インドの仏教聖地に感動できない私は僧侶失格か。ブッダガヤに沈む・・・
【インド・スリランカ仏跡紀行】(90)
インドの仏教聖地に感動できない私は僧侶失格か。ブッダガヤに沈む・・・
いよいよ核心までやって来た。
私はインドの仏跡に来てもほとんど感動することができなかった。
特にブッダガヤではそれが顕著であった。単に感動できなかっただけではない。自分が苦しくなるほどネガティブな感情に支配されることになってしまった。
ブッダガヤは仏教の聖地中の聖地である。
他の国の巡礼団は真剣にブッダガヤでお参りしている。しかし私は彼らと違うのである。彼らを見れば見るほど私の心は沈むのである。私は仏教徒として最も重要なものが欠落しているのだろうか。ここで神聖な心境になれない私は仏教僧侶として失格ではないか。私はそんな念に駆られてしまったのである。
だが、最終的に私はその真逆の結論に至ることになった。私は疑いようもなく浄土真宗の僧侶だったのである。
今回の記事ではそんな私の率直な思いをお話ししていきたい。
前回の記事「(89)ブッダガヤは誰のもの?ブッダガヤ奪還運動の歴史とダルマパーラの大菩提会」でブッダガヤの歴史をお話ししたが、皆さんいかがだったろうか。きっと驚かれたに違いない。
仏教聖地ブッダガヤにまつわる裏事情を知ると、それまでイメージしていた仏教聖地のイメージががらっと変わってしまったのではないだろうか。
インドにおける仏教聖地というのは長きにわたって忘れ去られていた。それが19世紀に再発見され、20世紀後半になって急速に観光地化するようになったのである。そしてそこに各仏教国の巡礼熱やインド政府の思惑など様々なものが入り乱れる、複雑怪奇なものであったことが前回の記事で明らかになったと思う。
私達はもはやそれを知ってしまった。それを知ってしまってはもう後には戻れない。私達の知る仏教聖地は全く違ったものに見えてしまうのである。
これは私がスリランカのことを学び、実際に目にしたことも大きい。これはまさに仏教聖地の国として知られるスリランカでも行われていたことだったからだ。
私はこの記事で、自分がスリランカの仏跡に感動できなかった理由を述べた。私はスリランカでも仏教聖地に感動できなかったのである。
私はスリランカで「宗教的無感覚」に襲われることになった。聖地中の聖地を訪れても何も感じなかったのである。多くの人が心を込めてお祈りする目の前で、私は何も感じぬまま通り過ぎてしまったのだ。
私は古代遺跡に対する感性が弱い。だから最初はその無感動も私の「考古学的センスのなさ」が原因だと思っていた。しかし違ったのである。その無感動の原因が「人生の文脈」の違いであることに私は気づいたのである。スリランカは「シンハラ人の、シンハラ人による、シンハラ人のための仏教聖地」なのであり、「シンハラ人の文脈」において感情に訴えかける場所だったのだ。そこに「異邦人」たる私が入る隙間などない。(※シンハラ人とはスリランカの仏教徒のこと)
そしてこれは逆も然りだろう。シンハラ人が日本の東大寺や法隆寺などを訪れても、宗教的な感情が湧かない可能性は大いにある。同じ仏教の聖地といっても、「人生の文脈」が違えば宗教的な感覚が湧き起こらないのも当然なのである。
私達には人それぞれ「人生の文脈」というものがある。それはその土地その土地特有のものであり、ひとりひとりの生い立ちによっても異なる。
私はスリランカの聖地を訪れたことで「シンハラ人の文脈」というものを強く意識することになった。そしてそれは同時に「私の文脈」を見つめることでもあった。
私達は知らず知らずのうちに「自分の文脈」を生き、そしてそれに沿う物語を求めている。シンハラ人がシンハラ人のための仏教史を編み出したように・・・。
そしてここブッダガヤでもその文脈を私は感じることになった。
どんな?
それは各国の仏教教団の文脈である。特にスリランカやタイ、東南アジアの文脈が強いのがこのブッダガヤであるように私は思う。
先にも述べたように、ブッダガヤはダルマパーラが先陣を切って奪還運動を始めた。その影響でこの仏跡はスリランカ仏教の影響が強い。そしてスリランカの仏教は東南アジアの仏教である上座部仏教であることから、タイやミャンマーなどとも共通するものが多い。
というわけでブッダガヤも私が訪れたスリランカの雰囲気を感じさせる場所なのである。
となれば私が再び「宗教的無感覚」になるのも仕方あるまい。
たしかにここはブッダの聖地だ。だが、ここには私の文脈がなかったのである。ここに来る前からそれは薄々予感していたことだったが、ここまで無感覚になるというのは自分でも驚きだった。
スリランカならば自分とは全く異なる文脈だから仕方がないと思った。しかしブッダガヤは全仏教徒の文脈であるはずである。スリランカなどの上座部仏教や日本の大乗仏教を問わず、その根源がここにあるはずなのである。それでもだめだった。私にはここに反応できる文脈がなかったのである。
つまり・・・私にはブッダの文脈がないということなのか。仏教徒として何かが欠落しているのだろうか・・・
だが、それも違うのである。
実は私はインドの仏跡で感動した場所がいくつもある。
その最たるものがナーランダー大学だった。ここは正確にはブッダゆかりの聖地ではないが仏跡には変わりあるまい。そして祇園精舎にも私はぐっと来た。この後行くサールナートもである。
皆さんはこれらの仏跡の共通点がわかるだろうか。
そう、これらは各国仏教の文脈がない、むき出しの遺跡なのである。
ここにはブッダガヤのように各国教団の宗教施設がない。そして各国の巡礼団が一か所に密集するということもない。つまり、各国の文脈を感じることがない場所なのである。そういう場所であれば私は静かにブッダの足跡に思いを馳せることができたのだ。
ああ、なんということだろう。私は古代遺跡の類が苦手であったはずである。しかしインドにおいては真逆だったのだ。何の色付けもない古代遺跡にこそ私の文脈があったのである。
私の中にブッダの文脈がなかったわけではなかったのだ。
そして同時に思う。
私は浄土真宗の僧侶なのだということも。
浄土真宗は平安末期から鎌倉初期にかけて生きた親鸞聖人を開祖とする仏教だ。
浄土真宗ではブッダよりも阿弥陀如来を重要視する。
もちろん、だからといってブッダの重要性が軽んじられることはない。ただ、浄土真宗の文脈においては阿弥陀仏を中心とした仏教観がどうしても強くなってしまうのである。そしてこれが上座部仏教だけでなく、日本の他宗派とも大きく違う文脈をもたらすことになるのである。
では浄土真宗は他の仏教とどこが違うのか、どうしてそうなったのか、そのことをお話しせねばならないところだろうが、それをやろうとすればそれだけで一冊の本が書けてしまうことになる。申し訳ないが今の私にはそれをすることができない。厳密に話そうとするとどうしてもややこしい問題が発生してしまうのだ。簡単に一言でまとめることはできないのである。シンプルですぐに伝わる答えがあればなんと楽なことだろうか。
というわけで具体的な文脈の違いはお話しすることができないのだが、私にとって確実なことがひとつある。
それはブッダガヤなどで他の仏教の文脈に接すると、嫌でも自分が「異邦人」であることに気づかされるということである。残念ながら私はここで同じ仏教徒としての連帯を感じることができなかったのだ。世界中の仏教徒がこんなにもたくさん熱心にお参りしているそのど真ん中で私は孤独を感じていたのである。
「私は彼らとは違うのだ」と。
これが今までの世界の旅のように、キリスト教やイスラム教の聖地であれば私が「異邦人」であることは自明すぎるほど自明である。だから今さら孤独やら差異について気に病んだりしない。
しかし同じ仏教徒だからこそこの文脈の違いが痛烈に身に刺さるのである。
彼らが是としている仏教の教え、作法、礼拝施設のひとつひとつが私という人間へのアンチテーゼのように感じられるのだ。
無論、上座部仏教と浄土真宗、どちらが正しくてどちらが優れているという話ではない。あくまでこれは文脈の違いである。私はここブッダガヤで大多数を占めている彼らの文脈とは決定的に違う文脈を生きている。同じ仏教徒であっても全く違う仏教を生きている。
でも、それでいいのだ。同じ仏教徒だからといって無理に同調する必要はない。他者に対して違和感を感じてしまうのは仕方のないことなのだ。むしろ、それこそ違いを認め合うということなのである。
私がブッダガヤやその他の仏跡で違和感を持ってしまったのも、それは私が日本の浄土真宗の僧侶だからなのだ。
私がスリランカや上座部仏教の文脈に馴染めないということは、自分自身の文脈が確固たるものとして存在しているということではないか。
そうだ。私は浄土真宗の文脈に生きる人間なのである。それでいいのだ。
ブッダガヤで感動できなかったからといって即僧侶失格なわけではない。私自身インドの仏跡で感じ入ることもあったではないか。私は繊細な人間だ。考えすぎともよく言われる。そんな私が他の強力な文脈にさらされたらそれは落ち込むのも当然だ。だからよいのである。そうだ、むしろここでの体験は私の文脈を強く認識させることになったではないか。
私は日本のお寺が好きだ。京都の本願寺で親鸞聖人の前に座れば自然と頭が下がる。阿弥陀様の前に座れば心がすっとする。三十三間堂や東寺は私の最も好きなお寺である。奈良の東大寺法華堂や戒壇院、興福寺や薬師寺、法隆寺も大好きである。そこに行けば私は自然と神聖な気持ちになっているのである。
もちろん、日々の生活の場である自坊、錦識寺が最も大切であることは言うまでもない。私はこのお寺が好きだ。このお寺に生まれたことに心から感謝している。このお寺を守ることは私の大切な役目だ。これが私の文脈なのである。
何やら妙な開き直りのような終わり方になってしまったが、これが私の思う正直なところである。
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仏教モダニズムの遺産:アナガーリカ・ダルマパーラとナショナリズム
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※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。
〇「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
〇「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
〇「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」
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