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ヒエロニムス・ボス『快楽の園』を解説!ボスはなぜ奇妙な地獄絵や絵画を描いたのか スペイン編③

目次

ヒエロニムス・ボス『快楽の園』⑵~摩訶不思議な世界観と未知の世界 僧侶上田隆弘の世界一周記―スペイン編③

さて、前回の記事「ヒエロニムス・ボス『快楽の園』~人類と善悪の起源を考える スペイン編②」ではヒエロニムス・ボスの「快楽の園」と人類の善悪の起源についてお話しした。

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ヒエロニムス・ボス『快楽の園』~人類と善悪の起源を考える スペイン編② ボスの『快楽の園』はあまりに奇怪な構図と登場人物たちが見る者を混乱に突き落とします。この不思議な絵の言わんとしていることは何なのか。従来はキリスト教の道徳観を表しているというのが定説でしたが、新たな説も出てきています。この記事ではそんな『快楽の園』を通して人間の善悪とは何かを考えていきます。

ぼくの旅のきっかけともなった本『道徳性の起源 ボノボが教えてくれること』に大きく紹介されていた「快楽の園」。

今回の記事では霊長類学者フランス・ドゥ・ワールの独特な視点から離れて、この絵の基本的な解釈をもとに改めて「快楽の園」を紹介していきたいと思う。

まず、絵の左側がエデンの園、つまり人間が知恵の実を食べる前の無垢な時代。

中央の赤い衣をまとった人間は神、そして左右の男女はアダムとイブだ。

神に祝福されたアダムとイブのエデンの園がここには描かれている。

そして地上の楽園を表す一際大きな中央パネル。

ここでは自由奔放に人々が快楽を享受する様が描かれている。

キリスト教では貞操観念を重要視している。

当時のキリスト教社会では欲望の追及をあけすけに表現することは村八分になりかねないくらい周囲の悪評を呼ぶものであった。

しかしそうは言っても人間はそんなに聖人君子になれるものではない。

人はやはり罪を犯してしまう。

だからこそそれを戒める教えを教会は様々な手段で人々に伝えていたのだ。

その一つがこの「快楽の園」の役割だとされている。

これは日本の地獄絵とまったく同じ役割だ。地獄の恐ろしい様子を人々に説き聞かすことでこうなりたくなければ悪いことをしてはいけませんと教える。

絵で伝えるというのは五感でイメージさせるため、非常に効果的にメッセージを伝えることができるのだ。

では、中央パネルの細部を一つ紹介していこう。

中央の小さな池の中には何人もの女性が閉じ込められている。

彼女たちはそこから出たくても出ることができない。

そしてその周りをぐるぐると男たちが大挙して歩き続けている。

彼らの目的は池にいる女性たちだ。

しかし彼らは池へと近づけない。彼らはお目当ての女性を眺めながらぐるぐるとその周りを回り続けるしかないのだ。

女性たちも周囲の男たちを眺め、彼らとの逢瀬を求めている。

だが彼らが一緒になることは決してない。

一方は身動きが取れず、一方はそのまわりをぐるぐる回り続けることしかできないのだ。

さあ、これは一体何を象徴しているのだろうか。ぜひみなさんも想像してみてほしい。

決まった答えはない。長年学者が頭を悩ましていても未だに確たる答えが出て来ていないのが「快楽の園」なのだ。だから自由に想像し解釈する余地がある。

だから安心して自由に想像してみてほしい。それもこの絵の魅力のひとつなのだから。

絵の左下側にはさらに奇怪な人々が描かれている。

透明な球体の中にいるカップル、そしてその下の穴から男が顔を出し、ネズミと向かい合っている。

そしてまるで『犬神家の一族』かのような逆立ち状態で上半身を池に突っ込み股間の上に果実を乗っけている謎の男。

このあまりに奇怪な光景はどう解釈してよいのかまったくわからないほどだ。

さあ、いよいよ地獄絵を見ていこう。

この絵の上部には燃え盛る黒い建物が見える。だが、地獄らしい風景が見えるのはここまで。

ここから下はほとんど意味不明な地獄の住人たちと拷問が所狭しと描かれている。

この中で有名なのは中央にどんと構えこちらを見ている木男と呼ばれる男だ。

船を足場にした木男。胴体部分は割れた卵のよう。

その中には堕落して酒を飲んでいる人間。

ここは大酒飲みの罪を象徴しているそうなのだが、そんなに苦しんでいるように見えないのがまたなんとも面白い。

木男の頭の上で行進している悪魔もどこか楽しげだ。

地獄絵なのに悲壮感があまり感じられないというのもこの絵の不思議な所だ。

そして地獄の右下には一際目を引く鳥の頭をした水色の悪魔が椅子に座っている。

鳥は人間の頭をぱっくりとくわえ、人間のお尻からは黒い鳥のようなものが噴き出ている。

椅子の下は悪魔の排泄物だろうか、水色の液体と共に人間が排出されている。

その下には何かを吐かされている人間もいれば、コインを排泄している罪人もいる。

そしてよくよく見てみればこの鳥頭の悪魔はポットのようなものを靴にしているではないか。

もう何がなんだかさっぱりわからない。

地獄の苦しみを描くならもっとわかりやすい構図で描けばいいものをなぜかボスは摩訶不思議などこか祝祭的な様相を呈した世界を描き出した。

それはもはや喜劇的とすら言えるかもしれない。

国宝『六道絵』黒縄地獄幅(聖衆来迎寺蔵)

時代が異なるとはいえ日本の地獄絵とはずいぶんと様相が異なる。

ボスの描いた地獄は当時のヨーロッパ世界においてもあまりに独特なものだったようだ。

それにしても、ボスはなぜこんな摩訶不思議な絵を描くことができたのだろうか。

彼がこの絵を描いたのは1500年代初頭。おそらくこの時代では前代未聞だろう。

そして驚くべきことに1500年代初頭といえばルネッサンス最盛期。

レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロが活躍していたまさにその時代にボスはこの絵を描き上げたのだ。

世界史上最高峰の天才が現れた時代にくしくもボスは頭角を現し、見る人の度肝を抜く世界を表現した。

一体何がボスの筆に影響を与えたのだろうか。

これは長年学者たちを悩ませてきた問題だ。

だが、そのヒントとなる出来事がちょうどこの時代には存在する。

それが1492年、コロンブスによるアメリカ大陸の発見だ。

このアメリカ大陸の発見がヨーロッパキリスト教世界に与えた影響はぼくたち日本人が考えているよりもはるかに大きなものだった。

この発見はそれまでの人々の世界観を完全に破壊してしまったのだ。

それまでの世界では海を西に進んで行けば滝があってそこで世界は終わりだとキリスト教会は教えていた。

世界のあらゆることは神が創造し、そのため教会は世界の全てを知っているとされてきた。

人々にとっては世界とは「わかりきっていたもの」だったのだ。

教会が教えることが全てであり、確かな答えだったのだ。

だからこそ、人々は想像力を働かせてこれは一体何なのだ、なぜそうなるのかと考えることなどそれこそ想像もしたことがなかった。

なぜなら答えはすべて教会が与えてくれるからである。

だが、たまにそういうことを考えだす人間も現れる。

地動説を唱えたコペルニクスはその典型だが、彼のように想像力を働かせる人間はたいてい教会から異端扱いされ、社会から抹殺されるのがお決まりだったのだ。

しかし、1492年のアメリカ大陸発見はこれら伝統的なキリスト教会の考え方に決定的なダメージを与えた。

これまでの世界は「すべてわかりきっていたもの」だった。

しかしコロンブスによるアメリカの発見は「未知なるもの」の発見だった。

「かつて教会が教えていた世界とは異なる現実が世の中にある。」・・・実は14世紀に始まったルネッサンス期から教養ある人々はそれを薄々感じていた。

そしてこの事件で人々は確信する。

世界はわからないものであふれている」と。

このことがいかに強烈な思想の転換だったか、現代を生きるぼく達にはあまりぴんとこないかもしれない。

しかし、人間が想像力をフルに発揮するきっかけを作ったのがこのアメリカ大陸発見だったのだ。

見たことも聞いたこともないものがこの世界にはあふれている。

そしてそれを自由に想像する自由に、人々は初めて気づいたのだ。

もちろん教会による異端審問の恐怖は消え去ってはいない。

それでもなお、芸術家たちが大きな想像力を発揮するきっかけとなったのは間違いのないことだったのだ。

そう考えてみるとボスのこの奇怪な地獄絵も、実は身近なものと想像力との結びつきであることが少しずつ見えてくる。

この地獄絵には刃物や楽器が多く出てくることにみなさんはお気づきだっただろうか。

ボスの故郷のスヘルトーヘンボスは楽器と刃物の製造が盛んな街だったそうだ。

そしてボス自身も音楽が身近な生活を送っていたそうだ。

ボスは日々目にしていた刃物や楽器をモチーフに想像力を働かせ、誰も見たことのない地獄の世界を創り上げた。

地上の楽園の上部にそびえ立つ不思議な形をした建物も、ボスの想像力の産物だ。

いかに奇妙で摩訶不思議な構造をしていたとしても、建物のモチーフになったものや形というものが存在する。

ボスはそれらを組み合わせ、色を変え、変形させて「見たこともないもの」を創り出したのだ。

「見たこともない世界を創造する」

それは見たことのあるものを想像力で作り変えるという営みだ。

コロンブスの発見はその自由を人々にもたらしたのだった。

「わからないこと」を認めることが人間の想像力の原動力だ。

そして「わからないこと」を追求していく営みが科学の発展につながっていく。

そうして中世キリスト教会の「すべては神の下にわかりきっている」という世界観が決定的にダメージを受け、ここから近代ヨーロッパ世界が始まり、現代文明へとつながっていくのだ。

それほどまでにアメリカ大陸発見は大きな出来事だったのだ。

ボスの「快楽の園」はあまりに摩訶不思議な作品だ。

その奇怪な絵に込められた意味は現在でも議論の絶えない問題だ。

しかしその摩訶不思議な世界観がなぜ生まれたのか、そして一つ一つの登場人物が何を意味しているのかを想像しながらこの絵を鑑賞するのはとても楽しい経験になる。

ぼくはこの絵を2日連続で観に行き、1時間以上そこで眺め続けた。

あまりに情報量が多く、頭がパンクしそうになるが、この絵は不思議な魅力を持った作品だ。

プラド美術館には他にもボスの作品がいくつも展示されている。

他の作品も「快楽の園」に劣らず独特な作品だ。

ぜひ、プラド美術館に行かれた際はじっくりと鑑賞してみてはいかがだろうか。

続く

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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