MENU

柴宜弘『ユーゴスラヴィア現代史 新版』あらすじと感想~ボスニア内戦の流れと全体像を知るのにおすすめ

目次

柴宜弘『ユーゴスラヴィア現代史 新版』概要と感想~ボスニア内戦とは何だったのかを学ぶために

今回ご紹介するのは2021年8月に岩波書店より出版された柴宣弘著『ユーゴスラヴィア現代史 新版』です。

早速この本について見ていきましょう。

民族、国家、宗教、言語……。独自の社会主義連邦の道を歩んできたユーゴの解体から三〇年。暴力と憎悪の連鎖がひきおこしたあの紛争は、いまだ過ぎ去らぬ重い歴史として、私たちの前に立ちはだかっている。内戦終結から現在にいたる各国の動きや、新たな秩序構築のための模索などを大幅に加筆。ロングセラーの全面改訂版。

Amazon商品紹介ページより

この本は1990年代に深刻な分裂、内戦が起きたユーゴスラヴィアの歴史を解説した作品です。

私は2019年にボスニア・ヘルツェゴビナを訪れています。その時の経験は今でも忘れられません。

あわせて読みたい
異国情緒溢れる街サラエボ探訪と紛争経験者に聞くボスニア紛争の現実 世界一周記ボスニア編一覧 私の旅で最も心に残った国!僧侶上田隆弘の世界一周記ボスニア編一覧19記事 私がオーストリアの次に向かったのはボスニア・ヘルツェゴビナという国。 ボスニア・ヘル...

今回『ユーゴスラヴィア現代史』が改版され大幅に加筆されるということで、この機会に改めてボスニア紛争について考えてみようとこの本を手に取ったのでした。

この本を読んでいると、ユーゴスラヴィアという国家がいかに複雑な原理で成り立っていたかがよくわかります。

2年前にも勉強したのですが、その時もあまりの複雑さに頭がくらくらするくらいでした。

ユーゴスラヴィアの複雑さを表すのに有名な言葉があります。それがこちら。

「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、ニつの文字、一つの国家」

岩波書店、柴宣弘『ユーゴスラヴィア現代史 新版』 Pⅰ

ユーゴスラヴィアというひとつの連邦国家においてこれだけ複雑な背景があります。

文化的、民族的、歴史的にかなり異なる背景を持った人たちをいかにしてまとめるのか、そうした難題がユーゴスラヴィアに暗い影を落としていくことになるのでした。

この本ではそんな複雑なユーゴスラヴィアの成立、そして崩壊の過程を知ることができます。

そしてやはり私がこの本で注目したいのはボスニア・ヘルツェゴビナの内戦についてです。

ボスニア・へルツェゴヴィナは、ムスリム人、セルビア人、クロアチア人の三者が混住していたがゆえに、三者は長い歴史の過程で共存する知恵を生みだしてきた。ボスニア・へルツェゴヴィナという地域の一体性は三者にとって基本的な前提条件であったにもかかわらず、それが崩れてしまった理由はなんだったのだろうか

岩波書店、柴宣弘『ユーゴスラヴィア現代史 新版』 P 183

ボスニアは古くから多民族が共存していた歴史があります。しかし、それが瞬く間に血みどろの殺し合いに変わってしまったのです。

ボスニアの三者の間には、相互に類似しているがゆえの、近親憎悪の感情が潜在的にあったことは確かである。こうした感情は一度表面化すると、手に負えなくなる。「撃たなければ相手に殺される」といった緊迫した状況のなかで、三者は憎悪の感情を募らせていった。それなら、三者の共存関係をいっきに切り崩すこうした感情を生み出した原因はなんだったのだろうか。先に引用した意識調査にみられるように、まず民族主義に基礎を置く各勢力指導者の政治戦略であり、これに追随するマスメディアをあげなければならない。

また、主として経済的不満から、チェトニクやウスタシャの流れをそれぞれ汲む、シェシェリ率いるセルビア急進党や、パラガ率いるクロアチア権利党といった、極右民族主義勢力のもとに結集する青年層の存因も重要な要因である。さらに、混住地域という特殊な条件を十分考慮することなく、民族自決や人権や「正義」を一義的に適用してユーゴの問題に介入した、ECやアメリカの対応のまずさにも原因を求めることができる。国際社会の対応のまずさが、三者の交渉の余地を奪ってしまったのである。このように考えると、三者の対立は歴史的所産だけではなく、政治状況のなかで作られた側面が強いといえるだろう。

岩波書店、柴宣弘『ユーゴスラヴィア現代史 新版』 P 185-186

なぜボスニア戦争は起こったのか。

そこには政治的なものが大きな要因となっていると著者は述べます。

いずれにせよ、ユーゴの解体にともなう一連の紛争は、一般的に民族紛争あるいは宗教紛争と言われることが多い。しかし、それは副次的な現象にすぎず、紛争の原因を複雑な民族構成や宗教の違いにのみ帰すことはできない。紛争の主要因は、ユーゴの自主管理社会主義が崩壊する混沌とした状況下で、権力や経済基盤を保持あるいは新たにそれを獲得しようとする政治エリートが民族や宗教の違いを際立たせ、そうした違いによって生じた流血の過去、つまり、第二次世界大戦期の戦慄の記憶を煽り立てたことにあった。他方、失業状態におかれ、将来に対する展望をもてない青年層が多数存在した。こうした青年たちが、闇経済のなかで暗躍するマフィアの率いる準軍事(パラミリタリー)組織に動員され、極端なナショナリズムに踊らされて、おぞましい暴力行為に駆り立てられたことも見落としてはならないだろう。

岩波書店、柴宣弘『ユーゴスラヴィア現代史 新版』 P 254

私も紛争経験者のガイドさんから聞いた「紛争が起こったのは・・・大人の事情です・・・私たちはそれまで共存していたのです」という言葉がとても印象に残っています。

そして著者はこうした悲惨な内戦と暴力行為について次のように述べています。

ユーゴの解体要因と関連して、「なぜ、ユーゴ内戦はあれほど暴力的だったのか」という疑問についても、若干ふれておく。ユーゴ内戦期に生じた「民族浄化」にせよ「集団レイプ」にせよ、その多くはボスニアの内戦で行われた。たしかに、ムスリム人(ボシュニャク)、セルビア人、クロアチア人が混住するボスニアの民族構成の複雑さは、目をそむけたくなるような凄惨な戦いが行われた理由の一つではあるだろう。近代の歴史を振り返ってみると、ボスニアでも、ユーゴでも、バルカンでも暴力がその歴史の重要な要素であったことがわかる。オスマン帝国から独立を達成したバルカン諸国が相互に競いあい、西欧から「ヨーロッパの火薬庫」と見なされた一九世紀末からニ〇世紀初めの例を持ちだすまでもなく、近代のバルカンでは、ヨーロッパの他の地域より頻繁に暴力をともなう事件が生じており、人々が好んで暴力を行使したかのような事実もみられる。しかし、ボスニア、ユーゴ、バルカンにおける暴力は、ヨーロッパの近代史に潜む問題に他ならない。第二次世界大戦におけるナチス・ドイツの暴力を思い起こしてみれば、暴力はバルカンだけにみられる現象ではない。西欧に比べて、近代化の遅れたバルカンにおいては、「時差」が生じたにすぎない。

このように考えると、ユーゴ内戦で流布された民族という観念にともなう暴力は、この地域固有の歴史に起因するものではなく、ヨーロッパの近代史、さらに言えば、近代史一般にともなう現象であり、日本の近代史にも潜む現象であることがわかるだろう。ユーゴ内戦でみられたさまざまな暴力や殺害は遠い異国の他人事ではなく、私たちの問題としても考えてみることができるのではないだろうか。(中略)

ボスニア内戦は民族や宗教の違いを背景として、必然的に生じたのではない。共生してきた隣人同士が、一夜にして敵と味方に分かれてゆくメカニズムの解明はまだ十分ではないが、内戦もそれにともなう「民族浄化」も、複雑な社会構造だけが原因ではなく、政治指導者によりつくられた側面が強かったと言える。

岩波書店、柴宣弘『ユーゴスラヴィア現代史 新版』 P 255-258

ボスニア内戦は宗教や民族の違いによる争いと言われることも多いですが、実際には事はそんなに単純ではありません。

そして著者がここで指摘するように、この内戦は近代史にともなう現象であり、このような悲惨な争いは私達とも全く無関係ではありません。現地ガイドのミルザさんもそのことは何度も仰られていました。「平和は当たり前ではありません。いつどこで平和が奪われるかなどわかりません。そのことを忘れないでください」と。

私にとってボスニア内戦は非常に大きなものがあります。そして現地で内戦経験者のガイドさんに聞いたお話は忘れられません。

この本はボスニアだけでなく、ユーゴスラヴィア全体からその歴史を考えていくことができるので非常にありがたい作品です。

ぜひおすすめしたい1冊です。

以上、「柴宜弘『ユーゴスラヴィア現代史 新版』ボスニア内戦とは何だったのかを学ぶために」でした。

Amazon商品ページはこちら↓

ユーゴスラヴィア現代史 新版 (岩波新書)

ユーゴスラヴィア現代史 新版 (岩波新書)

次の記事はこちら

あわせて読みたい
梅原季哉『戦火のサラエボ100年史「民族浄化」もう一つの真実』あらすじと感想~ボスニア紛争の流れを知... ボスニア紛争はあまりに複雑な背景の下起こった悲劇でした。 その複雑な背景を知るにはボスニアの歴史、ユーゴスラビアの歴史を知ることが不可欠です。 この本はそんなボスニア史を含めて、大きな視点で紛争の背景を見ていくのが特徴です。

関連記事

あわせて読みたい
ボスニア紛争を学ぶためのおすすめ参考書15作品をご紹介 この記事ではボスニア紛争、スレブレニツァの虐殺を学ぶためのおすすめ参考書を紹介していきます。途中からはルワンダ、ソマリアで起きた虐殺の本もありますが、これらもボスニア紛争とほぼ同時期に起きた虐殺です。 長有紀枝著『スレブレニツァ―あるジェノサイドをめぐる考察―』にルワンダ、ソマリアの虐殺のことが述べられていました。この三者は紛争や虐殺が起こった背景や、それを防ぐことができなかった国際機関のメカニズムが非常に似ています。ボスニア紛争、スレブレニツァの虐殺の理解を深めるためにもこれはぜひ重要と感じ、ここで紹介させて頂くことにしました。 これからしばらくは重い内容が続く更新になりますが、ここで改めて人間とは何か、なぜ虐殺は起こってしまうのかということを考えていきたいと思います。
あわせて読みたい
ウィーンからサラエボへ~ぼくがボスニアを選んだ理由 ボスニア編① 2019年4月26日。私はウィーンからボスニア・ヘルツェゴビナの首都、サラエボに向かいました。 旅の計画を立てるにあたってこの国に関心を持ったのも、ボスニア紛争が宗教と民族の争いで、仲良く暮らしていた隣人が急に殺し合うようになったのだと教えられた記憶があったからでした。 なぜ人間はこうも簡単に人を憎むことができるのだろうか。 なぜ仲のよかった隣人を宗教を理由に殺すことが可能だったのか。 宗教は人を残酷な行動に駆り立てるものなのだろうか。 民族の対立は人間に宿命づけられた地獄の入り口なのだろうか。 このような疑問が生まれたからこそ、私はボスニアを訪ねることに決めたのでした。
あわせて読みたい
ボスニア紛争とトンネル博物館~サラエボの奇蹟!市民の命をつないだトンネルを見学 ボスニア編③ この記事からボスニア紛争、特にサラエボ包囲についてお話ししていきます。 私がまず向かったのはトンネル博物館。街を包囲されたサラエボ市民が唯一国外とアクセスできた、文字通り市民の生命線となった場所です。 そしてそこに向かう途中、スナイパー通りも通りました。ここはサラエボ包囲中、最も危険な通りの一つでした。 紛争経験者のガイドさんから当時のお話を聴きながら私は現地を歩きました。
あわせて読みたい
サラエボ市街地にてボスニア紛争を学ぶ~たった1本の路地を渡ることすら命がけだった日々 ボスニア編⑥ サラエボは1992年4月から1995年10月まで約3年半の間、セルビア人勢力に包囲され、攻撃を受け続けました。その間の犠牲者はおよそ12000人。 1990年生まれの私は当時2歳。その頃の記憶は当然ありません。ですが、平和に暮らしていた私の幼少期に、遠く離れたボスニアでは悲惨な紛争が続いていました。それも多様な民族や宗教が共存していたその国で。 文化の多様性がその国の持つ良さであったはずなのに、それが瞬く間に崩壊してしまった。 一体、ここで何が起こってしまったのでしょうか。
あわせて読みたい
ボスニア紛争経験者ミルザさんの物語(前編)~紛争の始まりと従軍経験 ボスニア編⑦ わかりやすい構図で語られる、紛争という巨大な出来事。 ですが、事実は単にそれだけでは済まされません。民族や宗教だけが紛争の引き金ではありません。あまりに複雑な事情がこの紛争には存在します。 わかりやすい大きな枠組みで全てを理解しようとすると、何かそこで大切なものが抜け落ちてしまうのではないだろうか。なぜ紛争が起こり、そこで一体何が起こっていたのか。それを知るためには実際にそれを体験した一人一人の声を聞くことも大切なのではないでしょうか。 顔が見える個人の物語を通して、紛争というものが一体どのようなものであるのか、それを少しでも伝えることができたなら幸いです。
あわせて読みたい
ボスニア紛争で起きた惨劇、スレブレニツァの虐殺の地を訪ねて ボスニア編⑩ 2019年4月29日、私は現地ガイドのミルザさんと二人でスレブレニツァという町へと向かいました。 そこは欧州で戦後最悪のジェノサイドが起こった地として知られています。 現在、そこには広大な墓地が作られ、メモリアルセンターが立っています。 そう。そこには突然の暴力で命を失った人たちが埋葬されているのです。 私が強盗という不慮の暴力に遭った翌日にこの場所へ行くことになったのは不思議な巡り合わせとしか思えません。 私は重い気持ちのまま、スレブレニツァへの道を進み続けました。
あわせて読みたい
恐怖や孤独に打ち勝つ心の強さとは~ボスニア紛争経験者ミルザさんとの対話 ボスニア編⑫ スレブレニツァメモリアルホールの見学を終え、私たちは一路サラエボへの道を引き返していきました。 スレブレニツァからサラエボまでの道のりは片道およそ3時間ほど。 私はその間、ミルザさんと様々な話をしました。 ボスニアの文化のことやミルザさんのイタリア時代のこと、コーヒーのことやサッカーのことなど、ここでは話しきれないほどたくさんのお話をしました。 そしてスレブレニツァでの衝撃的な体験の後に、私の中にどうしてもミルザさんに聞いてみたいことが生まれてきました。 私はこの帰り道、思い切ってそれをミルザさんに打ち明けてみることにしたのでした。
あわせて読みたい
ボスニア・モスタルの虐殺博物館を訪ねて~紛争の衝撃的な展示に言葉を失う ボスニア編⑰ モスタルの虐殺博物館を訪れた体験をこの記事ではお話ししていきます。 ここに展示されていたあまりにショッキングな写真。それらは虐殺の悲惨さ、残酷さをストレートに伝えてくる写真でした。 虐殺され、それを隠蔽するために埋められた遺体。それらは紛争後、ミイラ化していたり腐敗した状態で見つかりました。それらをそのまま写真に収め、ここに展示しています。それも、カラー写真で。 直視し続けるのは本当に難しいものでした。 日本では普通公開されない類のものだと思います。 かつて見た原爆ドームの蝋人形も私の中では強烈な印象を残していますがそれに近いものだと思います。
あわせて読みたい
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの魅力とおすすめスポットをご紹介 ボスニア編⑱ 18本の記事にわたって書き続けてきたボスニア編もいよいよ最終盤。 ボスニア編では紛争をメインのテーマにして綴ってきたのでかなり重い記事になってしまいました。 読んで下さったみなさんにも辛い思いをさせてしまったかもしれません。 ですが、ボスニアはそれだけではありません。 ボスニアは観光するにもとても魅力的な国です。 ボスニアはヨーロッパにありながら、ヨーロッパとは異なる異国情緒を感じることができる国。 まだまだ日本人にとっては馴染みのない国かもしれませんが、現在新たな人気観光地としてヨーロッパでは特に注目を浴びている国なのです。 というわけで、ボスニア編の最後にこの国の魅力を紹介していきたいと思います。
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

目次