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インドは旅人に「答え」ではなく「問い」を与える~インド・スリランカの旅は私に何をもたらしたのか

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【インド・スリランカ仏跡紀行】(102)あとがき
インドは旅人に「答え」ではなく「問い」を与える~インド・スリランカの旅は私に何をもたらしたのか

私の旅もいよいよ終わりを迎える。

飛行機の出発は18時。私はマトゥラーからそのまま空港へと向かった。

前回と、この度のインドで大変お世話になったガイドのグプタさんともここでお別れだ。

インド日本語ガイド歴35年の大ベテラン、スバッシュ・グプタ(Subhash Gupta)さん

グプタさんのおかげで私のインドの旅は様々な発見に満ちたものとなった。グプタさんは豊富な知識だけでなく、素早い機転や深い洞察力も兼ね備えた方である。グプタさんとの会話はいつも私の思考に刺激を与えてくれた。私が疑問に思っていることを察知し、それに対する的確な答えを与えてくれるのである。だからこそ私はより深くインドと向き合うことができた。私は何度グプタさんに助けられたかわからない。

そしてインドという予測不可能なカオスの中でも、グプタさんといるととにかく安心できたのである。実は2回目のインドでカジュラーホーやアジャンタ、エローラを巡ったあの旅はとびっきり楽しかったのである。それもまさにグプタさんのおかげであった。空港で初めて会った瞬間、「あ、この人は信頼できる」と私は感じたのだ。そしてその感覚は間違っていなかった。だからこそ私はこの最後のインドの旅でもグプタさんにガイドを依頼したのである。

これから先インドに行かれる方はぜひ旅行会社さんにこのスバッシュ・グプタさんをお願いするのをおすすめする。仏跡ツアーのスペシャリストでもあるので、仏跡ツアーに行かれる方には特におすすめしたい。

私にとってのインド・スリランカ仏跡紀行

さて、いよいよ帰国である。

なんとかここまで走り切った。インドで体調を崩さずここまで無事にやって来れたのは私にとって奇跡にも等しい。やはり8月の初めてのインドの経験は大きかった。あそこで倒れたからこそ、その後のインドで対策を取ることができたのである。いきなりこの旅に突入していたら間違いなくダウンしていたことだろう。

これでインドの旅は終わりである。そして私の「宗教とは何か」を訪ねる世界の旅もこれで終わりを迎える。

2019年の世界一周旅行から「親鸞とドストエフスキー」をテーマに巡ったヨーロッパ。そしてこのインド・スリランカ仏跡紀行。ちょうど5年にわたる大がかりな旅となった。

その5年の旅において私が最も大切にしていたのが「宗教は宗教だけにあらず」という考え方だった。この旅行記でも「(11)なぜ仏教僧侶の私がヒンドゥー教について学ぶのか~仏教聖地を巡ればよいではないかという疑問に答えて」の記事でお話ししたが、私の5年間はまさにそのことを突き詰めた時間だったように思う。

世界の宗教や歴史を学び、様々な宗教や文化の背景となるものを探求した日々。キリスト教やイスラム教など、仏教とは異なる文化に実際に足を運びその感覚を胸に刻んだ。

そして仏教の学びを通して、私自身の仏教とは何かを問う旅が始まった。これまではキリスト教やイスラム教など、完全に違う文化を見てきた私であったがいよいよ同じ仏教文化圏における比較が始まったのである。

大乗仏教、その中でも浄土真宗という特殊な文脈を持った私が、東南アジアの上座部仏教に対して何を思い、何を感じるのかというのは私にとっても大きな挑戦だった。

そしてその結果はこれまで皆さんが読んで頂いた通りである。

私には私の文脈がある。そのことに大いに気づかされた旅であった。

特にスリランカでの日々は忘れることができない。スリランカ仏教の歴史は自分達日本仏教のあり方を問う試金石でもあったように思う。スリランカ仏教の歴史を知ることで、教義や儀礼、実践面だけでなく、その地その地における特殊な条件が仏教を形作ることを強く感じることとなった。

スリランカにはスリランカの文脈があり、日本には日本の文脈がある。そのどちらが正しくて、どちらが優れているというわけではないのである。その上でお互いの違いを認め合いながら切磋琢磨していけばよいのである。私はこの旅を通して自分の信じる浄土真宗の教えに改めて自信を持つことができた。私は堂々とそれを貫き、その教えを実践すべく日々精進すればよいのである。何のコンプレックスも持つ必要がないのだ。こうした意味でも私のインド・スリランカ仏跡紀行は苦しみながらも大きな収穫となったことは間違いない。

インドは旅人に「答え」ではなく「問い」を与える

インドは「好きになってハマる人」と「二度と行くものかと大嫌いになる人」の両極端で分かれるというのは有名な話だ。

私はどちらかというともちろん、大嫌いな方に分類される。とはいえ、3度も行っているのだからもはや大嫌いでは通用しない。なので最近私はよく「大嫌いだが大好きだ」と言うようにしている。

私がインドを嫌いなのはやはりその衛生面と食事、そしてそのカオスっぷりに理由がある。特に衛生面と食事はもう完全にアウトである。これはどうしようもない。私にはトラウマがある。

だが、そのカオスっぷりに関して言えば、嫌いではあるがやはり面白いというのも正直なところなのである。

「(10)インドは最後までインドだった。目の前で起きた交通事故の運転手に度肝を抜かれた最終日」の記事でもお話ししたが、皆さんはこのエピソードを覚えているだろうか。(ちなみに、ここで出てくるガイドさんはグプタさんとは別人である)

そしていよいよ最終日、私は空港へと向かっていたのだが、珍しく高速道路が空いていたのである。

「明日はお祭りなので道が空いています」

ガイドさんはそう説明してくれた。ほお、そうなのか。

だが、しばらくするといつの間にか渋滞にはまり出した。

すると彼はこう言ったのである。

「明日はお祭りなので道が渋滞します」

え?さっきと言ってることと真逆では?ものの30分ですよ?

これがインド人なのか。適当。矛盾を気にしない。

神様は気まぐれだ。神様が笑っていればいいことがある。もし怒れば悪いことが起こる。首尾一貫した神様などいない。

因果や論理はあまり考えない。「神様のご機嫌次第」。これは何が起こるかわからないカオスの国インドならでは思考法なのかもしれない。

そう考えると、因果関係を厳密に追い求めようとする仏教がいかに論理的なことか。

だが、この瞬間ふと思ったこともある。

「空いている道もある。それはお祭りのため」。だが同時に「お祭りのために混んでいる道もある」。

こういう風に考えることもできるのではないか。となるとあながち矛盾でもないか・・・あぁ、もうやめよう、このままではどつぼにはまってしまう。

「(10)インドは最後までインドだった。目の前で起きた交通事故の運転手に度肝を抜かれた最終日」の記事より

そう、インドでは何が起こるかわからない。そしてそれに対しての明確な答えも存在しない。「こうだからこうなった」というのが通用しない世界なのである。それこそ神様のご機嫌次第なのだ。

このような世界にいると、当然自分の頭で物事を解釈していかなければならなくなる。何かよくわからないものが目の前に現れるが、それに対する答えやその糸口すらも見つからない。そうなると自分で何か答えをひねり出すしかないのである。

そしてそれが積み重なると自分なりのインド像なるものが出来上がってくる。これが面白いのだ。

この自分なりのインド像はもちろん、「インドそのもの」ではない。それはあくまで「自分だけのインド」である。この明確な因果関係が見えないカオスのインドには「空白」がありすぎる。その空白を埋めるのが私達ひとりひとりであり、そこに各々の個性が見えてくるのだ。

世の中には無数のインド旅行記や体験記があふれているが、それが面白いのもこれが理由ではないだろうか。インドには空白が多すぎる。そしてそれを埋めるべくそれぞれの個性が現れてくる。その個性に我々読者は惹かれるのである。

そしてこれも強調したいのだが、こうした空白の多さはまさにロシアの文豪ドストエフスキーも同じなのである。

ドストエフスキー(1821-1881)Wikipediaより

世の中には膨大なドストエフスキー論があふれている。これはトルストイやチェーホフなどと比べてもその差は歴然だ。ドストエフスキーは他の作家と比べても圧倒的に論じられることが多い作家なのである。

実際、このドストエフスキーの作品も空白だらけだ。「こうだからこうなった」という論理が存在しない。だからこそその空白を埋めるべく各読者が自らの内から必死に答えをひねり出すのである。

「ドストエフスキーは答えを与えるのではなく、問いを与える作家である」ということをジェルジ・ルカーチやアンドレ・ジイドは述べている。(※ルカーチ『トルストイとドストイェフスキイ』、ジイド『ドストエフスキー』参照)

私もまさにそう思う。そしてドストエフスキーと同じようにインドも私達に問いを与える存在なのである。

だが、そう考えればひとつの恐ろしい問題も生じてくる。

インドやドストエフスキーについて語ることは「その人自身」を開示することでもある。つまり、インドやドストエフスキーについて論じた事柄はその人自身の思想やあり方をかなりの部分示してしまうということでもあるのだ。

そう、インドやドストエフスキーはその人自身を映す鏡なのである。

これは実に恐ろしい。私自身ここに書いて戦慄している。これはもう迂闊にはインドやドストエフスキーについて語ることは控えた方がよいかもしれない。

まあ、冗談はよしとして、インドの面白さはこうした「空白の多さ」によるものが大きいのではないかと私自身は考えている。

インド仏跡旅行に絶対おすすめ!私もお世話になった旅行会社アショカツアーズ

私の【インド・スリランカ仏跡紀行】はアショカツアーズという旅行会社に現地でのコーディネートをお願いしていた。

車やガイド、スケジュールなど、私の細かい要望や普通の観光客が行かないマニアックな場所までとにかく丁寧に対応してくださった。

特にスリランカにおいては大仏のために現地の人もほとんど行かないようなジャングルの奥地まで行くという要望や様々な難題にも応えて下さり本当に感謝しかない。しかもキャンディではスリランカ仏教の二大宗派の両管長との面会まで組んで下さった。あの日の衝撃は今も忘れられない。

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そしてスリランカの素晴らしいガイド、プラバースさんを紹介してくださったのも私にとって非常にありがたいことであった。プラバースさんはあらゆる面で超一流のスーパーマンのような方だった。このような方と3週間近くスリランカを巡ることができたのは実に刺激的だった。仏教に対する知識や実践も深く、プラバースさんとの仏教談義はとてもスリリングで興味深かった。私自身とても勉強になった日々だった。

アショカツアーズさんはこちらのHPにあるように仏跡旅行に特化した旅行会社だ。

もちろん、仏跡以外にもインド・スリランカ旅行全般で安心して依頼できる。私が仏跡以外の場所も数多く訪れているのは皆さんも知っていることだろう。それらもすべてアショカツアーズさんに依頼している。

私がこれほど安全に最後まで旅を続けることができたのはアショカツアーズさんのサポートあってのことだ。それは間違いない。担当して下さった涌井さんには深く深く感謝申し上げたい。

インド・スリランカ旅行を考えられている方にぜひおすすめしたい会社である。

最後に

いよいよ、100回を超える私の旅行記もこれで終了である。

長かった・・・

読むのも大変だったかもしれない。

だが、私にとってこれは「やらねばならぬ大きな試練」であった。

「私にとって宗教とは何か。仏教とはなにか」

10年以上にわたって研究し続けてきたこの課題の集大成がこのインド・スリランカの旅であった。

特にスリランカを巡ることができたのは私にとって大きな財産となった。「宗教は宗教だけにあらず」をここまで強烈に体感することができるとは想像もしていなかった。そしてその体験があったからこそ最後の仏跡巡りがより深い体験となったのである。これらは私の仏教人生においてもひとつの基準点となることだろう。

だが、これで私の旅は終わりではない。

これから先、私はいよいよ浄土真宗の開祖親鸞聖人に関する著作の制作のため、中国や日本仏教の研究を開始する。

インドでもそうであったように、私は歴史をさかのぼり古代から学び始める予定だ。ここから先の道もまだまだ長い。ここで休んではいられないのである。私に残された時間は少ない。これからも変わらず、私は本の海に潜り続けよう。

これにて【インド・スリランカ仏跡紀行】は完結である。皆様、これまでこの長い旅行記にお付き合い頂き誠にありがとうございました。またお会いしましょう。

真宗木辺派函館錦識寺副住職 上田隆弘

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※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。

「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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