奥行きに関する情報を抽出し、立体的な世界を「心の中」につくり出しているのだ。
本書では、簡単な実験や図形を体験しながら、立体的に見るとはどういうことかを考える。
さらに、立体視を実現している脳のしくみに迫る最先端の研究まで紹介する。◆はじめにより
Amazon商品紹介ページより
実物を見ているときであれ、印刷された画像を見ているときであれ、
脳が網膜の一つひとつのニューロンからもらう情報には奥行きを明示的に知らせるものはない。
しかし、脳は網膜細胞の集団が伝える情報の中から奥行きに関する情報を抽出し、
立体的な世界を「心の中に」つくり出す。
脳にとってみれば、いつだって、網膜投影像という二次元(2D)情報に基づいて
立体的な知覚世界を構築しなくてはならない。
この本は認知脳科学者藤田一郎さんによる作品です。
私がこの本を手に取ったのはフェルメールがきっかけでした。
フェルメール(1632-1675)と言えばそのリアルな奥行き感、光の美しさで有名なオランダの画家ですが、彼はカメラ・オブスクラという光学機器を用いて光と人間の目の仕組みの研究をしていたことでも知られています。
フェルメールはカメラの先祖とも言うべきこのカメラ・オブスクラを用いて人間の目の見え方を探究し、それを絵画に反映させていました。
フェルメールの絵の不思議なリアル感、光の美しさはこうした「人間のものの見え方」の探究の賜物だったのです。
そしてこの『脳がつくる3D世界 立体視のなぞとしくみ』という本を読んでそうした「人間のものの見え方」ということについて改めて考えさせられることになりました。
そもそも私たちが日常で目の前の世界を見ている時、私たちは「世界のありのまま」を見ていると思ってしまいます。
ですがそもそも世界は立体物(3D)であり、それが私たちの網膜に映り、脳がそれを情報処理しているわけです。
つまり、私たちは3D世界を網膜という平面に映し、そこから脳で再び3Dに変換し直しているのです。
これを簡単な式にすると「世界(3D)→網膜(2D)→脳(3D)」ということになります。
私たちは世界をありのままで見ているのではなく、それぞれの脳で合成された世界を見ているのです。
これの何が恐るべきことかというと、神経や脳は人それぞれ同じものは存在しませんので、私たちは誰一人として同じものを見ているわけではないということなのです。
仮に目の前に一体の仏像があったとして、3人の人がそれを見ているとしましょう。私達は皆同じ仏像を見ていると考えてしまいますが、実際はそれぞれの脳での変換処理が異なるので全く同じものを見るということにはなっていないのです。しかも見る角度や距離が全く同じであることは絶対に不可能です。
私たちの「ものの見え方」はそれぞれの脳の処理の結果生まれてきている。
こうした考え方は科学が発達した今だからこそのものですが、そう考えると仏教が2000年近く前から「唯識」という形でそれを述べていたというのは驚きですよね。世界は私たちひとりひとりの感覚器官と内面の作用によって存在しているというのが「唯識」のものすごくざっくりとした意味になります。
以前紹介した「F・ステッドマン『フェルメールのカメラ 光と空間の謎を解く』写真機の先祖カメラ・オブスクラとは何かを知るのにおすすめ!」の記事の中でもお話ししましたが、フェルメールの研究者が「フェルメールの絵画が「見るための修行」の賜物だった」と述べているのは非常に意味深いつながりであるなと思います。
せっかくですのでその箇所も見ていきましょう。下の箇所で出てくるレーウェンフックとはフェルメールと同い年で同じ街に暮らしていた科学者で、世界で初めて顕微鏡で微生物を発見した人物として知られています。
フェルメールは、ただ闇雲にカメラ・オブスクラの画像をなぞって絵を描いていたわけではない。かと言って、カメラ・オブスクラが絵を描く道具として役立つものなのかどうか、あれこれ確かめようとしていたとか、あれこれ想像を巡らせる必要もない。
確かなことはただひとつ、フェルメールは自然哲学者のようにカメラ・オブスクラをつかって光の実験をして、光の特性を究明しようとした、ということだ。その真の目的は〝見せかけの現実〟、つまり今で言うところの〈仮想現実空間〉を創り出す技を習得することにあった。そしてそのVR空間を本物のように見せる手練手管を身につけようとしていたのだ。
フェルメールは実験を通じて視覚という概念を究明した。レオナルド・ダ・ヴィンチの教えを忠実に守るには、フェルメールはレーウェンフックと同じように、〝見るための修行〟を積まなければならなかった。フェルメールを頂点とする一七世紀ネーデルラントの画家たちは、光学機器の力を借りて見るための修行を積むようになった。そしてそのもの自体が絵画である視覚を、絵具という言葉に翻訳し、カンヴァスに表現する技を身につけるようになったのだ。
原書房、ローラ・J・スナイダー、黒木章人訳『フェルメールと天才科学者 17世紀オランダの「光と視覚」の革命』P219-220
※一部改行しました
「フェルメールはレーウェンフックと同じように、〝見るための修行〟を積まなければならなかった。」
これですね。まさにこの言葉です。
仏教もまさしく、ブッダの言葉を深く学び、それを体得することによって「世界を新たな眼で見ていこうとする歩み」であります。そのために仏道に生きる者は「修行」をするのです。
私たちは「世界を見ている」ように思えても、実はその姿を全然見れていないのです。いかに私たちが漠然と世界を見ているか。いかに自分の見たいように見ているか。これはなかなか自分では気づくことができません。
だからこそレーウェンフックやフェルメールのように道具を用いたり、仏道修行者のように日々鍛錬をすることで〝見るための修行〟を積むのです。
これは非常に興味深い指摘であるなとこの本を読んで思ったのでした。思わぬところで仏教との類似点を感じ、胸が熱くなる思いでした。
そして絵画というものに話を戻すと、絵画でリアルな空間を再現するということは次のようなことになります。
世界(3D)→網膜(2D)→脳(3D)→絵画(2D)
当たり前ですが絵画は平面(2D)です。
その2D空間に3D映像を表現するというのがいかに高度な技術なのかということです。
絵を描くというと、「ありのままに描けばいいじゃない」と簡単に考えてしまいがちですがこれがいかにとてつもない技術なのかということを思わされます。そもそも3D世界を網膜で2Dに映し取り、それを脳で3Dに再構成し、それをさらに2Dの平面に3Dの絵として描くのですから「ありのまま」どころの話ではありません。とてつもない情報処理がそこで行われているのでした。
当たり前といえば当たり前のことなのかもしれませんが、この本を読んで目の仕組みというものについて改めて考えさせられました。
この本では直接的にフェルメールの絵画のことが語られることはありませんが、これまで読んできたフェルメールの本と合わせて考えてみると非常に興味深い発見がある作品でした。
私たちは世界をどのように見ているのか。当たり前だと思っている世界が全く当たり前ではないことをこの本では知ることができます。これは刺激的な本です。ぜひおすすめしたい作品です。
以上、「藤田一郎『脳がつくる3D世界 立体視のなぞとしくみ』フェルメールのリアルな絵画がいかに高度な技術なのか考えてみた」でした。
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脳がつくる3D世界:立体視のなぞとしくみ (DOJIN選書)
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