ゾラ未邦訳の作品『ルルド』あらすじと感想~科学的分析を重んじるゾラは「ルルドの泉の奇跡」をどう見たのか
ゾラ未邦訳の作品『ルルド』あらすじと感想~科学的分析を重んじるゾラは「ルルドの泉の奇跡」をどう見たのか
今回ご紹介するのはゾラが1894年に発表した『ルルド』という作品です。この作品は全20巻におよぶ「ルーゴン・マッカール叢書」の最終巻『パスカル博士』が発表された1893年の翌年に出版されたものになります。
20巻もの長編を書き終えてすぐに『ルルド』『ローマ』『パリ』の「三都市双書」を書き始めたというのですからゾラの作家としてのバイタリティーには驚くしかありません。
さて、今回ご紹介する『ルルド』は実はまだ邦訳がなされておりません。
では私はフランス語原典で読んだのでしょうか。
いえ、フランス語がまったくわからない私にはそれは到底無理なお話です。この作品に関しては私はまだ読めておりません。
ですがなぜこの作品を読んでもいないのにあえて紹介しようとしたのかといいますと、この『ルルド』を含む「三都市双書」がゾラの宗教観を考えていく上で非常に重要なものとなっているからなのです。
「三都市双書」は最終作『パリ』だけが邦訳されていて、前二作は未だ邦訳されていません。ぜひぜひ邦訳されることを願ってという意味もこの記事に込めています。
では早速尾﨑和郎著『ゾラ 人と思想73』より、この作品について見ていきたいと思います。まず最初は本書のタイトルにもなっている「ルルドの泉」についての解説が説かれます。
ルルドの泉とは
巡礼地ルルド
ピレネー山脈のふもとにある小さな町ルルドは現在カトリック教徒の最大の巡礼地であるが、巡礼地としての起原は新しく、一九世紀後半である。すなわち、一八五八年二月一一日、羊飼いの少女ベルナデット=スビルーが、川岸の岩のくぼみに「青い帯をしめ、白いローブを着た〈聖処女〉」に出合ったことにはじまる。
聖処女は何度かベルナデットの前に姿をあらわしたが、ある日、彼女に奇跡の泉があふれる場所を示し、そこに教会をたてるようにと指示した。彼女が聖処女の指し示した場所を指で堀ると泉水があふれはじめた。
まもなく、奇跡の泉が出現したことを聞き知って、数多くの病人がここに押しよせた。最初の奇跡がおこったのは数日後であるといわれるが、その後も数多くの奇跡によって病人や身体障害者が全快した。現在は「奇跡」とは呼ばないで「医学的に説明しがたい治癒」と呼んではいるものの、今なお、ほぼ十数年に一度、ルルドの泉の奇跡による全快が公認されており、最近では一九六四年と一九七六年の例がある。
ベルナデットが貧しい家庭に生まれた知能指数の低い少女であったため、当時、教会は奇跡の泉を無視し、政府は泉への接近を禁止した。しかし、押しよせる人波にうちかつことができず、政府は九か月後の一八五八年一一月、泉への接近を公式に許可し、教会当局は一八六二年聖処女の出現を正式に認めた。まもなく教会の建立が決定し、一八七六年バジリカ聖堂が完成し、奇跡の泉の出現から一〇〇年後の一九五八年には地下聖堂がつくられた。
清水書院、尾﨑和郎『ゾラ 人と思想73』2015年新装版第一刷P130-131
※一部改行しました
ルルドの泉といえば私たちもよく耳にする地名ではありますが、その歴史の始まりが意外にも最近だったというのは驚きですよね。
科学的思考の持ち主ゾラが奇跡の地ルルドを訪れる
神秘主義とルルド訪問
ゾラは『ルーゴン・マッカール双書』の完成が近づいたころ、巡礼地や修道院をたびたび訪れている。たとえば、一八九一年七月、有名な巡礼地サレットに出かけ、翌年七月にはイニーのトラピスト修道院で一週間をすごしている。また、一八九一年九月と翌年八月の二度にわたってルルドを訪れている。
一八九〇年前後といえば、〈観念論のルネッサンス〉のころであり、唯心論の復活が顕著であった。このような風潮はすでに一八八〇年代初頭にきざし、ポール=ブルジェは『現代心理論集』(一八八三)において「神秘主義と呼ばれる漠とした宗教的感情」を青年に鼓吹し、ポギュエは『ロシアの小説』(一八八六)によって〈人間的苦悩の宗教〉を流行させた。また、一八八七年にはブリュンチエールが《自然主義の破産》を発表し、一八九一年には、ジャーナリスト、ジュール=ユレのアンケートにたいして、多くの文学者や思想家が自然主義の死と、理想主義文学の到来を宣言した。ひとことでいえぱ、科学と自然主義を否定し、観念や空想や形而上学をもちあげようとする傾向が強まっていたのである。
こうした観念論や唯心論の高まりはゾラにとってにがにがしいものであった。たとえ、彼自身の科学への信頼がゆらいでいたにしろ、これほど安易な科学の否定は許しがたいことであった。彼によれば、ルルドに見られる狂気の巡礼や奇跡の待望は、科学の破産を宣言して神秘主義や宗教に逃げこんだ時代思想の具体的なあらわれであった。ゾラがなすべきことは、ルルドの奇跡がいかに嘘と偽りにみちあふれているかをつぶさに観察してこれを暴露し、そのことによって〈観念論のルネッサンス〉に強烈な打撃を与えることであった。
「奇跡がおどろくほど多数おきている。……病気がなおり、水腫患者の腫れがひく。人々の魂を呼びよせるために、神さまが絶望的な努力をしているように思われる。……巡礼団が騒々しく組織される。人々は隊列をくんで奇跡の泉と洞窟へ向かう。……不信心者を信仰に引きもどす方法として、グロテスクで、受けいれがたい信仰を押しつけること以上に悪い方法はない。」
ゾラは一八七二年にこのように書いているが、二〇年後も、ルルドを見るまではゾラの考えは同じであったにちがいない。しかし、ルルドを訪れ、そこに押しよせた人々の光景を現実にまのあたりにしたとき、ゾラは圧倒され、強い衝撃を受け、文字通り動転した。彼の眼前にあったのは、〈人間の悲惨〉のおそるべき光景であった。もはや彼はルルドを単純に否定し、非科学的な愚劣事として一笑に付すことができなくなったのである。
ルルド旅行が一八九一年九月にもかかわらず、彼がそれについてしばらく沈黙を守り、翌年三月、シャルパンチエ家の晩餐会で、はじめてその印象を語り、新たな作品の構想を伝えたのは、おそらく強烈な印象のひそかな整理を必要とし、新たな視点からルルドを見るべきであると理解したからにちがいない。そして、ゾラは翌九二年八月、ふたたびルルドを訪れ、国民巡礼の模様をいっそうこまかに観察するのである。
清水書院、尾﨑和郎『ゾラ 人と思想73』2015年新装版第一刷P131-133
19世紀末、科学への信頼が揺らぎ、人々は宗教的なものに回帰していったという流れは私にとっても非常に興味深いものがありました。
そしてそれに対し科学的思考を重んずるゾラが迷信や虚偽を打ち砕くためにルルドへと向かったというのもなんともゾラらしいですよね。
ですが、「ルルドを訪れ、そこに押しよせた人々の光景を現実にまのあたりにしたとき、ゾラは圧倒され、強い衝撃を受け、文字通り動転した。彼の眼前にあったのは、〈人間の悲惨〉のおそるべき光景であった。もはや彼はルルドを単純に否定し、非科学的な愚劣事として一笑に付すことができなくなったのである。」というのはゾラを考える上でとてつもなく重要なことだと思います。
あのゾラがこんなにも衝撃を受け、宗教に対する見方を考えざるをえなかったというのは凄まじいことです。これには私も衝撃を受けました。
小説『ルルド』のあらすじ
奇跡を求める人々
『三都市双書』の第一巻『ルルド』(一八九四)は、一八九二年八月の大巡礼をもとにして書かれており、パリ出発から帰京までの五日間の巡礼生活が描かれている。この作品はフィクションであるが、ルルド巡礼がいかなるものであるか、その全貌を知る恰好の書物である。しかも、それは一〇〇年前の巡礼ばかりでなく、現在の巡礼の実体をも示唆してくれる。
パリからルルドまでは汽車で一昼夜の行程である。車内は、病人、身体障害者、その付きそい、看護婦、司祭などで満員である。寝台に寝ているものもあれば座席に坐っているものもあり、病状や生活水準に応じてさまざまである。
無数の巡礼者のなかから作者がとりあげるのは、流動食しか食べることができず、三歳の幼女のようにひざに抱かれている少女ローズ。子供のころに落馬し、それ以後、歩けなくなった若い女性マリ=ド=ゲルサン。嘔吐したあげく、意識を失った胃ガンのベテュ夫人。肝臓腫瘍のために熱と嘔吐と目まいに苦しむイジドール。皮膚結核のために顔に大きな傷口なもつ女性エリーズ=ルケ。瀕死の状態で巡礼に加わり、ルルドに着く直前に死ぬ男。あるいはまた、夫の蒸発で精神的な深い傷を受けたマーズ夫人。巡礼列車はこのような苦しみ悩む人々で一杯である。「横ゆれしながら全速力で走る、悲惨と苦悩のこの列車は地獄であった」とゾラは書いている。
二日日、巡礼者たちはひたすら奇跡のおこることを願い、神への祈りのことばをとなえながら奇跡の水を飲み、また、その水で体を洗う。エリーズ=ルケは泉の水にハンカチをひたし、くりかえし顔にあてる。奇跡の泉から水を引いた浴場もある。入口では、象皮病、ハンセン氏病、湿疹に苦しむ人々が入浴の順番を待っている。「かれらはひざまずき、腕を十字にくみ、大地に口づけしながら……〈主よ、病めるものをいやしたまえ〉と叫びつづけている。」
浴場の水はつめたいばかりか、ひじょうに汚れている。腫瘍から流れでた血やウミ、傷口から剥がれた皮膚やカサブタ、汚れた包帯などが浮かんでいる。病人や身体障害者はこの水に入浴する。死者をよみがえらせるために死体がつけられることもある。そのとき、巡礼者たちは死者の復活のために涙を流しながら熱狂的に祈る。
ルルドには、奇跡を待ちこがれ、祈りをささげる悲惨な人々だけがいるのではない。そこには地元の人や利益を求めて新たにやってきた人が多数いる。作品の第三部と第四部、すなわち、巡礼の三日目と四日目では、作者は、巡礼者の苦悩をよそに奇跡の泉を利用して、あくどくかせぐ商人と、保身や出世につとめる聖職者の姿に焦点をあてている。
大巡礼のときには、小さな町に一度に三万人が押しよせるので、食堂や旅館や商店はすべて満員である。一部の商人はこのときとばかり、あこぎなかせぎに余念がない。ローソク、花束、宗教新聞が飛ぶように売れる。泉の水はビンヅメにして売られ、水売りは一大産業をなしている。ルルドは信仰の町である以上に観光と産業の町となり、いたるところに退廃のきざしがみえ、ゾラは深い憤りにとらえられる。
教会関係者についていえば、大多数の貧しい誠実な司祭たちは、病人とともに祈りをささげ、人間の苦悩が軽減されることをひたすら神に祈願するのであるが、出世のために巡礼に加わる司祭もあれば、また、宗教産業の一翼を担って私腹をこやす司祭もある。
とりわけゾラが怒りを禁じえないのは、ルルドが繁栄しはじめると、べルナデットをルルドから遠ざけ、ほとんど幽閉に近い状態で彼女を修道院に閉じこめ、さらにまた、心やさしいベルナデットを真に理解して教会の建立につとめたべラマル神父を、失意のうちに死に追いやった教会当局の処置にたいしてである。
こうした腐敗や欲得や悪意が奥底に渦巻くルルドではあるが、あるものは奇跡によって全快して帰途につく。奇跡のおこらなかった人も、来年こそは奇跡がおこると信じながら期待に胸をふくらませてルルドを離れるのである。
そして、ゾラがルルドにまつわるあらゆるものを書き終わって強く確信したことは、これほど多くの病める人がこれほど激しく奇跡を求めているとすれば、たとえルルド巡礼が子供だましであろうと、それをいたずらに批判すべきではなく、むしろ、奇跡を必要とする人々の心情を自分のものにしなければならないということであった。
清水書院、尾﨑和郎『ゾラ 人と思想73』2015年新装版第一刷P133-136
※一部改行しました
長々とこの作品について見てきましたが最後の箇所、
「ゾラがルルドにまつわるあらゆるものを書き終わって強く確信したことは、これほど多くの病める人がこれほど激しく奇跡を求めているとすれば、たとえルルド巡礼が子供だましであろうと、それをいたずらに批判すべきではなく、むしろ、奇跡を必要とする人々の心情を自分のものにしなければならないということであった」
という言葉は非常に重要な指摘です。
ゾラはそもそも迷信や虚偽を告発するためにルルドの泉へとやって来ました。そのゾラが実際に現地で様々な人々を目の当たりにした時、彼の心の中で何かが起こったのです。これは科学的思考者ゾラと宗教を考える上で非常に大きな問題になると私は思います。
科学的思考者ゾラはルルドの泉に何を思ったのか
ルルドの貴重な役割
何よりも科学を信ずるゾラは奇跡を信ずることはできなかった。奇跡は非科学的であり、奇跡によって病気がなおることはありえない。しかし、ゾラは、ルルド巡礼によって奇跡のようになおった多くの病人を現実に目撃した。しかも、科学はこの快癒を十分に説明することができない。それゆえ、彼は、近代医学から見離された病気や身体障害がなおるのは、未知の超自然的な力によるのだと考える。そして、その力とは生物や人間に本来的にそなわっている生命力であると解釈する。「奇跡、それはうそいつわりだ。……自然が働いただけなのだ。生命力が今一度征服したところなのだ」とゾラは書いている。
このように彼は奇跡を全面的に否定している。しかし、彼は「人間にとっての奇跡の要求は信じる」と書いているように、苦悩に沈む人々の奇跡にたいする期待は否定しない。医学が無力であり、病気の全快がえたいの知れない生命力によるほかないとすれば、不治の病気や不具のゆえに絶望の淵にある人々は、奇跡を待ち望む以外に救いはない。
そして、それが奇跡であろうと偶然であろうと、医学から見離された病人がルルド巡礼によって全快するとすれば、ルルド巡礼は喜ぶべきことではあっても非難されるべきことではない。また、たとえ病状が好転しないにしても、奇跡への祈りと期待のなかで、病める人たちが現実の苦悩と苦痛をやわらげられ、生きる希望をわずかでも見出したとすれば、そのことだけでルルドは貴重な役割を果たしているのである。
「ルルドこそ、奇跡によって平等を回復し、幸福を取りもどさせる神が人間には絶対に必要なのだという、明らかな、否定しえない実例である。人間は生きる不幸の奥底に触れるとき、神という幻影に帰っていくものだ。」
「人間が生きるためにパンと同じように必要とする神秘を、力ずくで奪いさることは人間を殺すことであろう。」
ゾラはこのように書いているが、巡礼者の奇跡へのすさまじい期待を前にして、もはや彼は、奇跡は科学的に説明のつくものであるとか、ベルナデットの前にあらわれた〈聖処女〉はヒステリー症の幻覚であるとか、いたずらな科学的詮索をすることはできなかった。それは人間の苦悩にたいする冒涜であるようにさえ思われ、彼はかれらとともに「苦悩の新しいメシア(救世主)」をさがし求めざるをえなかった。
しかし、ベルナデットを幽閉し、ペラマル神父を軽視するような古い宗教では、病める人々のメシアへの切なる渇仰はみたさるべくもない。たとえ幻影であろうと、かれらを救い、かれらに夢を与え、希望をもたせるには、「新しい希望」と「新しい天国」をもたらす、真に「新しい宗教」を確立しなければならない。そして、それを実行しなければならないのは、いうまでもなく、カトリシスムの総本山であるローマ法王庁である。そこでゾラはカトリシスムの改革を要請するために、みずからローマにおもむき、かつまた『ローマ』を執筆することになるのである。
清水書院、尾﨑和郎『ゾラ 人と思想73』2015年新装版第一刷P136-138
「巡礼者の奇跡へのすさまじい期待を前にして、もはや彼は、奇跡は科学的に説明のつくものであるとか、ベルナデットの前にあらわれた〈聖処女〉はヒステリー症の幻覚であるとか、いたずらな科学的詮索をすることはできなかった。それは人間の苦悩にたいする冒涜であるようにさえ思われ」た。
この箇所は「三都市双書」における決定的な指摘だと私は思います。
あの「ルーゴン・マッカール叢書」を書き上げたゾラが、迷信をあれほど憎んでいたゾラがここまでの衝撃を受けたというのは並大抵のことではありません。
科学を重んじ、徹底的に合理的に思考しようとするゾラがここまで考えざるをえなかったものがルルドにはあったのでした。ゾラが宗教に対してこのように考えたこと自体が衝撃的です。これは僧侶である私にとっても非常に興味深い点でありました。科学者は宗教に対して何を思うのか。人それぞれ様々なものがあると思いますが、その中でも、私が大好きなゾラが宗教に対し何を感じていたのかというのは非常に興味深いものがあります。
この「三都市双書」はそうしたテーマで書かれているということを伝記『ゾラ 人と思想73』で知り、私は衝撃を受けたのでありました。この作品が未邦訳であることがとにかく悔やまれます。
次の記事では『ルルド』の続編『ローマ』について引き続き見ていきたいと思います。
以上、「ゾラ未邦訳の作品『ルルド』あらすじと感想~科学的分析を重んじるゾラは「ルルドの泉の奇跡」をどう見たのか」でした。
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