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W・シャブウォフスキ『踊る熊たち 冷戦後の体制転換にもがく人々』あらすじと感想~旧共産圏の人々に突然訪れた自由。自由は重荷なのか。

目次

W・シャブウォフスキ『踊る熊たち 冷戦後の体制転換にもがく人々』概要と感想~旧共産圏の人々が急に訪れた自由にどう反応したのかを知れる驚異の名著!

今回ご紹介するのは2021年に白水社より発行されたヴィトルト・シャブウォフスキ著、芝田文乃訳の『踊る熊たち 冷戦後の体制転換にもがく人々』です。

早速この本について見ていきましょう。

束縛から逃れ、自由を得た先にあるものとは?

ブルガリアに伝わる「踊る熊」の伝統の終焉と、ソ連崩壊後の旧共産主義諸国の人々の声。ポーランドの気鋭による異色のルポルタージュ。[口絵6頁]

自由とは新たな挑戦だ

ブルガリアに伝わる「踊る熊」の伝統の終焉と、ソ連崩壊後の旧共産主義諸国の人々の声。リシャルト・カプシチンスキをはじめ、優れたノンフィクション文学の書き手を輩出してきた国ポーランドの気鋭による異色のルポルタージュ。
第一部では、2007年にブルガリア最後の「踊る熊」たちがいかにして動物保護団体に引き取られたか、そして生業を奪われた飼い主のロマたちが陥った困難な状況について、さまざまな立場の関係者を取材する。第二部ではソ連崩壊以降のおもに旧共産主義諸国(キューバ、ポーランド、ウクライナ、アルバニア、エストニア、セルビア、コソボ、グルジア、ギリシャ)を訪ね、現地の人々のさまざまな声に耳を傾ける。そこに共通するのは、社会の変化に取り残されたり翻弄されたりしながらも、したたかに生き抜こうとするたくましさである。
第一部と第二部はそれぞれ同じ章立て。共産主義の終焉から資本主義に移行しきれない国、またはEUに組み込まれたことで経済危機に陥った国の人々の混乱と困惑を、隷属状態から逃れても「自由」を享受しきれない「踊る熊」たちの悲哀に見事になぞらえ、重ね合わせている。

白水社商品紹介ページより

この本は旧共産圏のブルガリアに伝わる「踊る熊」をテーマに、旧共産圏に生きる人々の生活に迫る作品です。

この本もすごいです・・・!

ロシアに関する本は山ほどあれど、旧共産圏のその後に関する本というのはそもそもかなり貴重です。

しかも、その地に伝わってきた「熊の踊り」というのがまさに旧共産圏から「自由」への移行劇を絶妙に象徴しています。

巻末の訳者あとがきではこの作品について次のように述べられています。

本書の第一部では、ブルガリアの熊使いの終焉が描かれる。ニ〇〇七年六月、ヨーロッパ最後の踊る熊三頭が、ロマの一家から動物保護団体に引き取られた。長年伝統として受け継いできた熊使いという職業が、突然よそ者から動物虐待であると認定され、禁止されたのである。著者は、熊を失った熊使いとその家族、オーストリアの動物保護団体が運営する〈踊る熊〉園の職員たち、どちらか一方に肩入れすることなく、双方の言い分にじっくり耳を傾ける。そして、囚われの身から解放され、自由になったはずの熊たちが、そのままでは野生で生き延びられないことを知る。〈踊る熊〉園の近くの住民たちは、自分たちの生活がかつかつだというのに、熊の生活が外国からの寄付で賄われているのが気に入らず、熊たちに嫉妬する。ようやく共産主義体制が終わって、自分たちも自由になったはずなのに、その恩恵が肌で感じられないのだ。

第二部では、共産主義体制崩壊後、急速に変化する九カ国で、その変化に取り残されたり翻弄されたりして苦悩する弱い立場の人々や、その変化を利用して何か新しいことを始めようとする意欲的な人たちをレポートする。著者はフットワークも軽く、キューバやアルバニアや独立直後のコソボなどに乗り込み、一般の人たちの意見をじかに聞く。危険と言われる国でいきなりヒッチハイクをしたり、自分の車に地元の人たちを乗せてあげたり、障害を持つホームレスの女性に付き合ったり、国境越えをする中古車密輸業者の車に同乗させてもらったりと、冒険的な体当たり取材も多い。驚くべきは、老若男女さまざまな立場の人が、自分の意見を腹蔵なく率直に述べているところだ。インタビュアーをよほど信頼しないかぎり、よそ者に対してここまで本音を明かさないのではないか。もちろん著者は時間をかけて入念な準備をしているのだが、彼の誠実な人柄、だれとでも友達になれる気取りのなさ、予断や偏見のない公平な眼差しがあってこそ、なし得たルポルタージュと言えるだろう。(中略)

本書『踊る熊たち』で著者は、共産主義体制崩壊後の変革に右往左往する人たちを、突然与えられた自由にうまく対処できない熊たちになぞらえて書いている。古い価値観と新しい価値観がぶつかるところでは、どこかに歪みができ、その皺寄せはつねにマイノリティや経済的弱者にいく。そこでシャブウォフスキは、どちらが悪いと糾弾するのではなく、どちらの言い分も丁寧にすくい取り、簡潔な言葉で伝える。

白水社、『踊る熊たち 冷戦後の体制転換にもがく人々』P289-292

まず、この本の第一部で語られる「熊の踊り」の実態がとにかく壮絶です。

少し長くなりますが、この本の前半で語られる「熊の踊り」について見ていきます。

踊る熊たちの歴史を私に語ってくれたのは、ワルシャワで知り合ったブルガリア人ジャーナリスト、クラシミル・クルモフである。

熊たちは何年も踊るための訓練をさせられ、実にひどい扱いを受けてきた、とクラシミルは言った。調教師たちは熊を家で飼っていた。小さな頃からたたいて踊りを教えた。折を見て熊の歯をすべて抜いた。熊が、自分は調教師よりも強いということを急に思い出したりしないように。彼らは熊の精神を打ち砕いた。アルコールを飲ませた―多くの熊たちがその後、強い酒に依存するようになった。それから観光客向けにさまざまな奇妙な芸をするよう命じた―踊りをはじめ、さまざまな有名人の物真似、マッサージにいたるまで。

白水社、『踊る熊たち 冷戦後の体制転換にもがく人々』P11

熊は虐待といっていいような状況で飼育され、調教されていました。ここではそこまで悲惨なことは書かれていませんが、この本を読めば目を反らしたくなるような調教方法が語られます・・・

そしてこの本ではそんな熊たちが引き取られ、〈踊る熊〉園という保護施設において自由を得た熊たちの様子を見ていくことになります。ですが、これがまたえげつないんです・・・

熊たちはここでもまた虐待されているのでしょうか?いやいや、それが違うんです。虐待どころか人間も受けることがないような手厚い介護を受けて自由で健康な生活を送っているのです。

しかしこれがまた恐ろしいものを私たちに突きつけることになります。引き続き見ていきましょう。

初めてクラシミルに会ってから数年後、私はべリツァの〈踊る熊)〉園に赴いた。自由の実験室とはどんなものか知りたかったのだ。私が知り得たことは、なかんずく次のとおり。

・自由は熊たちに徐々に与えられる。一気に与えてはいけない。さもないと自由で窒息してしまうから。

・自由にもそれなりの限度はある。熊にとってのそうした限度が電気柵である。

・これまで自由を知らなかった者にとって、自由はきわめて複雑なものだ。熊たちにとって、自分自身を気にかけねばならない生活を学ぶことは大変難しい。不可能な場合もある。

そして、引退したどの踊る熊にも自由であることがつらくなる瞬間があることを私は知った。そんなとき熊はどうするか?後ろ足で立って……踊りだすのだ。園の職員がどうしてもやめさせたいと思っているまさにそのことを再現してしまう。奴隷の振る舞いを再現するのだ。戻ってきて、再び自分の生活の責任を取ってくれと調教師を呼ぶ。「鞭で打ってくれ、手ひどく扱ってくれ、でも自分の生活に対処しなくてはならないこの忌々しい必然性をどうか取り除いてくれ」―熊たちはこう言っているように見える。そしてまた私は思った。これは一見、熊たちの物語のように見える。だが私たちの話でもあるのだと。

白水社、『踊る熊たち 冷戦後の体制転換にもがく人々』P13-14

自由を得た熊たちが、その自由に苦しみ、かつての奴隷時代のように踊り出す・・・

こんな恐ろしい光景があるでしょうか・・・!

著者はこうした熊たちの姿を通して、旧共産圏に生きる人々の苦しみについてこう語ります。著者自身も旧共産圏のポーランド人であるため、ものすごい説得力を感じます。

多くのことをたやすく約束する、髪をなびかせた者たちが、世界の中の私たちの地域で雨後の茸のように増殖する。人々は彼らの後についていく。熊が自分の調教師についていくように。なぜなら、自由が彼らにもたらしたのは、新たな味、新たな可能性、新たな視野だけではなかったからだ。

自由はまた、つねに対処できるとは限らない新たな課題ももたらした。社会主義時代には知らなかった失業。ホームレス。しばしば非常に野蛮な形をとる資本主義。そして人々もまた、熊たちのように、調教師が戻ってきて、せめてこうした課題の一部でも自分たちの肩から下ろしてくれたらいいのにと思うことがあるかもしれない。たとえ少しでも背骨の負担を軽くしてくれたらと。

あなたがたが手にしているこの本のための資料を集めていたとき、これは中・東欧と、私たちが共産主義から脱却する困難な道のりに関する本になるだろうと私は思った。しかしその間に、髪をなびかせ狂った目をした者たちは、共産主義を一度も経験しなかった国々にも現れはじめた。変わりゆく世界に対する恐れ、自分の生活に対する責任を私たちから多少なりとも取り除いてくれるだれか、昔のように(すなわち、もっと良く)なると私たちに約束してくれるだれかへの憧れ―これらは普遍的なものであることが判明した。そして変革の地にいる私たちだけでなく、西側の半分も、空約束以外に何も提案するものがない、髪をなびかせた人たちをちやほやしている。ただ、そうした約束はカサカサいう紙に包まれていて、中に飴玉が入っているふりをしているだけなのだ。

そして人々はこの飴玉のために後ろ足で立ちあがって踊りはじめる。

自由は痛い。そしてこれからも痛みつづけるだろう。私たちはそれに対して、踊る熊たちよりも高い対価を支払う覚悟はあるだろうか?

白水社、『踊る熊たち 冷戦後の体制転換にもがく人々』P14-15

「自由は痛い。そしてこれからも痛みつづけるだろう。私たちはそれに対して、踊る熊たちよりも高い対価を支払う覚悟はあるだろうか?」

この本を読んで痛感するのは「自由」の重さです。これまですべてを支配されていた人にとって、急に自由を与えられることは何よりも苦しい。自分が何をするべきか考える方が耐えがたい・・・

このことはまさにドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官の章」を連想させます。

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ドストエフスキーはこの「大審問官の章」で「人々にとって自由こそ耐えがたい重荷なのだ」と述べます。人は自分を支配してくれる人を求める。たとえそれが苦しいものであっても、自由よりはるかにましなのだと。

「自由が重荷だ」というのは一見わかりにくい事実かもしれません。普通は「押し付けられて苦しい思いをするなら自由の方がいいのではないか」と思ってしまいますよね。

ですが、人間はそんな単純にはできていないのです・・・

現代日本に生きる私たちも「自分たちは自由だ」と思っているかもしれません。

ですが、はたして本当にそうなのでしょうか・・・?

知らず知らずのうちに「何をすれば良くて、何をしたらいけないか」を刷り込まれているとしたら?

自分がなりたいと思っているもの、ならねばならないと思っているものはどこから来ているのでしょうか?

私たちは本当に「自分で」考えているのでしょうか。

「自由」の抑圧は共産圏だけの問題ではありません。どちらかといえば資本主義側の方が欲望を「自由」や「夢」などと置き換えて巧妙に宣伝するため厄介と言えるかもしれません。「自由」を謳う資本主義のあり方は本当に「自由」なのかというは非常に難しい問題です。ここでは長くなってしまうのでお話しできませんが、この本はそんな「自由」の問題を「踊る熊」を通して考えていきます。これは非常に奥深いです。

また、この本の後半ではキューバやエストニア、ポーランド、セルビア、コソボなど様々な旧共産圏の国が出てきます。社会主義が急に崩壊し、自由資本主義に投げ出された人々がどのような影響を被ったかが語られます。

その中でも特に印象的だったのがキューバの箇所でした。経済が行き詰まり、貧困と格差に苦しむキューバ事情がここで語られるのですが、キューバといえば私も2019年に訪れた国でした。

私がキューバを訪れようと思ったのは、まさしくソ連崩壊後の共産圏の姿を見たいと思ったからでした。

しかも、キューバは明るく陽気で、旧き良き時代が今もまだ色濃く残っているという話を聞いていました。

ですが、ソ連崩壊によって経済が行き詰まり、その苦肉の策として観光業による外貨獲得を目指した結果、少しずつひずみが広がって来ているというのも事実です。

かつての共産主義的な空気に、資本主義的の理念や欧米資本が一気に流れ込んでいるキューバ。

その混沌を見て感じるならば今しかないと思い、私はキューバを訪ねたのでした。

その時の体験は以下の記事でお話ししています。

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特に以下の記事では現地ガイドの方に聞いたリアルなキューバ事情をお話ししています。

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ここで語られるのは『踊る熊たち』で述べられていたことと驚くほど重なっています。その一部を引用します。

〔※現地ガイドのダニエルさん語る〕

現在のキューバには深刻な問題があります。

経済と観光の問題です。

私の父はエンジニアでした。つまり専門職、いわばプロフェッショナルでした。

でも給料は3500円でした。

たしかに食料や医療は国から支給されます。ですが基本的にものは足りません。

お金があればもっと買い込むことができるのかもしれませんが、ほとんどの人はそれができません。

私には子供がいます。子供の靴、いくらだと思いますか?

5000円もするのです。子供の靴が。

3500円の給料で買えますか?

ネットも1時間で100円といっても、給料が3500円だったら使えますか?

私の大学の教授も、父のような専門職も、みなそのような給料です。

お金がありません。

ところで隆弘さん(筆者)、今キューバで1番お金を持っているのは誰だと思いますか?」

―もしかして、政府の官僚ですか?昔みたいな腐敗が起きてしまっているのですか?

「いえ、そうではありません。

実は今1番お金を持っているのは、タクシードライバーなんです」

―!?

「彼らは私たちの10倍以上のお金を持っています。

ホテルやレストランの店員もそうです。みんなチップで稼いでいます。」

「インバウンド頼みのキューバの現状と格差、教育問題」日本も他人事ではない! キューバ編⑫

こうした歪みの影響は明らかにキューバ社会を蝕みつつあります。この記事ではここからさらに社会の歪みについてガイドさんに詳しく聞いていきます。

また、キューバの農村を案内して下さったガイドさんからも社会主義と現代キューバの実態を聞くことになりました。

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都会と農村の格差や、社会主義のひずみをガイドさんは語ってくれました。その時の真剣で怒りの混じった表情、声色を私は忘れることができません。

『踊る熊たち』は私のかつての記憶とも結びつき、ドストエフスキーとも繋がる非常に興味深い作品でした。

この本を読みながら何度も全身を寒気が走りました。

ソ連崩壊ですべてが終わったのではないのです。「共産主義が倒れたからこれからは資本主義だ」という単純な問題ではないのです。普段私たちがなかなか目にすることもない旧共産圏の国々が置かれた苦境について知るのに最高の1冊です。

そして「踊る熊」を通して私たち自身のあり方も問われる衝撃の作品です。これは名著です。ぜひぜひおすすめしたい作品です。

以上、「W・シャブウォフスキ『踊る熊たち 冷戦後の体制転換にもがく人々』旧共産圏の人々に突然訪れた自由。自由は重荷なのか。」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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