中野好夫『シェイクスピアの面白さ』あらすじと感想~シェイクスピアがぐっと身近になる名著!思わず東京03を連想してしまった私
中野好夫『シェイクスピアの面白さ』概要と感想~シェイクスピアがぐっと身近になる名著!思わず東京03を連想してしまった私
今回ご紹介するのは1967年に新潮社より出版された中野好夫著『シェイクスピアの面白さ』です。私が読んだのは2017年のKindle版です。
早速この本について見ていきましょう。
木下順二、丸谷才一らが師事した英文学者にして名翻訳家として知られる著者が、シェイクスピアの芝居としての魅力を縦横に書き尽くした名エッセイ。人間心理の裏の裏まで読み切り、青天井の劇場の特徴を生かした作劇、イギリス・ルネサンスを花開かせた稀代の女王エリザベス一世の生い立ちと世相から、シェイクスピアの謎に満ちた生涯が浮かび上がる。毎日出版文化賞受賞。
Amazon商品紹介ページより
この作品は「名翻訳家が語るシェイクスピアの面白さ」という、直球ど真ん中、ものすごく面白い作品です。
巻末の河合祥一郎氏による解説ではこの本について次のように述べられています。
「あとがき」にもあるように、本書は一九六四年から翌年にかけて雑誌『学鐙』に連載された中野好夫氏の文を本にまとめたものである。最初四回の予定で書き始めたところ、編集者から延長を求められ、二十三回に膨れ上がったという。ご本人は無計画・無構成と謙遜するが、本書の最大の長所は筆者が自由闊達に語るその名調子にある。思いのままにシェイクスピアを面白がっている様子がよく伝わってくるからこそ説得力があるのだ「私にとってのシェイクスピアの面白さはこれだ!」とばかり、ズバリズバリと核心を衝いていくその小気味良さ。この本の副題を「中野好夫の面白さ」としてもいいくらいだ。本書がシェイクスピアの饒舌さの指摘から始まるのも、中野氏自身の能井ぶりと無縁ではなかろう。
新潮社、中野好夫『シェイクスピアの面白さ』Kindle版P204
そして河合氏もこの後指摘するのですが、私もこの本の中で一番面白いなと思ったのはシェイクスピアをもっと肩肘張らずに楽しもうと著者が語る箇所でした。ぜひその箇所をここでご紹介したいと思います。少し長くなりますがとても重要な指摘ですのでじっくり読んでいきます。
そこで年来、そして現在もなお私の言いつづけていることは、こうである。つまり、はじめてシェイクスピアを読む読者は、彼が曠古の文豪だの、その作品が不朽の古典などということを、まず一切念頭から拭い去ってしまうがよい。そして誰か、せいぜい浅草あたりの大衆芝居の座付無名作者が書き下した新作をでも読むような、つもりで読むことである。面白くなければ、なんだ、つまらんと、そこはなんの気がねもなく投げ出してしまうがよい。そのかわり、もし少しでも面白いところがあれば、これはまた虚心に、率直に、ふむ、こんな面白い作家もいたのかと、発見の楽しみを味わわれるがよい。これがシェイクスピアに近づく唯一の正しい第一歩だと私は信じている。
というのは、いまから三百五十年ほど前に、ロンドンであの三十何篇かの作品を書き下していたシェイクスピアは、なにも文豪として書いていたのでわけでもなければ、大思想家として認められていたわけでもない。一つでもつまらん作品を書けば、たちまち忘れ去られる運命をかけて書いていた座付作者の一人にすぎなかったのである。たしかに彼は、作品活動の初期からしてもっとも好評を受けた人気作家の一人であり、その名声は最後まで順調に維持された。だが、それはなにも文豪だったからそうであったのではなく、一作一作が芝居好きの市民たち(その中にはエリザベス女王をはじめ貴族たちも含まれていた)に大きく受けたからにほかならない。
つまり、私の言いたいことは、私たちはシェイクスピアを死後のその偉大な名声によって読むのではなく、三百余年前、当時の観客が発見し、そして愛し続けたその同じ目で、同じ心で、まずシェイクスピアを見よ。それがシェイクスピアへのもっとも早道、そして正しいアプローチだということである。そうやっていけば、これは少し私の独断、そしてやや押しつけがましいことになるかもしれないが、やがてきっとシェイクスピアの不思議な魅力は、諸君を捕えてはなさないに決まっていると言いたいのである。正直にいって、私などもまったくその一人だが、そうなれば誰がなんといおうと、時代評価でどう変ろうと、諸君のシェイクスピア理解にはもはや動かない自信ができるはずである。
新潮社、中野好夫『シェイクスピアの面白さ』Kindle版P7-9
「シェイクスピアを読む読者は、彼が曠古の文豪だの、その作品が不朽の古典などということを、まず一切念頭から拭い去ってしまうがよい。そして誰か、せいぜい浅草あたりの大衆芝居の座付無名作者が書き下した新作をでも読むような、つもりで読むことである。」
「文豪だから」とか、「古典の傑作だから」とか、そういう肩肘張った姿勢でシェイクスピアは読まなくていい!ただシンプルに観て、読んで感じたままでいいのだ!当時の人たちはそうやってシェイクスピア劇を楽しんでいたのだから。
そう言われてみると、「あぁ!なるほどなぁ!」と強く感じますよね。
ですが、これってもはやあらゆるものにも言えるのかもしれないですよね。ドストエフスキーだって、彼が存命中には現代作家として作品を連載していたわけです。当時から文豪の最高の古典として読まれていたわけではありません。
そして最近私はルーブル美術館で『サロトモケのニケ』という彫刻を見ました。私はルーブルについてほとんど前知識もなく行ってしまったのでこのニケのことはほとんど知らずに対面することになりました。一応は「ルーブルの顔のひとつ」だとは知ってはいたのですが、正直ほとんど何も期待することなくその時を迎えたのでした。
しかしいざこの彫刻を観た時の衝撃たるやどうでしょう!時間を忘れてしまうほどの美しさでした。私はこの彫刻を「ルーブルの顔だから」とか「ヘレニズムの傑作だから」という目で見ていませんでした。それが逆によかったのかもしれません。今作で中野好夫氏が述べていることを読んでふとニケのことを思い出したのでした。
また、これが一番なのですが、私が上の引用から強く連想してしまったのがお笑いトリオ東京03の存在でした。
彼らのコントを毎回楽しく観させて頂いているのですが、こうやって気楽に作品を楽しむ姿勢でシェイクスピアを読んでもいいんだと言われると、とても気持ちが軽くなりますよね。そして実際にシェイクスピアもそうやって舞台で観客を大笑いさせていたわけです。こう考えてみるとシェイクスピアがものすごく身近に感じられてきますよね。
東京03のコントはひとつの演劇を観ているかのような満足感がいつもあります。これまではその悲劇と喜劇が紙一重な感じがチェーホフ的だなと思っていたのですが、今やそこにシェイクスピアが加わってきました。東京03にチェーホフとシェイクスピアを感じると言うのは言い過ぎでしょうか?いや、東京03を好きな人にはきっとわかってもらえると私は信じています。
さて、話は東京03の方にそれてしまいましたが、この本はシェイクスピアを楽しむ上で非常にありがたい作品となっています。シェイクスピアが身近になること間違いなしです。ぜひおすすめしたい作品です。
以上、「中野好夫『シェイクスピアの面白さ』~シェイクスピアがぐっと身近になる名著!思わず東京03を連想してしまった私」でした。
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