三島由紀夫『仮面の告白』あらすじと感想~三島の自伝的小説。幸福を求めあがいても絶対に得られないという絶望がここに…
三島由紀夫『仮面の告白』あらすじと感想~三島の自伝的小説。幸福を求めあがいても絶対に得られないという絶望がここに…
今回ご紹介するのは1949年に三島由紀夫によって発表された『仮面の告白』です。私が読んだのは新潮社、2023年新版第六刷版です。
早速この本について見ていきましょう。
【新装版、新・三島由紀夫】
Amazon商品紹介ページより
この告白によって、私は自らを死刑に処す――。
初の書き下ろし長編。のちのすべてが包含された代表作。〔新解説〕中村文則
女に魅力を感じず、血に塗れた死を憧憬しつつ自らの性的指向に煩悶する少年「私」。軍靴の響き高まるなか、級友の妹と出会い、愛され、幸福らしきものに酔うが、彼女と唇を重ねたその瞬間「私には凡てがわかった。一刻も早く逃げなければならぬ」――。少年が到達した驚異の境地とは? 自らを断頭台にかけた、典雅にしてスキャンダラスな性的自伝。
巻末に用語、時代背景などについての詳細な注解、佐伯彰一、福田恒存、中村文則による解説、さらに年譜を付す。
今作『仮面の告白』は三島由紀夫の初の長編となった作品です。しかもそうした「始まりの作品」でありながらこの小説はかなりどぎついです。後の三島を予感させる内面の苦悩、葛藤、嵐がすでにここに描かれています。
上の本紹介にありますように、本作の主人公は同性愛的傾向を持ち、さらには若い男の流す血に性的興奮を持ってしまうという、特異な少年です。ですが、彼はそのことに煩悶し、世間一般の幸福も望んでもいました。
しかし、やはり彼にはそのような平穏は許されていなかった・・・
この作品は三島由紀夫の自伝的な小説と呼ばれています。三島自身は妻を持ち子もいますので完全には小説そのままではありませんが、彼の抱えていた悩みやその生育過程が今作に大きな影響を与えたとされています。
本作について『文豪ナビ 三島由紀夫』では次のように解説されています。
『仮面の告白』は、三島由紀夫の屈折した変身願望を告白した野心的な小説と言える。それも、毒がたっぷりと塗られている。
この世にてっとり早く変身できるものがあるとしたら、それは「結婚」である。姓が変わり、家族が変わり、自分を取り巻く世間との関係も変わる。役割と責任が加わり、社会的な地位も与えられる。未熟な青年から、成熟した大人へ。つまり「結婚」は「変貌のべルトコンベアー」であり「脱皮のシステム」なのだ。
ところが、運命というものがあり、異性を愛せない人間だっているのだ。彼ら(彼女ら)は、「結婚すれば変われる」という第一歩を踏み出すことができない。だから、いつまでも「未熟」な状態のままで、生きねばならない。年をとり、偉くなったり、金持ちになったりしても、その心は未熟なのだ。かといって、「ピーターパンのように、自分は未熟なままでいいんだもん」と居直ることは、「健全な」社会がなかなか許してくれない。
『仮面の告白』の主人公は、生まれ変わりたくて、必死に女性を愛そうとする。異性愛の壁を越えねば、「結婚」から先のコンべアーに乗ることができないからだ。でも、そのたびに、女性を愛せない自分の心に気づく。
作家・三島由紀夫と、生身の人間・平岡公威(三島の本名)は、別人である。平岡公威は結婚もし、二人の子どもにも恵まれ、白亜の大豪邸も築き、天才としての名声も獲得した。「ノーベル賞作家になる」という目的だけは、達成できなかったけれど。
けれども、三島の心には、自分は「人並み以下なのだ」という、暗くて正直なコンプレックスがあった。『仮面の告白』ではそれを「結婚」という大人への階段を踏み出せない若者の悲劇として描いた。底に流れるのは「男性失格者」の哀しみではないか。
新潮社、『文豪ナビ 三島由紀夫』P27-29
まさにここで解説されるように、主人公は「社会普通の幸福である結婚」を求めるのです。彼は自分が女性に性的関心がないことを痛いほどわかっています。しかし性的欲情がなくとも心が通じ合えさえすればそれも変わるかもしれない、女性を愛することができるかもしれないと彼は必死に努力します。・・・しかし、彼の一縷の望みはあっけなく潰えることとなります。その決定的瞬間を三島はあまりに強烈な文章で私達に突きつけます。
私は彼女の唇を唇で覆った。一秒経った。何の快感もない。二秒経った。同じである。三秒経った。―私には凡てがわかった。
新潮社、三島由紀夫『仮面の告白』P182
期待と不安、あまりに悲痛な願いと絶望。この三秒は文学史上に残る名文なのではないでしょうか。
この「凡てがわかった」という一言の悲しみたるや・・・
『仮面の告白』は少年の悲痛な内面を吐露した作品です。「世間一般の求める幸福」が自分には得られないという絶望。どうあがこうと自分は決定的に社会とはずれている・・・求める幸福は決して得られることはない。
私はこの小説を飛行機の中で読みました。
どこへ向かう飛行機で?ー東京です。
何をしに?ー妻とディズニーランドに・・・
私はあろうことか妻と初めて行くディズニーランドの旅路でこの小説を読んでいたのです。
そしてディズニーランドを歩きながら私は幸福感を味わっていたのでありますが、そこで三島のこの小説が頭をよぎるわけです。「私は今幸福を感じているが、もし感じることができなかったらどうなるのだろうか」と。
『仮面の告白』の主人公は頭では「二人での時間は幸せであるべき、いやあってほしい」と考えるわけです。ですが、唇を重ねた三秒でわかってしまうのです。感じることができないことを・・・。
頭で思い、考えることと、実際に感じることでは大きな溝があります。
ディズニーを歩きながら何度も何度も三島由紀夫が頭をよぎりました。なんてとんでもない毒を盛ってくれたんだと私は思わずにはいられませんでした。
それにしても、三島由紀夫は早く死にすぎました。彼が自刃した1970年から13年後に東京ディズニーランドはオープンすることになります。この夢の国に対して三島由紀夫は何を思うのだろうか。ぜひそれを書き残してほしかった。死なずに、その後の世界を見届け、私達に声を届けてほしかった。そんなことをディズニーを歩きながら強く思ったのでありました。
この三島由紀夫とディズニーランドについては後に改めて記事を書きたいと思います。
なんと、調べてみると三島とディズニーには思わぬ関係があったのです。皆さんもきっと驚くと思います。私自身も度肝を抜かれました。
※2024年8月追記
この記事でお話ししたディズニーの記事がこちらです。ぜひご参照ください。
さて、話は少し反れてしまいましたが、『仮面の告白』は現代でも力を持つ奥深い作品です。あの「絶望の三秒」をぜひ味わってみてはいかがでしょうか。
以上、「三島由紀夫『仮面の告白』あらすじと感想~三島の自伝的小説。幸福を求めあがいても絶対に得られないという絶望がここに…」でした。
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