イギリスの文豪ディケンズとは~ディケンズなくしてドストエフスキーなし!
イギリスの文豪ディケンズとは
ディケンズといえば『クリスマス・キャロル』や『オリバー・ツイスト』などで有名なイギリスの文豪です。
ディケンズは1812年生まれでドストエフスキーの9歳年上に当たります。
ディケンズはもともと法律事務所の事務員から始まり、そこからジャーナリストを志し速記術を習得。法廷の速記者として経験を積んだ後、新聞記者に転職します。
そして新聞記者としての仕事の傍ら執筆した『ボズのスケッチ集』が大ヒット。そこから彼の作家人生がスタートします。
ディケンズの代表作
1836年 『ピクウィック・クラブ』
1837年 『オリヴァー・ツイスト』
1840年 『骨董屋』
1843年 『クリスマス・キャロル』
1849年 『デイヴィッド・コパフィールド』
1852年 『荒涼館』
1859年 『二都物語』
1860年 『大いなる遺産』
1864年 『我らの共通の友』
※上記は連載開始年です
他にもまだまだディケンズは作品を発表していますが、代表的なのは以上の作品です。『クリスマス・キャロル』などは日本でも知名度は高いのではないかと思われます。
ドストエフスキーもこれらディケンズの作品を愛読していました。
ディケンズとドストエフスキーの関係
前回の記事でスコットランドの作家ウォルター・スコットの『アイヴァンホー』を紹介しました。
ドストエフスキーは子どもたちの教育にはスコットが最適だと手紙に書いていましたが、実はその言葉には続きがあったのです。
小生はご令嬢にいまウォルター・スコットをお読ませになるよう勧告します。まして、スコットはいまロシヤで完全に忘れられているから、なおのこと必要です。後日、ご令嬢がすでに独立の生活を営まれるようになったら、ご自分でこの偉大な作家と親しもうなどということは、不可能でもあるし、そうした要求も感じられないでしょう。そういうわけですから、ご令嬢が両親の家におられるあいだに、スコットと親しませる時機をお捕えになるといいです。ウォルター・スコットは、高い教育的な価値を持っています。
河出書房新社 米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集18』 書簡下 P430
この直後です。
ディケンズは全部、いっさい例外なしにお読ませなさい。
河出書房新社 米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集18』 書簡下 P430
なんと、スコットを勧めた後、ディケンズを全部読みなさいと勧めるのです。
ドストエフスキーにとってスコットとディケンズは共に子どもたちにぜひ読ませたい作家という思いがあるようです。
ドストエフスキーの娘エーメ・ドストエフスカヤ(リュボーフィとも呼ばれる)の回想録『ドストエフスキイ傳』にも次のようなエピソードが書かれています。
エムスへ行くとか、あまり忙しくて私たちに朗読してくれられない時には、母に私たちのためにウォルター・スコットや『作家の日記』で「偉大なキリスト教徒」と呼んでいるディケンズの作品を読んでやるように依頼した。食事中、彼は私たちに私たちが受けた印象について訊ね、またそれらの小説の挿話を残らず思い出した。妻の姓や情婦の顔を忘れる私の父が少年時代の彼の想像力を打ったディケンズやウォルター・スコットの主人公たちのイギリス名を全部思い出し、彼らのことをまるで親友ででもあるかのように話すのだった。
アカギ書房 エーメ・ドストエフスキイ 高見裕之訳『ドストエフスキイ傳』P185
※旧字体は新字体へ直しました。
また、貸本屋に行って本を借りる時も、妻アンナ夫人にも同様にディケンズの作品を勧めています。それほどドストエフスキーにとって思い入れのある作家なのでしょう。
E・H・カーの『ドストエフスキー』にもディケンズとドストエフスキーのエピソードが挙げられています。ドストエフスキーは1849年のシベリア流刑の後、1854年からのセミパランチスク時代、
幽囚時代のドストエフスキーがいつも読んだのは、『ピックウィック・ぺイパーズ』と『デイヴィッド・カパーフィールド』だけだった。それに一八五七年の手紙にたまたま書かれたある一句は、ディケンズがこの時期の彼に親しまれていたことを証している。ドストエフスキーがシべリアから帰って書いた最初の長篇『虐げれた人々』の中のネリーは『骨董店』(ディケンズの小説、一八四一年)の頁からじかに借りたものだ、ということは批評家たちもつねに認めてきた。
筑摩書房 E・H・カー 松村達雄訳『ドストエフスキー』P79
ドストエフスキーは1849年のシベリア流刑の後、1854年からおよそ5年のセミパランチスク幽囚時代を送ります。その時に読み込んでいたのがディケンズであり、その影響が後の作品にも顕著に現れることになるのです。
また1868年に発表されたドストエフスキーの『白痴』はディケンズの『ピクウィック・クラブ』に強い影響を受けています。
ディケンズの特徴とは~ドストエフスキー・バルザックとの比較より
ディケンズの特徴を知るにはロシアの文豪ドストエフスキーとフランスの文豪バルザックと比べてみるのが1番です。
参考にするのはツヴァイクの『三人の巨匠』という本です。
以前にもこのブログで紹介した本ですが、改めてこの本を参考にしていきたいと思います。
バルザックに例を取れば、その主人公はことごとく貪婪で、支配欲の権化であり、名誉欲に焦げただれている。いかなるものも満足でない。もうたくさんということがない。一人一人が世界征服者であり、革命家であり、無政府主義者であり、同時に暴虐の君主である。いわばナポレオン時代の筋金入りなのだ。
ドストエフスキーの主人公にしてもやはり火のようであり、夢遊病にとりつかれたようである。彼らの意志は世界を一擲してかえりみない。すばらしい欲求不満をもって、真の生存を求めて現実の生活におそいかかる。彼らは自分が市民であったり人間であったりすることを喜ばない。例外なく、表面の敬神の割れめから、みずから救世主であろうとする危険な尊大がちらついている。
つまり、バルザックの主人公は世界を扼にかけようとし、ドストエフスキーの主人公は世界を超克しようと求めるわけだが、両者に共通しているのは、日常の上に弓を張って無限の界へ矢を放つことである。
ディケンズの人物たちはこれに反してはなはだ謙虚だ。では、彼らは何を欲するのか?年百ポンドの収入、気のきいた細君、一ダースの子供、友を迎えるにふさわしい食卓、ならびにロンドン郊外のコテージ。そこに窓外の緑が見え、小さな庭とひと握りの幸福が備わっていれば足る。彼らの理想は凡民のそれ、プチブルのそれにほかならない。それ以上をディケンズに求めてもむだであろう。作品の背後に立つ作者は、巨人的、超人的な怒れる神はなく、一人の満ち足りた観察者、実直な市民である。市民的なものがディケンズの全作品の基調をなす。
みすず書房 ツヴァイク 柴田翔、神品芳夫、小川超、渡辺健共訳『三人の巨匠』P68-69
※一部改行しました
ツヴァイクによれば、バルザックとドストエフスキーは世界を自分のものにしようとする欲望や、人生そのもの、実存を求める極端な人物を描こうとします。
それに対しディケンズはあまり欲しません。ささやかなや幸せで満ち足りるという実に謙虚な人間観が描かれるというのです。
こう言われてしまうと、ディケンズってなんだかつまらなさそうと思ってしまいますが、ツヴァイクは次のように続けます。
だから、実を言えば、ディケンズの大きな忘れ得ない功績は次のことだけである。すなわち、ブルジョアジーのロマン主義、散文的なものの詩を見出したことだ。彼は日常生活を文学の領域に取り入れた最初の詩人である。どんよりした日常の灰色の中に、太陽のかがやきを持ちこんだのである。イギリスの暗い濃霧の中で、強まる春の太陽はいかに燦然と金の矢を放射することか!一度でもそれを見た人には、芸術の上で、鉛のような薄閉の世界に同じ救済の数秒をもたした詩人が、どれほど国民に浄福を与えたかがわかるだろう。ディケンズは、イギリスの日常にかかる金の輪である。目だたない事物や単純な人びとの後光であり、イギリスの牧歌である。
みすず書房 ツヴァイク 柴田翔、神品芳夫、小川超、渡辺健共訳『三人の巨匠』P69
ディケンズは暗い日常の世界に太陽の光をもたらしました。彼の作品はどこか明るいのです。読む人に元気を与える作品なのです。
ツヴァイクは最後に彼の功績をこう述べています。
ディケンズは世界の喜びを増大した。このことを、彼におけるほど強調できる作家は、われわれの世紀にないであろう。何百万の目が彼の作品を読んで涙に光った。笑いを過ぎた、あるいは笑いを失った何千人の胸に、ディケンズは新しい笑いの花を植えた。
その影響ははるかに文学の域を越え出ている。富裕な人びとはチェルビー兄弟の物語に反省をうながされて、施設の基金を設定した。心固いものも心を動かされた。
『オリヴァー・ツウィスト』が世に出たとき、街頭の子供たちはそれまでより多くのほどこしを受けるようになった。政府は救貧院を改善し、私立学校の監督を強化した。イギリスの同情と善意がディケンズによって強められたのである。それによって苛酷な運命をやわらげられた貧民や不幸な人たちは、莫大な数にのぼるだろう。
このような異常な効果が芸術作品の美的評価に何のかかわりもないことは、私も承知している。しかし、その意味は重大である。なぜなら、それは、真に偉大な作品が、単に虚構の世界で創造の自由を満喫するばかりでなく、現実の世界にも変化をもたらすことを証するものにほかならないから。その変化は実体あるもの、可視的なものの変化であり、やがてまた感受性の目盛りの変化である。
みすず書房 ツヴァイク 柴田翔、神品芳夫、小川超、渡辺健共訳『三人の巨匠』P90
※一部改行しました
ディケンズの小説は社会に絶大な影響をもたらしました。
虐げられた子どもたちを救いたいという思いが、小説を通して人々に届いたのです。そしてそれが実際に社会を動かしたのです。
これはひとりの小説家として成し遂げた偉業であるように私は感じます。それだけ彼の創り出した物語が人々の心を打つものだったということだったのでしょう。
バルザックやドストエフスキーと比べると確かにディケンズは刺激は少ないかもしれません。
しかしディケンズはそもそも彼らとは違った世界、視点で物語の創造をしていたのです。
ツヴァイクの言うようにイギリス人の美徳や幸福をイギリス流に完璧に描いたのがディケンズという作家だったのです。
キリスト教作家ディケンズの優しいまなざし
先程も申しましたように、ディケンズの小説には虐げられた子どもがたくさん出てきます。『オリヴァ―・ツイスト』はその典型です。
彼の作品では、子どもたちは何ひとつ悪いことをしていないのに、世の中の悪い大人たち、いや社会そのものからこれでもかとひどい仕打ちを受けます。
しかしディケンズはそんな子どもたちを最後は救い出します。善良な子どもたちの清く正しい心を見た心優しい大人たちが手を差し伸べてくれるのです。
ディケンズは悪い大人たちがそのまま勝ち誇るままにはさせません。悲惨な状況にいる人びと、子どもたちにも救いがあることを示すのです。
このことについて島田桂子著『ディケンズ文学の闇と光―悪を照らし出す光に魅入られた人の物語』では次のように述べられています。
ディケンズの楽観主義は、この世を蝕んでいる悪を正面から見据え、それに対決し、乗り越える可能性を信じる楽観主義である。ディケンズは、貧しいものにも、富めるものにも、平等に神から与えられる恵み、とくに、想像力とユーモアの精神によって支えられる人間性を信頼していた。いや、人間性に対する信頼というより、人間を支える、悪と対極するところにある別の超自然的な力、言い換えれば、善の神に信頼していたと言うべきだろう。その信頼が彼にペンを握らせ、悪に挑戦する力を与えたのだ。
彩流社 島田桂子氏『ディケンズ文学の闇と光―悪を照らし出す光に魅入られた人の物語』P75
チェスタトンは「小説は共感の芸術」であり、「共感とは、あらゆる人びとと感情を同じくするというよりは、さらに一歩進んで、あらゆる人びととその苦悩を共にするということ」だと言った。ディケンズはヴィクトリア朝の暗黒世界で、泣くものとともに泣き、喜ぶものとともに喜んだ。ディケンズの文学は愛の文学である。なぜなら、ディケンズは「正真正銘で唯一の」ひとりひとりの人間、そして「正真正銘で唯一の」人間が生きるこの世界が、悪に支配されることを強烈に恐れ、悲しんだからである。
彩流社 島田桂子氏『ディケンズ文学の闇と光―悪を照らし出す光に魅入られた人の物語』P75ー76
ディケンズはキリスト教作家としても尊敬されていました。ドストエフスキーが彼のことを非常に大切にしていたのもここに根があります。
ドストエフスキーは彼をキリスト教作家として尊敬していました。
そしてディケンズの愛に満ちた作品を愛し、その優しい世界観を感じていたのかもしれません。
ドストエフスキーは晩年、虐げられた子どもたちや女性に対して強い関心を表明するようになっていました。
特に1876年からの『作家の日記』ではその傾向が顕著となっています。
私が『ドストエフスキー全集』を初めて読んだ時、彼の優しさに気付いたのはこの『作家の日記』がきっかけでした。
このドストエフスキーの優しいまなざしは、ディケンズの影響も強くあったのかもしれません。
悪のはびこる世界でも、優しい愛ある人間性を感じることができるのがディケンズの作品です。
だからこそドストエフスキーは子どもたちへの教育や、妻アンナ夫人にディケンズを勧めていたのかもしれません。
おわりに
イギリスの文豪ディケンズとの関係はドストエフスキーを学ぶ上で非常に重要です。
特に、ドストエフスキーの代表作『白痴』を知る上では特に重要です。
また、ドストエフスキーとのつながりだけではなく、そもそもディケンズという作家そのものが非常に面白い存在です。
彼の小説を読めば当時のイギリスの社会状況や、イギリス人のメンタリティーを知ることができます。
1800年代半ばのイギリスといえば、産業革命も進み、イギリスの国力は世界を席巻するものでした。ですがその反面労働環境は悲惨を極め、経済格差は広がり、環境公害も起こっていました。
そんな社会の闇をディケンズは冷静な目で描きます。ですがそんな闇を描きつつも彼は持ち前のユーモアや善良なる救い手の力によって物語に光を差し込ませます。
この絶妙なバランス感こそディケンズ小説の面白さの秘訣なのではないかと思います。
ドストエフスキーに多大な影響を与えたディケンズ。非常に興味深い作家です。
以上、「イギリスの文豪ディケンズとは~ディケンズなくしてドストエフスキーなし!」でした。
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