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ウィーンからサラエボへ~ぼくがボスニアを選んだ理由 僧侶上田隆弘の世界一周記―ボスニア編①
4月26日。
ぼくはウィーンからボスニア・ヘルツェゴビナの首都、サラエボに向かう飛行機に乗っている。
サラエボに近づくにつれ、濃い緑色でびっしりと覆われた山岳地帯が広がってくる。
ボスニアは国土のほとんどが山や森林地帯に覆われている。
そしてその山々の合間にぽつんと小さな集落が現れ、そこからまた山々が続いていく。
ボスニア・ヘルツェゴビナ・・・
この国に対して、みなさんはどのようなイメージを抱くだろうか。
第一次世界大戦のきっかけ、サラエボ事件が起こった場所。
そして1990年代、ボスニア紛争が起こった場所。
最近ではサッカーのイビチャ・オシム監督やヴァヒド・ハリルホジッチ監督の出身国として話題に上った。
だが、この国がどのような国で、どこにある国なのかを知っている人はおそらくかなり少ないのではないかと思う。
かくいうぼくも、この旅を計画する前まではこの国のことを全くわかっていなかった。
悲惨な紛争があったことは知っていた。
けれども、そこに目が向いたことはほとんどなかった。
旅の計画を立てるにあたってこの国に関心を持ったのも、ボスニア紛争が宗教と民族の争いで、仲良く暮らしていた隣人が急に殺し合うようになったのだと教えられた記憶があったからだった。
なぜ人間はこうも簡単に人を憎むことができるのだろうか。
なぜ仲のよかった隣人を宗教を理由に殺すことが可能だったのか。
宗教は人を残酷な行動に駆り立てるものなのだろうか。
民族の対立は人間に宿命づけられた地獄の入り口なのだろうか。
このような疑問が生まれたからこそ、ぼくはボスニアを訪ねることに決め、それから色々な書籍を読むことになった。
そして様々な本を読んでいる内に、ぼくはあることに気づかされた。
「ボスニア紛争はそんなに単純なものではない」と。
仲のよかった隣人同士が急に宗教や民族を理由に殺し合ったというのは正確な答えではない。
そこには知れば知るほど理解不能な複雑性という深みが待ち構えていた。
民族や宗教のみがこの紛争の理由ではない。
あまりにも複雑に絡み合った歴史や文化、経済、民族、宗教、大国同士の思惑。
この紛争の背景を知ろうと思うと信じられないほどの登場人物や事情が現れてくる。
そう、これはイスラエルのことを学んだ時にも起こった現象だ。
あまりに複雑すぎる背景・・・
ある出来事の背景は簡単には知りえない。
そしてまさしくそのような悲惨な出来事がぼくが生まれた1990年からものの数年も経っていない時代に起こってしまった。
ぼくが何も知らずに平和に生きてきた世界で、戦後最悪の紛争と虐殺が起こっていた。
それも、21世紀を迎えようとしていたヨーロッパで。
改めて考えてみるとそれはぼくにとってはとても衝撃なことでもあったのだ。
だからこそぼくはボスニアに対して強い思い入れを持つことになった。
そして現に、ぼくは今サラエボへと向かっている。
サラエボの街も山で四方を囲まれている。
それは飛行機から見えた景色からもはっきりと見て取ることができた。
この地形がサラエボの悲劇につながるのだが、今はその話は置いておこう。
いよいよ着陸。
ここはもうボスニア・ヘルツェゴビナ。
ここで学ぶことはきっとそんなに生易しいことではない。
改めて気持ちを引き締め、サラエボへと足を踏み出したのであった。
続く
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