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ユゴーを批判したゾラが世紀の傑作『レ・ミゼラブル』をどう見るだろうか考えてみた

目次

フランス人作家エミール・ゾラはユゴーの『レ・ミゼラブル』をどう見るだろうか考えてみた

エミール・ゾラ(1840-1902) Wikipediaより

前回の記事「ゾラのユゴー批判~ユゴーの理想主義を断固否定するゾラの文学論とは」ではゾラがユゴーの劇作品『リュイ・ブラース』をどう批評したかを見ていきました。

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ユゴーの詩人としての天賦の才は人々を陶酔させる。しかしユゴーはあまりに理想を語りすぎ、現実と乖離しているとゾラは批判したのでした。

そして今回の記事ではそんなユゴーの偉大なる作品『レ・ミゼラブル』ならばゾラはどんなことを言うのだろうかということを考えていきたいと思います。

さて、本題に入っていく前になぜ私がゾラとユゴーの関係をこうまで考えるのかということを少しお話しします。

私は昨年の初夏にゾラ作品を初めて読み、その面白さに憑りつかれてしまいました。

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そして彼の大作群「ルーゴン・マッカール叢書」を全て読み、ますますゾラ作品や文学観に共感を持ったのでありました。

それから数か月後、私はユゴーの『レ・ミゼラブル』を読むことになります。そしてこれがまたものすごい作品でした。また、ミュージカル映画のレミゼも観、感動してしまいました。

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あまりに素晴らしくてそれ以来すっかりレミゼにはまってしまった私でしたが、参考書を読んだり、何度も映画を観たりサントラを聴いたりしている内にふと頭をよぎったことがありました。

それが、

「ゾラだったら何と言うだろうか・・・」

という素朴な疑問でした。

というのも、レミゼはあまりに面白過ぎるのです。ドラマチックなストーリー展開、英雄的な人物、心を揺さぶるセリフ、音楽・・・これら全てがものすごい力でもって私たちを夢中にさせます。

これは一度でもレミゼに触れた方であればきっとわかって頂ける感覚だと思います。

しかしです、私はユゴーと出会う前にすでにゾラと出会ってしまっています。

ゾラはこうした空想的で人間を夢中にさせるような物語に対して批判を加えます。それはこれまで当ブログでお話ししてきた通りです。私は以下の記事でゾラの次のような言葉を紹介しました。

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「いわゆる小説的なもの(ロマネスク)ほど危険なものはない。そのような作品は、偽りの色彩で世界を描くことによって空想好きの読者の頭を狂わせ、彼らを無謀な行為の中に投げこむ。「申し分のない姿」に伴う偽善や、花々で飾られたべッドの下で好ましいものにされる醜い行為については言うまでもない。我われにあっては、このような危険は霧散する。我われは人生についての苦い知識を授け、現実について気高い教訓を与える。これがありのままの事態である。

『〈ゾラ・セレクション〉第8巻 文学論集1865-1896』佐藤正年訳「 演劇における自然主義 」P42-43

ゾラによれば、空想的な物語は読者の頭を狂わせ、理想ばかりを追い求めさせることになるだろうと警告するのです。

英雄物語やシンデレラストーリーは現実にはありえない。それに酔っていても現実は変わらないのだとかなり手厳しい意見をゾラは述べます。

前回の記事ではそれを『リュイ・ブラース』という演劇から見ていきました。

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そして今回はいよいよレミゼについて見ていきたいと思ったのですが、実はレミゼに対するゾラの批評がどこにもないのです。これまで参考にしてきた『〈ゾラ・セレクション〉第8巻 文学論集1865-1896』では少なくとも見当たりません。他の著書を見てもまだ見つけることができていません。

『レ・ミゼラブル』が出版されたのは1862年です。そしてあっという間に世界中で爆発的な売れ行きを記録しました。

それに対しこのゾラの論文集は1865年から1896年までのものを集めたものですので時代的にはレミゼ批評があってもおかしくないはずなのです。しかし、この本では収録されていません。

フランスの資料に入念に当たれば見つけることができるかもしれませんが、専門家ではない私には残念ながら不可能です。

なぜレミゼ批評がないかはわかりませんが、もしかしたらゾラ自身もレミゼ自身はある程度認めざるをえなかったのではないかということも考えられるかもしれません。

というのも、『リュイ・ブラース』は明らかに批判されてもおかしくない作品で、前回読んだゾラの批評を読めば「まさしくその通り」と頷いてしまうような点ばかりでした。

しかしレミゼの場合はそう簡単にはいきません。レミゼは『リュイ・ブラース』と比べるとかなり現実的で、しかもただ雄弁だけの理想を語った作品ではないからです。

とは言え、たしかにレミゼも空想的な部分は多々あります。しかも信じられないような偶然が何度も何度も出てきます。

例えば、コゼットとジャン・ヴァルジャンの出会いや、何度も何度も繰り返されるヴァルジャンとジャヴェール、テナルディエの偶然の再会などなど、考えてみればどんどん出てきます。原作だとそれはさらに顕著です。

さらに言えばジャン・ヴァルジャンの英雄的性格、ジャヴェールの極端な性格、テナルディエ夫妻に育てられたはずのエポニーヌがなぜか天使のような性格であったりなど、現実ではありえないような人物造形。

人間離れしたヴァルジャンの逃亡劇、下水道という最悪の衛生環境から帰還など、物理的にありえないシーンもあります。

揚げ足取りではありませんが、こう見ていくとレミゼも空想的な物語のように見えてきます。しかもミュージカルの場合、ここに壮大な音楽や感情を揺さぶる歌が加わってきます。まさしくゾラが言うような、観客の心を揺さぶり、陶酔させる舞台です。

ただ、先ほども申しましたように、『レ・ミゼラブル』は現実的な面もしっかりふまえた作品です。ユゴー自身、自ら貧民窟に調査に出かけたり、ファンテーヌの逮捕の一件も彼が実際に体験したものでした。

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このように、レミゼは社会小説として実際の社会をかなり精密に描こうというユゴーの意志が込められているのです。そしてユゴーはこの作品が世の改良につながることを切実に願っていました。こうした側面があったからこそゾラも『リュイ・ブラース』のようには批判できなかったのではないかと思うのです。

もちろん、ゾラの言わんとするところはわかります。

たしかにレミゼを観て、あまりに素晴らしすぎるという感想がどうしても起きてしまいます。

ジャン・ヴァルジャンはあまりに巨大な人物です。以前の記事でも書きましたが彼はもはや神話の神々やキリストになぞらえた存在ですらあります。つまり、現実の人間とはかけ離れた空想的な英雄なのです。そうした英雄の冒険物語であると言われたらその通りとしか言えないのです。

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自然主義文学の立場であるゾラからすれば、それは小説的空想の存在であって現実ではないのです。

また、劇的なストーリーや壮大な音楽、歌で観客の心を空想の彼方へ連れて行ってしまい、現実を忘れさせてしまうというゾラの主張もその通りです。

ゾラはおそらくレミゼを批判するでしょう。

しかしそれでいいんだと思います。

ゾラにはゾラの信じる文学スタイルがあります。

そしてその文学スタイルが私は大好きです。

ですが、ユゴーのレミゼもやはり偉大なことに変わりはありません。たしかに観客を陶酔させ、理想ばかりを見せてしまうという側面もあるかもしれませんが、ユゴーの理想主義的な壮大な物語が人々に与えた影響というものは実際には測り知れません。

人は現実だけでは生きてはいけません。現実という厳しい世界を生きるためには理想的な物語も必要なのです。一人の人間の力を超えたはるかに巨大な物語、偉大な人物像、美しい理想!これらがあるからこそ現実にも意味が与えられるということがあるのではないでしょうか。

ゾラは驚くほど鋭い目で世の中を観察し、それを切り取ります。ゾラが指摘していることは「まさしくその通り」なのです。ただ、世の中正論だけではどうにもならないこともあります。人間は本来矛盾した存在です。あまりに科学的、客観的に世の中を観ようとするとそれはそれで見過ごしてしまうものがあります。

ありきたりな答えになってしまうかもしれませんが、やはり何事も中庸が大事なのではないかとこの二人を見ていると感じます。

ゾラも素晴らしいしユゴーもやはり素晴らしいのです。問題はそのバランスにあります。私達受け手がどの立場に立って彼らの作品を受け取り、日々生きていくか。そこに問題があります。

もしかすると、「たかが小説ひとつで人生問題にされてはかなわんよ」と感じる方もおられるかもしれません。

しかし、私はあえて言いたい。「私の生活は、私たちが日々摂取している物語によって決定されている」と。

私たちは普段大量の情報を受け取って生活しています。それらは意識上でも無意識下でも私達に大きな影響を与えています。

「あなたは普段、どんな物語を摂取していますか?どんな物語と共に生きていますか?」

これは意識して考えてみないとなかなかわからないことです。

「私たちは普段何を大切にし、何が好きで何が嫌いか、どんなことに価値があると思い生きているのか。」

これが物語が語ることです。

小説を読む、あるいはテレビや映画、ネットを見るということはこうした物語を摂取することに他なりません。そしてその物語をどう私たちが捉えていくのか、それが私達の生活と直結していきます。

これは僧侶として宗教を学んでいる私の実感でもあります。宗教もまさしく人々に物語を語る存在であるからです。

単に小説といっても奥深いものがあるのです。特に古典として世界中で100年以上も愛されてきた作品にはものすごい力があります。一時の流行で終わるのではなく、時が経っても読み継がれるということはそれだけ読む者の心に大きな影響を与え続けている証拠です。人間の本質は時代を経ても変わりません。そこにアクセスできるのが古典の素晴らしさであると私は思います。

私はユゴーの『レ・ミゼラブル』から特に大きなインパクトを受けることになりました。

そのインパクトが巨大であるが故に、ゾラが私の頭をよぎったのでした。やはり私はゾラも大好きなのです。だからこそ今回の記事で述べたようなことが私の中に浮かんできたのだと思います。

ドストエフスキーを学ぶ過程で出会ったゾラとユゴー。

もしドストエフスキーを学んでいなければこの二人と出会うことは無かったかもしれません。

この二人と出会えたのは本当にありがたいご縁だったなと思います。

ぜひ皆さんもこの二人と出会って頂けたらなと思います。本当に素晴らしい作品がわんさかあります。ぜひぜひおすすめしたい作家です。

以上、「エミール・ゾラは『レ・ミゼラブル』をどう見るだろうか考えてみた」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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