ディサーナーヤカ『パニワラル―駐日スリランカ大使が見たニッポンー』あらすじと感想~スリランカ人から見た日本とは!
ダンミカ・ガンガーナート・ディサーナーヤカ『パニワラル―駐日スリランカ大使が見たニッポンー』概要と感想~スリランカ人から見た日本とは!
今回ご紹介するのは2019年に創英社/三省堂書店より発行されたダンミカ・ガンガーナート・ディサーナーヤカ著、浮岳亮仁訳の『パニワラル―駐日スリランカ大使が見たニッポンー』です。
早速この本について見ていきましょう。
駐日スリランカ大使が見た、日本の姿
Amazon商品紹介ページより
日本で学び、日本を愛し、2015年から駐日スリランカ特命全権大使を務める著者が感じた日本の姿を綴ったエッセイ。
スリランカの新聞に連載していたシンハラ語の原著を、
著者と親交の深い天台宗泉福寺の副住職、浮岳亮仁氏が翻訳。
日本人が見落としがちな日本の日常の素晴らしさを再認識できる一冊。
本作『パニワラル―駐日スリランカ大使が見たニッポンー』はスリランカ人から見た日本を知れる刺激的な一冊です。
私は今スリランカについて様々な本を読んで学び、様々なことを考えているわけですが、それは逆も然り。スリランカ側からも日本は見られています。
以前当ブログではインド人から見た日本が綴られたエッセイ、P・アイヤール著『日本でわたしも考えた』をご紹介しました。
今作『パニワラル―駐日スリランカ大使が見たニッポンー』はまさにそのスリランカ版と言うべき作品です。
インドとスリランカの違いとして私が特に注目したいのは、インドがヒンドゥー教が主であるのに対しスリランカでは仏教が根付いているという点です。
同じ仏教徒であるスリランカと日本では仏教のスタイルも生活文化も全く異なります。同じ仏教徒でありながらまるで違うスリランカ人が見た日本とはどのようなものなのか、これは興味深いテーマです。
本書の中で特に印象に残っているのがスリランカと日本の死生観の違いです。
著者は幼い頃に母を亡くされています。そんな著者と日本のタクシー運転手とのやりとりが記されていました。
日本に留学していた頃のある日、アルバイトの夜勤を終えた私は、タクシーで家に帰るのが夜中の3時頃になった。その時、真っ暗な夜空の上から、母が私のことを見ているのが私には見えた。すると、眠気覚ましかタクシーの運転手が話しかけてきた。
「お客さん、私、昨日の晩、お袋の夢を見ましてね……。今日明日にでも休みを取って田舎に帰ろうかと思うんです。お袋の墓が草ぼうぼうになっているんじゃないかと思いましてね。そのせいでそんな夢を見るんじゃないかって……」と、死者の霊を崇拝する彼はこう言うのだった(註:スリランカでは輪廻転生を信じるので、先祖やあの世といった考えがない)。それに対して、私は母の誕生日はおろか、命日も知らなかった。のちに偶然出会った母の友人からもらった小さな写真以外、私の手元には母に関する物は何もない。私には母について、これ以上、話せることも書けることもないのだ。
風船を待ったミッキーマウスの絵が描かれている水筒を肩にかけた小さな子供を抱えた一人の母親が道を横切って行く。私は立ち止まって考える。あれは私のお母さんではないかと。小さな子供が乗ったブランコを押している一人の母親がいる。子供ははしゃぎ、歓声を上げている。私は立ち止まって考える。あれは私のお母さんではないかと。
創英社/三省堂書店、ダンミカ・ガンガーナート・ディサーナーヤカ著、浮岳亮仁訳『パニワラル―駐日スリランカ大使が見たニッポンー』P26
「あれは私のお母さんではないか」
私はこの一言に日本とスリランカの死生観の大きな違いを感じたのでありました。皆さんはいかがでしょうか。
また、死者へのお参りについての次の箇所も印象的でした。
年に一度だけ、父は午前4時ぐらいに私を起こした。その日は母の誕生日で、供養のために仏歯寺へ供物を奉納するのだ。私が起きるころには、父はたった一人で調理を終え、いくつもの銀色に盛り付けるのも終えていた。仏歯寺の僧侶たちへの供物として、父が用意するのはいつも麺(註:小麦粉で作った麺のこと。見た目はビーフンに似ている)だった。これは母の大好物だったからだと父は言っていた。私と父は包んだ供物の鉢を重ね、慎重に袋に収める。私たちが台所でこうしていることを、母はきっとそばで見ているにちがいないと私は思った。そして夜明け前に徒歩で駅まで向かい、「ボディマニケ号」(小さな宝石―「姫」の意味)という列車に乗る。道中での会話はなく、やがて仏歯寺に着くと大玄関から仏舎利が安置されている内陣(一般には入れない)でお参りさせてもらい、供物を奉納させてもらう。供物の包みを開くこの瞬間、私たちについてきた母も湯気となって一緒にここにいるのだと私は思った。
また、父は年に一度、母が眠る墓地に行き、ろうそくを灯してきた。私は、この日が母の命日に違いないと思った。父は、朝晩、台所のかまどから拾った炭を柄香炉にくべ、抹香を振りかけ、もうもうと立ち上る煙とともに小走りで仏間へ向かう。ここでお香の煙を振り向けた後、居間に戻り、母の写真や、今は亡き祖父にも煙を振り向け、再び仏間へと戻った。その時、亡くなった人たちも皆、私たちと一緒にこの家に住んでいるのだ、と私は思った。
母は私の側にいるのだ、という感覚がある。何か辛いことがあった時、それを話すのはその母にである。母はそれをすべてじっと聞いてくれる。わが国(スリランカ)では、死者は供養して、遠くに行ってもらうと考える。もし死者が近くにいると考えたら怖いからだ。私が、このように亡き人が近くにいると感じるようになったのは、日本に留学していたころからだ。日本人は亡き人たちと一緒にいる感覚は普通のものだ。彼らからすると、死んだかどうかはあまり問題ではないようにも見える。
創英社/三省堂書店、ダンミカ・ガンガーナート・ディサーナーヤカ著、浮岳亮仁訳『パニワラル―駐日スリランカ大使が見たニッポンー』P33-34
「私が、このように亡き人が近くにいると感じるようになったのは、日本に留学していたころからだ。日本人は亡き人たちと一緒にいる感覚は普通のものだ。彼らからすると、死んだかどうかはあまり問題ではないようにも見える。」
これも日本人ではないからこそ見えてくる日本人の姿ですよね。正直「死んだかどうかはあまり問題ではない」とまでは私も言い切れませんが、生と死が断絶していないというのはあながち間違ってはいないように私は感じます。
本書では他にも日常の様々な事柄や日本での出来事などが説かれます。時にはユーモア溢れる語りもあり思わずクスっとしてしまう箇所もあります。
本書はスリランカで連載されたコラムを翻訳したものになります。この本で語られたことを多くのスリランカ人が読んでいるわけです。私がスリランカを見ているように、スリランカ人も日本を見ています。
私は近々スリランカを訪れる予定です。私はスリランカを訪れる異邦人です。その異邦人の目を大切にして日本とは異なるスリランカを見てきたいと思います。そしてその体験を基に日本について考えられたらと思っています。
また、本書の訳者、浮岳亮仁氏が僧侶であられることにも驚きました。大学卒業後からシンハラ語(スリランカの言語)を学び、遂には本書を翻訳されたとのことでその熱意に私も熱くなるものを感じました。こういう方がおられるのだと私も大いに刺激になりました。
私たちが生きる日本という国についていつもと違った視点から考えていける刺激的な一冊です。ぜひぜひ皆さんも手に取ってみてはいかがでしょうか。
以上、「D・G・ディサーナーヤカ『パニワラル―駐日スリランカ大使が見たニッポンー』~スリランカ人から見た日本とは!」でした。
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