マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』あらすじと感想~唯物論的歴史観誕生の書として知られる未刊の1冊
マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』概要と感想~唯物論的歴史観誕生の書として知られる未刊の1冊
今回ご紹介するのは2002年に岩波書店より発行されたマルクス・エンゲルス著、廣松渉編訳、小林昌人補訳『新編輯版ドイツ・イデオロギー』です。
早速この本について見ていきましょう。
近代化へと身悶えするドイツで、「近代」の夢と失望を哲学的に先取りしたヘーゲル左派。その運動を自己批判を込めて総括した若きマルクスとエンゲルスは、本書で「近代」のパラダイムを超える世界観を定礎した。定評ある広松渉編訳・新編輯版にその後の研究成果を反映させ、豊富な訳註を加えた、文庫決定版。
Amazon商品紹介ページより
この作品はこの記事のタイトルにもありますように、マルクス・エンゲルスの唯物論的歴史観が誕生した書物として知られています。
執筆自体は1845~46年、マルクス27歳、エンゲルス25歳の年で、彼らが本格的にタッグを組み始めてから間もなくの時期でした。
この本の成立過程についてトリストラム・ハント『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』では次のように解説されています。
ときに緊張を帯びることもあったこの親密で混乱した社交関係のなかから、非常に偉大なものが生みだされた。『ドイツ・イテオロギー』である。マルクスとエンゲルスが共同執筆したこの本も、彼らの生前に出版されることはなかった。この作品は、「ガリガリと齧るネズミどもの批判に」さらされて断念されたことで有名で、一九三二年になってようやく読者を得た。
それでもこの本は、著者らも自分たちの思考を明確化する機会を与えるという目的は達成し、観念論から唯物論へさらに一歩前進したことを示していた。
青年へーゲル派の遺産から自分たちを区別するさらなる意識的な行動だ。マルクスとエンゲルスではよくあることだが、彼らは自分たちの立場を、イデオロギー上の競争相手をしつこく攻撃することで確保した。
このとき彼らが狙いを定めていた思想家は、哲学者のマックス・シュティルナーだった。そして、同じくらい毎度のことに、シュテイルナーが浴びせられた毒舌のレベルは、マルクスとエンゲルスが彼から受けた知的恩恵とまさしく同レべルのものだった。
筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P171
※一部改行しました
『ドイツ・イデオロギー』は彼らの存命中には出版されず、1932年になって初めて日の目を見た作品でした。
この作品ではその批判対象としてシュティルナーという人物が選ばれていますが、マルクスとエンゲルスはこうして論敵を批判する形で自分たちの議論を展開していきます。
この本でマルクス・エンゲルスが具体的に何を批判し、何を主張しようとしていたかは以下の記事で詳しくお話ししていますのでこちらをご参照ください。
マルクス・エンゲルスが言わんとしていることを今回の記事だけで端的にまとめることはかなり難しいです。岩波新書版の解説でもかなり詳しく書かれているのですが、やはりその複雑さ故、端的に「こうだ」という解説は難しいということが感じられます。
少し長くなりますが上の記事を読んで頂ければこの本の内容がより詳しく解説されていますのでぜひそちらをご覧ください。
さて、そうした解説を読んだ上で私は『ドイツ・イデオロギー』を読んで見たのですが、そのあまりの難解さに絶望することになりました・・・
巻末の解説にもこの難解さには言及されていました。
本訳書は、カール・マルクス(Karl Marx, 1818-1883)とフリードリヒ・エンゲルス(Friedlich Engels, 1820 -1895)が一八四五-一八四六年に共同で執筆した『ドイツ・イデオロギー』の第一巻第一篇「フォイエルバッハ」を独自に編集して訳出したものである。(中略)
この「フォイエルバッハ」篇は、マルクス、エンゲルスの著作の中でもとりわけ〝難解〟と言われてきた。哲学に縁遠い読者にとって哲学用語が難解だといった話ではなく、そもそも文意・文脈が掴めないという根本的な問題があったからである。長らく底本として流布してきたドイツ語原典は、手稿の個々の部分を細かく切り刻み、恣意的な解釈で繋ぎ合わせたものだったために、元来の文脈は寸断されてしまっていた。これは、テキストとしては致命的な欠陥と言わねばならない。また、本書は論争の書であるのに、論敵の主張と対照して適切な註を加えた版本が存在しなかったことも、本書を〝難解〟にした要因の一つと言える。
岩波書店、マルクス・エンゲルス著、廣松渉編訳、小林昌人補訳『新編輯版ドイツ・イデオロギー』P275-276
「哲学に縁遠い読者にとって哲学用語が難解だといった話ではなく、そもそも文意・文脈が掴めないという根本的な問題があったからである。長らく底本として流布してきたドイツ語原典は、手稿の個々の部分を細かく切り刻み、恣意的な解釈で繋ぎ合わせたものだったために、元来の文脈は寸断されてしまっていた。これは、テキストとしては致命的な欠陥と言わねばならない。」
この部分はなかなか衝撃的ですよね。
内容が難しい以前の問題としてこのテキストは破滅的な状況にあったというのです。
それは読むのに絶望するのももっともだなと思ってしまいました・・・
そしてこの本で印象に残った点がもう一つあります。
それがこちらです。
こちらは原稿の写真なのだそうですが、左半分がエンゲルス、右がマルクスの文字だそうです。
整然とそろえられたエンゲルスの文章に対してマルクスの乱筆ぶりが目立ちます。
マルクスの字の汚さは有名で、長年タッグを組み続け、マルクスの文字を読み続けたエンゲルスにしか解読できないほどのものだったと言われています。
エンゲルスはマルクスの死後、『資本論』の第2巻、第3巻の編集を行いますが、その時の彼の苦難が目に見えるようです。
『資本論』編集のエンゲルスの苦難については以下の記事でお話ししていますのでご参照ください。
そもそも、表紙の原稿の写真もすさまじいですよね。マルクスの狂気がここに現われているように感じてしまいます。怖いです、もはや・・・
この本を読んだことで彼らの思想を理解できたかといいますと、正直厳しいものがあります。
ですが、その厳しさを体感できたことが今回の収穫だったように思えます。マルクス・エンゲルスの難解さのひとつが「そもそも文意・文脈がつかめないという欠陥」によるものだということを知れたこと、そして原稿のすさまじさも見ることができたのはありがたかったです。
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