(33)サンタンドレア・アル・クイリナーレ聖堂を訪ねて~ベルニーニのパンテオンたる、建築の最高傑作!
【ローマ旅行記】(33)サンタンドレア・アル・クイリナーレ聖堂~ベルニーニのパンテオンたる、建築の最高傑作!
今回ご紹介するのは晩年のベルニーニの教会建築の最高傑作との呼び声高いサンタンドレア・アル・クイリナーレ聖堂だ。
悪条件を克服して傑作を生みだしたベルニーニ
サン・タンドレアは、前教皇イノケンティウス十世の甥カミルロ・パンフィーリの後援で、イエズス会の修練士のために建てられた教会である。アレクサンデル七世とべルニーニがこの教会の建設にいかに情熱を傾けたかは、その計画について三人で幾度も検討し合ったことをうかがわせる教皇自身の日記に明らかだ。
しかし、この教会の建設には初めから厄介な問題があった。この場所にはすでに修道院が建てられていたために、教会の敷地として利用できるのは奥行きのない横長の土地しかなかったことである。しかしベルニーニは、この悪条件を克服するために、横長の楕円形プランという思いきった解決策を講じた。横長の楕円形というプランはまったく前例がないわけではない(パルマにフォルノーヴォが一五六六年に建てた教会がある)。しかしそれでも、まことに大胆で独創的な試みであることには変わりがないであろう。
そしてこれに加えてさらに称讃すべきは、ベルニーニが与えられた悪条件をむしろ最大限に生かして、バロック建築の傑作の一つに数えられる作品を創造したことである。べルニーニは常々、建築において最も称讃さるべきは、単に美しくりっぱな建物をつくることではなく、あたえられた悪条件を克服してそれを美しい作品に転化することだ、と考えていた。
彫刻の場合にも、彼が困難な課題に取り組むことをむしろ好み、その克服に非常な努力を傾けたことは、すでに述べた通りである。困難をむしろ創造へのバネとするべルニーニの気質は、建築においても変わりはなかった。彼は「もしそれ(障害)がなかったならば、それを作る必要かある」とさえ言っているのである。このサン・タンドレアの横長の楕円形プランは、悪条件がベルニーニの創造力を奮い立たせた好例だといえるだろう。
吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P144-145
※一部改行した
上の解説にあるように、ベルニーニは横長の土地という悪条件の中この聖堂を設計した。縦長や正方形の土地ならば設計はしやすい。普通ならば設計に詰まってしまうこの不利な状況ではあったがベルニーニは一味違った。この男は逆境になればなるほど燃え上がる男だったのである。
ベルニーニのパンテオンとも言える驚異の内部空間
では、内部には一体どんな空間が待ち受けているのだろうか。扉を押して聖堂の中に足を踏み入れたわれわれの前に広がるのは、思いもよらない空間、横長の楕円という空間である。したがって、正面の祭壇はぐっと迫って見え、空間は湾曲しながら横に広がっていく。まったく、見たこともない空間だ。
しかし、この空間は狭く、また特異な形をしているにもかかわらず、決して息苦しくはなく、むしろゆったりとした印象を与える。また、柱やコーニスなど細部のバランスは絶妙で、空間のアーティキュレーション(分節)も実になめらかだ。つまり、ここには、楕円という形態が生み出す静かなダイナミスムと、適切な比例にもとづく空間の安定感とが混在しているのである。ダイナミスムと安定感という一見矛盾したものの融合は、古代建築の雄、パンテオンを思い起こさせる。実際、べルニーニはサン・ピエトロ大聖堂には一〇〇の欠陥があるが、パンテオンにはそれがないといい、パンテオンを最高の建築だと考えていた。このサン・タンドレア聖堂は、こうしたベルニーニのパンテオンへの傾倒と、そこで学んだことのすべてが結晶した、いわば「べルニーニのパンテオン」、あるいは「バロックのパンテオン」といってもいいのではないか、と私は秘かに思っている。(中略)
ところで、この聖堂は「べルニーニの真珠」と呼ばれることがある。そのとおり、小粒だが美しい、そしてイタリア人が好むいい方でいえば、「シンパーティコ」、つまり感じのいい聖堂なのだ。この聖堂が結婚式場として好まれる理由も、そこにあると思う。そして、そうした魅力の源泉が、用いられている石材の美しさにあることも見逃すわけにはいかない。私は今、この聖堂の空間構成の根底にパンテオンからの影響がある、といったが、石材の用い方にもパンテオンで学んだものが生かされている、と思う。たとえば、べルニーニはここで、パヴォナゼットと呼ばれる赤紫の色大理石などを、十分吟味したうえで巧みに用いている。このような色大理石を駆使した内部装飾はバロックの、いわば「おはこ」だが、この聖堂におけるほどそれが成功している例は見たことがない。そこには、彫刻と建築における色彩の問題を探求しつづけたべルニーニならではの、素材に対する鋭い感覚が感じ取れるのである。
吉川弘文館、石鍋真澄『サンピエトロが立つかぎり 私のローマ案内』P278-280
※一部改行した
この聖堂が「シンパーティコ」な空間であるというのは非常に興味深い。しかもここが結婚式で人気だというのはさらに驚きだ。こんな素晴らしい聖堂で結婚式を挙げられるなんてあまりに羨ましすぎる。
ベルニーニが目指した総合芸術の到達点
また、先にも書いたように、内部の空間がゆったりと感じられるのには、祭壇が奥に引っ込んでいることも作用している。この祭壇は四本の円柱で楕円部からそれとなく仕切られ、独立したエディコラ(壁龕)を成している。この仕切りの役目を果たしている四本の円柱も、非凡な創意である。なぜなら、それら四本の円柱は祭壇の枠組みとなって、楕円部とは別の光源から採光されていえう祭壇を、あたかも一幅の絵画のように見せ、しかも、楕円の流れがこの祭壇によって滞ることを防いでいるからだ。
この祭壇に飾られているのは、グリエルモ・コルテーゼが描いた《聖アンドレアの殉教》である。同じ聖人に捧げられたもう一つの聖堂、サン・タンドレア・デッラ・ヴァッレ聖堂でもやはり殉教図が祭壇に飾られており、この主題の選択は実にオーソドックスだといえる。しかし、この聖堂を支配しているイメージは、この殉教の姿ではなく、正面の破風の上につけられた聖アンドレアの昇天の姿である。べルニーニが助手のラッジに造らせたこの像は、雲に乗り、今まさに天に昇ろうとしているところだ。そして、この像はその位置と色彩によって、聖堂に足を踏み入れた者の注意を自然に引きつける。つまり、べルニーニはこの像をドラマの主役として明らかに際立たせたのである。そして同時に、彼はこの聖堂全体を、聖アンドレアの昇天という神秘劇を演ずる劇場にしようとしたのだ。
実際、ドームは聖アンドレアが昇天する天であり、そこにはシュロの葉や花綱、あるいは漁師であった聖アンドレア(アンデレ)を示すオールや網、そして貝などをもった天使が一面に輪舞している。そして、聖霊のシンボル、鳩が描かれたランタンからは、天上の光である黄金の光がもれている。また、下部の柱やコーニスには暗色系の石材が用いられているのに対して、この天のドームが白のストゥッコで造られ、それに金の装飾が施されている点も注目してよいと思う。
ここでは絵画も彫刻も、そして光も色彩も、空間のなかでみごとに融合しあい、一つのドラマを表現しているのである。こうして聖堂は意味の上でも統一され、宗教劇の劇場として完成されたわけだが、こうした概念はまったくもってべルニーニ的であり、その概念をみごとに実現したこのサン・タンドレア・アル・クイリナーレ聖堂は、べルニーニがめざした総合美術の到達点だったといってよい、と私は思う。
吉川弘文館、石鍋真澄『サンピエトロが立つかぎり 私のローマ案内』P280-282
※一部改行した
「サン・タンドレア・アル・クイリナーレ聖堂は、べルニーニがめざした総合美術の到達点だったといってよい」
この言葉はこの聖堂を考える上で非常に重要な指摘だ。ベルニーニ晩年の最高傑作たるこの聖堂の価値を一言で表していると思う。
そして解説の最後にこの聖堂とベルニーニに関する心熱くなるエピソードを紹介したい。
ベルニーニ自身が最も愛した作品『サンタンドレア・アル・クイリナーレ』
ところである日のこと、ドメニコがお祈りをすべくサン・タンドレアに入ると、片すみで内部を楽し気に見渡している父親に出会った。ドメニコが一人で何をしているのかと問うと、べルニーニは「息子よ、私はこの建築の仕事にだけは特別の喜びを感じる。だから仕事の気晴しに時折ここを訪れ、自分の作品で自らをなぐさめるのだ」と答えている。この時、ドメニコは父親が自分の作品には満足しないものと思っていたので、意外な一面を発見したと感じた。このドメニコが伝えるエピソードに現われた最晩年のべルニー二(この教会の装飾が完成したのは一六七〇年である)の姿は感動的である。それはむしろ、彼の長い不屈の創作活動を思い描かせるからだ。ともあれ、この小さな教会に彼の理想が最も完全な形で実現されていることを、われわれはべルニーニ自身とともに喜ばずにいられない。
吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P148
息子であるドメニコは父ベルニーニがこの聖堂を楽し気に見渡しているのを発見した。この時ベルニーニはすでに70歳を過ぎていた老境だった。そんな父が自身の作品に心慰められていたというエピソードは感動的ですらある。実際、彼の家からこの聖堂までは徒歩で簡単に着くことができる。私もローマ滞在中何度もその道を歩いた。ベルニーニ自身が心の底まで納得がいく作品がこの聖堂だったというのは、ベルニーニファンの私にとっても非常に大きな意味があることだった。
サンタンドレア・アル・クイリナーレ聖堂を訪ねて
サン・タンドレア・アル・クイリナーレ聖堂はテルミニ駅からも歩いて行ける距離。私はテルミニ駅近くに宿を取っていたのでこの聖堂へは歩いて通っていた。
石鍋真澄が述べていたように、私もこの聖堂に入った瞬間息を呑んでしまった。「何だここは・・・!?」と度肝を抜かれてしまったのである。そして思わず「パンテオンだ・・・」と漏らさずにはいられなかった。
色彩からその形状までパンテオンそっくり。だがよくよく考えてみて驚愕する。パンテオンは完全な円形であるが、この聖堂は楕円形だ。であるにもかかわらず楕円形であることすら忘れてしまう完璧な調和がここにはあるのだ。
こちらは入り口側。
中央祭壇。まさにアンデレが天に昇っていくかのよう。
ドーム部分の金色の装飾がまた美しい。採光によって光り輝く世界が具現化されている。ドーム頂上部に向かって伸びていくラインも心地よい。
ドーム頂上には主を表すハトが。そして採光窓にいるかわいらしい天使たちの存在にベルニーニの茶目っ気を感じる。
11月末のヨーロッパの日暮れは早い。
日の暮れた時間帯にも私はこの聖堂を訪れた。
これまで紹介してきたライモンディ礼拝堂にせよサンタ・マリア・チェチリア聖堂、ジェズ教会にしても、夕暮れ時の教会はなぜかほとんど人がいない。この素晴らしい空間をほぼ独り占めである。静寂の中ベルニーニ自身も愛したこの教会を心ゆくまで味わうことができる。
ベルニーニも誰もいないこの教会に立ち、自らの心を慰めていたのだ。そんな光景を想像しながらゆっくりと時を過ごす。
ベルニーニは横長の土地しかないという悪条件を克服しこの聖堂を設計した。そのベルニーニの心意気に私はぐっと来てしまうのである。
私はこの聖堂に一瞬で魅了され、ローマ滞在中4度ここを訪れた。その度にベルニーニのパンテオンたるこの聖堂の美しさ、完全なバランスに驚嘆していた。
ここはローマ観光におけるメインルートには設定されない教会だと思う。パンテオンやコロッセオや真実の口など、ローマにはそれこそ名所中の名所が山ほどある。それら名所中の名所を回るだけで日程が終わってしまうのも無理はない。だがこのサンタンドレア・アル・クイリナーレ聖堂はものすごい場所だ。マニアックと言えばマニアックかもしれないがぜひここも訪れてみてほしい。本当にここにパンテオンがあるのだ。しかも困難な条件の下でそれを成し遂げてしまったという驚異の建築なのである。ローマ滞在の折にはぜひベルニーニの最高傑作を皆さんにも味わってほしい。驚愕すること間違いなしのすばらしい聖堂である。
続く
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