(22)ブッダ、生まれ故郷に凱旋帰国!息子ラーフラや従弟アーナンダなど釈迦一族の大量出家!
【仏教入門・現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】(22)
ブッダ、生まれ故郷に凱旋帰国!息子ラーフラや従弟アーナンダなど釈迦一族の大量出家!
前回の記事「(21)スダッタによる祇園精舎の寄進~「祇園精舎の鐘の声」はここから。大商人による仏教教団の支援」まででブッダ教団の急拡大についてお話ししました。
有能な弟子の加入や大国の国王、大商人の支援によってブッダ教団は正真正銘の大教団として台頭してきます。
その長たるブッダがいよいよ生まれ故郷へと帰還することになります。今回の記事ではその顛末についてお話ししていきます。
では、早速始めていきましょう。
ブッダ、故郷のカピラヴァストゥへ
上の記事でお話ししましたように、ブッダはネパールでお生まれになりました。
そしてシャカ族の城があるカピラヴァストゥでブッダは若き日を過ごし、29歳で王位を捨て出家の道を選びました。
「生死の彼岸(悟りの真理)を見なければ、私は再びこのカピラヴァストゥに入ることはないだろう」という強い決意を持ってブッダはこの城を後にしました。それから6年、極限の修行を経てブッダはついに悟りを開くことになります。
そしてブッダはあの誓い通り、この城へ戻って来ようというのです。さあ、故郷の人達はどう彼を迎えるのでしょうか。
ブッダが故郷への帰還を決めたのは父親のスッドーダナ王の働きかけがあったからという伝承もありますし、ブッダ自らがそれを選んだという説もあります。これは諸説あるので断定はできませんが、いずれにせよブッダは自身の決断で故郷へと歩を進めました。
「悟りを得なければ二度と帰るまい」と誓ったブッダです。国を捨ててまで果たしたかったことを実現させたという自信もあったのでしょう。実際、ブッダはもはや小国の王子という枠を超えて東インド最大の宗教家という存在へと生まれ変わりました。あの二大強国マガダ国、コーサラ国の国王ですらブッダを敬うほどです。これは小国たるシャカ族の国ではありえないことでした。
ブッダの帰還を知りカピラヴァストゥは大騒ぎです。「あの王子様が帰ってくるぞ!御無事で良かった!一体どんな姿をしておられるのだろう!」
そして何より父親のスッドーダナ王は息子の帰還に心を躍らせ、大勢の臣下と共にブッダを出迎えに行きました。『ブッダチャリタ』によれば「急ぎのあまり端正さを打ち棄てて出迎えに行った」と記されるほどの喜びようでした。『聖書』の「放蕩息子の帰還」ではないですが、国を捨て家族を捨てて出ていってしまった愛する息子が立派になって帰って来たのです。それは嬉しくもなりますよね。
「⑻ブッダの6年間の修行生活~二人の師による瞑想法の伝授と厳しい苦行に勤しむ苦行者ブッダ」の記事でもお話ししましたがスッドーダナ王は出家したブッダを心配して一族の者を彼のそばに派遣して見守ってもいました。自分たちを捨てた息子とはいえ、やはりかわいい息子なのです。
そしていよいよ再会の時が近づきます。スッドーダナ王の目に、多くの弟子に囲まれたブッダの姿が映りました。その姿はまるで最高神ブラフマンのごとく輝き、堂々としているように見えました。
王は偉大な宗教者に対する礼法に従い、車を降りて徒歩でブッダのもとへ近づきます。
足早と歩を進める父王でしたが、いざブッダを目の前にした途端、言葉に詰まってしまいました。彼に対して何と話しかけてよいのかわからなくなってしまったのです。「我が息子よ」とも「偉大なる出家者よ」ともどうしても言えなかったのです。
そして出家者となって帰ってきたブッダの姿を間近でよく見てみると、かつての若々しい青年だった頃の姿を思い出し、涙を流してこう呟きました。
「ああ、私の息子はこんなにもやつれ、かつての面影を無くしてしまった・・・私の息子は偉大なる王となれるはずであったのに、今やこうして他人に乞食をして生きているのだ・・・」
父王はやはりブッダを偉大なる出家者としてではなく、愛する息子としてしか見れなかったのです。これは直接ブッダに触れることができる距離で改めて思い知らされた、親としての愛情の表出だったのではないでしょうか。スッドーダナ王自身もブッダがもはやかつての王子ではなく、偉大なる宗教家として帰ってきたことを痛いほどわかっていたはずです。ですがいざ息子を目の前にして、やはり親としての情が一気に溢れてしまったのではないでしょうか。
そんな父の心をブッダ自身も痛いほど感じていたようで、彼はその父の思いを晴らすために超能力を現じます。彼は空を飛んで分身を作り、水面を歩いたり火を放って輝いてみせたりと人知を超えた力を王達に示しました。
これを見た王は我が子がもはやかつての王子ではなく、「悟りを開いた偉大なる出家者」であることを受け入れ、心に喜びが生ずるようになりました。
このエピソードはまさに神話的に描かれた一節ではありますが、非常にドラマチックで含蓄あるものですよね。
父と子の関係を超えた世界がまさに開かれた瞬間でした。
そしてブッダは真理の法を父王達に語り、皆その教えを受け大いなる救いを得ます。
こうしてカピラヴァストゥへ帰還したブッダは人々からも歓迎され、その再会を喜んだのでありました。
息子ラーフラや従弟アーナンダなど、シャカ族の大量出家
こうしてブッダは故郷の人々に歓迎され数日を実家で過ごすことになるのですが、ある大事件を起こすことになります。
それが記事タイトルにもありますように、シャカ族の大量出家になります。
ブッダはここでの滞在中、自らの教えをシャカ族の人々に説きました。するとその教えに感動したシャカ族の若者達がこぞってブッダの弟子となり出家することを望みました。
その中には後のブッダの身の回りの世話をすることになる従弟のアーナンダ(阿難)やナンダ(難陀)、アヌルッダ(阿那律)、デーヴァダッタ(提婆達多)など後の仏教教団の中核となる人物達も含まれています。これらの若者達が皆優秀であることは後に彼らがブッダ教団の高弟となったことからも明らかです。そんな優秀な若者たちが一気に国を捨て出家修行者となるのとは国家としても大事件です。
そして一番の衝撃はブッダの息子ラーフラの出家でした。
なんと、ブッダは自分の息子まで出家させてしまったのです。ブッダが帰って来たことによりラーフラはやっと父親と対面することができました。父のことは母ヤショーダラーから様々なことを聞いていたことでしょう。期待に胸膨らませたラーフラは父との対面を喜びました。ブッダ自身もそんな息子の笑顔に安らかな気持ちとなったことでしょう。
「⑸ブッダの結婚と息子ラーフラ誕生の意義~本当にラーフラは出家の「障害」だったのだろうか」の記事でもお話ししましたが、私はブッダの妻ヤショーダラーが彼のよき理解者だったのではないかという説を採用しています。だからこそラーフラは父のことを理解し、和やかな再会をすることができたのではないかと考えています。この辺りはヤショーダラーが自分を捨てたブッダに対して怒っていたという説もあり、立場によって諸説あるので何とも難しいところではありますが、私は妻ヤショーダラーもラーフラもブッダと心の繋がりがあったと考えています。
さて、ブッダはそんなラーフラを王位に付けることなくそのまま自分の教団で引き取ることにしました。
これには王宮中が騒然とします。
「いや、それはお待ちください!ラーフラ様はあなた様の代わりに王位に就かれるお方!そのお方まであなたは奪い去ろうと言うのですか!?さすがにそれは認めることができません!」
ですがブッダはどこ吹く風。全く気にも留めません。ブッダは自分の出家当時のことを思い返していたのでしょう。「仮にラーフラが王になったとて、この子は苦しむだけだ。世俗の苦しみ、王としての苦しみは免れることはできまい。この子には私と同じく、真の救いの道を歩んでほしい」
「⑶ブッダはなぜ家を捨て出家したいと願ったのか~カピラヴァストゥでのブッダの青年期と四門出遊」の記事でもお話ししましたが、シャカ族の国は弱小国です。この国の王になったとて、いつ大国の餌食になるかわかりません。さらに言えば、この国では王と言ってもそれは名ばかりで実際にはほとんど権力もなく、身内内の権力闘争に明け暮れる日々になります。
そして悟った後のブッダ自身も様々な国や地域を遍歴してきました。大国マガダ国やコーサラ国の王とも懇意にし、大商人達とも親しく接してきました。そうして様々な世界をブッダはまさに自分の目で見てきたのです。当時のインド情勢は彼自身痛いほどわかっていたことでしょう。
実際、ブッダの晩年にはシャカ族の国がコーサラ国に滅ぼされてしまうという悲劇が起こります。
ブッダが優秀な若者を引き連れて出ていってしまったから国が滅ぼされたという面も考えられなくもないですが、そもそもコーサラ国とシャカ族の国では国力が違いすぎます。そもそも抵抗することも不可能なくらい兵力が違うのです。つまり、どうあがこうが滅ぼされる運命にあったのです。
ブッダはそれを見越して多くの若者や息子ラーフラを連れていったのかもしれません。
ただ、やはりラーフラを出家させたのはかなりの騒動となったようで、これから先ブッダ教団は「両親の許可なく子は出家させてはならぬ」という掟が定められることになります。
こうしてブッダのカピラヴァストゥ帰還は果たされたのでありました。
ブッダはこの後も遊行生活を送り続け、布教の人生を送ることになります。その中で何度もシャカ族の国を訪れていることからも喧嘩別れということではなく、円満な関係を保っていたことが伺えます。
ブッダ、母に会いに天へと昇る
ちなみにこの故郷の人々との再会に関して、もうひとつ紹介したいエピソードがあります。
それがブッダの昇天伝説です。
時期的にはカピラヴァストゥ帰還よりも後の話になりますが、ブッダは亡くなった母に会うために天へと昇り、そこで母に説法をして無事帰還したという伝説になります。
ブッダの母マーヤーは彼を産んで7日後に急死していました。ですので、彼には母の記憶というものがありません。しかしそんな母への思いがブッダの中で大きなものを占めていたことは「⑹ブッダの出家はどのようにして行われたのか~馬丁チャンナと愛馬カンタカとの深夜の旅立ち」の記事でもお話ししました。
そうした思いがこのような伝説となって結実したのではないでしょうか。
ブッダが天へ昇ったとされる場所が実は今でも残っています。
ここは祇園精舎の近くにあり、平野の中にポツンとある小高い丘のようになっています。
そしてまさにブッダが天へと昇った場所には小さな祭壇が現在残されています。私はここに来て驚きました。ここから空を見上げてみると「本当にブッダがここから空を飛び天へ昇っていったのだ」と実感することができたのです。これは理屈ではありません。この丘には何かがあります。
この丘から見た夕陽も忘れられません。仏伝の中での重要度から言うと、この仏跡はそれほどメジャーなものではありません。ですがブッダが母のために天へ昇ったという伝説がここから生まれたというのは何か驚くほどの実感を持って私に迫って来たのでありました。
次の記事はこちら
※この連載で直接参考にしたのは主に、
中村元『ゴータマ・ブッダ』
梶山雄一、小林信彦、立川武蔵、御牧克己訳『完訳 ブッダチャリタ』
平川彰『ブッダの生涯 『仏所行讃』を読む』
という参考書になります。
※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。
〇「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
〇「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
〇「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」
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【現地写真から見るブッダの生涯】目次ページはこちら
【インド・スリランカ仏跡紀行】の目次・おすすめ記事一覧ページはこちら
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