W・アイザックソン『レオナルド・ダ・ヴィンチ』あらすじと感想~人間ダ・ヴィンチと時代背景を知れるおすすめ伝記!
W・アイザックソン『レオナルド・ダ・ヴィンチ』概要と感想~人間ダ・ヴィンチを知れるおすすめ伝記!
今回ご紹介するのは2019年に文藝春秋より発行されたウォルター・アイザックソン著、土方奈美訳の「レオナルド・ダ・ヴィンチ』です。
早速この本について見ていきましょう。
「あまたあるダ・ヴィンチ本のなかで、これが決定版だ」ーービル・ゲイツ絶賛
ニューヨークタイムズベストセラーリスト 第1位!世界的ベストセラー『スティーブ・ジョブズ』の評伝作家がダ・ヴィンチの遺した全7200枚の自筆ノートをもとに執筆。その天才性と生涯のすべてを描き切った、空前絶後の決定版。「モナリザ」「最後の晩餐」ーー没後500年、最難関の謎が、遂に解かれる。
オールカラー/図版144点を贅沢にも収録。本作に惚れ込んだレオナルド・ディカプリオによる製作・主演で映画も決定。
「芸術」と「科学」を結び「創造性」を生み出した。科学者であり、軍事顧問であり、舞台演出家だった。光学、幾何学、解剖学などの、点と点を結ぶ芸術家であり人類史上はじめて現れたイノベーターだった。同性愛者であり、美少年の巻き毛の虜となった。遺された七二〇〇枚のダ・ヴィンチ全自筆ノートを基にその生涯と天才性を描き切った、空前絶後の決定版。
Amazon商品紹介ページより
上の本紹介にありますようにこの作品は単行本だけなく瞬く間に文庫本でも発売され、なんと映画化までされるという話題作になります。
この本の特徴はダ・ヴィンチの生涯を彼が遺したノートをもとに描いたという点にあります。
そしてもう一つ、これも本書の大きな特徴になるのですが、著者がダ・ヴィンチを「偉大な天才」として描くのではなく、あくまで「人間」ダ・ヴィンチとして描いているという点が挙げられます。
著書はこのことについて「序章」で次のように述べています。少し長くなりますがこの本の重要なポイントがここで語られますので、じっくり読んでいきます。
彼の才能は常人が学べる
なぜレオナルド・ダ・ヴィンチを描くのか。それは私が伝記作家として一貫して追い求めてきたテーマを、彼ほど体現する人物はいないからだ。芸術と科学、人文学と技術といった異なる領域を結びつける能力こそが、イノベーション、イマジネーション、そして非凡なひらめきのカギとなる。
私の前作の主人公であったべンジャミン・フランクリンは、彼の時代のレオナルドであった。正式な学校教育は一切受けていないが、独学で発想力豊かな知識人となり、啓蒙主義時代のアメリカを代表する科学者、発明家、外交官、作家、経営戦略家として活躍した。凧を飛ばして雷の正体が電気であることを証明し、避雷針を発明した。さらには遠近両用眼鏡、楽器、燃焼効率の高いストーブ、メキシコ湾流の海図まで生み出した。そしてアメリカ伝統の素朴なユーモアの生みの親でもある。(中略)
そしてスティーブ・ジョブズは製品発表会のクライマックスで、リべラルアーツとテクノロジーの交差点を示す道路標識のイラストを見せた。レオナルド・ダ・ヴィンチはそんなジョブズのヒーローだつた。「レオナルドは芸術とテクノロジーの両方に美を見いだし、二つを結びつける能力によって天才となった」。
たしかにレオナルドは天才だった。すさまじい想像力と旺盛な好奇心を持ち、いくつもの分野にまたがって創造性を発揮した。しかし、この言葉は不用意に使うべきではない。「天才」というレッテルは単に人並み以上の才能に恵まれただけという印象を与え、かえってレオナルドをおとしめることになる。いちはやくレオナルドの評伝を書いた一六世紀の芸術家、ジョルジョ・ヴァザーリは、まさにこの過ちを犯した。「ときとしてたった一人の人物が、驚くほどの美しさ、品格、才能に恵まれ、非凡な行動や作品によって神の意思を感じさせることがある」。
レオナルドの非凡な才能は神からの贈り物ではない。彼自身の意思と野心の産物だ。ニュートンやアインシュタインのように、ふつうの人間には想像もできないような頭脳を持って生まれたわけではない。レオナルドは学校教育をほとんど受けておらず、ラテン語や複雑な計算はできなかった。彼の才能は常人にも理解し、学びうるものだ。たとえば好奇心や徹底的な観察力は、われわれも努力すれば伸ばせる。またレオナルドはちょっとしたことに感動し、想像の翼を広げた。意識的にそうしようとすること、そして子供のそういう部分を伸ばしてやることは誰にでもできる。(中略)
当初私は、空想に溺れやすいところをレオナルドの欠点だと思っていた。自己規律や集中力のなさの表れであり、芸術作品や論文を未完のまま放り出すこととも関係があるのではないか、と。ある意味、それは正しい。実行のともなわないビジョンは、幻想にすぎない。しかしその後、絵画のなかで境界線をぼかす「スフマート」技法のように、現実と空想の境界をぼかす能力こそが彼の創造力の源泉なのだとわかった。想像力のともなわない技術は不毛である。レオナルドが史上最高のイノべーターとなったのは、観察と想像を融合させるすべを心得ていたからだ。
文藝春秋、ウォルター・アイザックソン、土方奈美訳「レオナルド・ダ・ヴィンチ』P18-20
※一部改行しました
『「天才」というレッテルは単に人並み以上の才能に恵まれただけという印象を与え、かえってレオナルドをおとしめることになる』
「レオナルドの非凡な才能は神からの贈り物ではない。彼自身の意思と野心の産物だ。」
「彼の才能は常人にも理解し、学びうるものだ。たとえば好奇心や徹底的な観察力は、われわれも努力すれば伸ばせる。またレオナルドはちょっとしたことに感動し、想像の翼を広げた。意識的にそうしようとすること、そして子供のそういう部分を伸ばしてやることは誰にでもできる。」
著者はこうした観点からレオナルド・ダ・ヴィンチの生涯を語っていきます。
ダ・ヴィンチがある種の巨大な才能を持っていたことは確かです。ですがだからといって私たちが彼を圧倒的な超人として遠ざけてしまっては大切なことを見逃してしまうことになります。私達はダ・ヴィンチから学ぶことができる。私たちも彼に習ってできることがある。そのようなことを著者はこの本で語っていきます。
そして個人的にこの本でありがたいなと思ったのはフロイトの「ダ・ヴィンチ論」についての言及があった点です。
以前当ブログでもこのことについてはお話ししましたが、フロイトの「ダ・ヴィンチ論」には様々な問題があります。
私がこのことを取り上げたのはフロイトの「ドストエフスキー論」がきっかけでした。
フロイトは自説「エディプスコンプレックス」の理論をもとにドストエフスキーやダ・ヴィンチの生涯や性格を断定的に述べたのですが、その説には根拠がなく、事実とは全く異なるものでした。
ただ単にフロイトの説が間違っていたで済むならそこまで問題になることはなかったのですが、フロイトには性的なことをひたすら語ることでスキャンダラスな人物像を作り上げるという傾向があります。センセーショナルでスキャンダラスな話題は世の好むことです。しかもそれがダ・ヴィンチやドストエフスキーという世界史に残る偉人となればその効果たるや計り知れません。
というわけでフロイトの説は世界中に広まることになってしまったのでした。
しかもこのゴシップ的な説はフロイト亡き後も様々な場で引用されています。フロイトの権威は今もなお力を持っているのです。
私はフロイトを全否定するつもりはありません。彼が西欧社会において無意識の概念を広く周知せしめたという事実は大きなものだと思います。ですが彼の説全てが間違いない事実だと鵜呑みにしてしまうと大切なことを見失ってしまうことになります。そういう意味で彼の説がどの程度まで正しいのかというのはひとつひとつ検証が必要なのではないでしょうか。特にダ・ヴィンチやドストエフスキーの場合はそれが特に重要なのではないかと思います。そうでなければ単なるゴシップとして彼らが利用されてしまうことになってしまうでしょう。
この伝記ではそうしたフロイトの説に対する言及もなされていてとても親切な作品だなと感じました。
さて、話は少しそれてしまいましたが、ダ・ヴィンチの生涯を知る上でこの作品は非常にありがたいものでした。とても読みやすく、ダ・ヴィンチの足跡や特徴がとてもわかりやすく解説されます。
そして彼の人生から私たちは何を学ぶことができるのか。そうしたことも著者は丁寧に語ってくれます。非常に刺激的な一冊でした。
以上、「W・アイザックソン『レオナルド・ダ・ヴィンチ』映画化決定!人間ダ・ヴィンチを知れるおすすめ伝記!」でした。
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