宮下規久朗『闇の美術史 カラヴァッジョの水脈』あらすじと感想~闇があるから光が生きる。「闇と光」と宗教のつながりとは
宮下規久朗『闇の美術史 カラヴァッジョの水脈』概要と感想~闇があるから光が生きる。「闇と光」と宗教のつながりとは
今回ご紹介するのは2016年に岩波書店より発行された宮下規久朗著『闇の美術史 カラバッチョの水源』です。
早速この本について見ていきましょう。
あらゆる美術は光の存在を前提としている。だが、革新性は闇によってもたらされた。17世紀イタリア、“光と闇の天才画家”カラヴァッジョの登場は、絵画に臨場感という衝撃的なドラマを生んだ。古代から近代の西洋美術、そして日本美術における光と闇の相克の歴史を、カラヴァッジョ研究の第一人者が読み明かす。闇の存在なしにドラマは生まれない。
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今作は前回の記事で紹介した『フェルメールの光とラ・トゥールの炎―「闇」の西洋絵画史』をベースにより深く「光と闇」について書かれた作品となります。
この作品は冒頭からいきなり素晴らしい文章から始まります。こちらが絵画のみならず、宗教、人間そのものに深く切り込んでいく鋭い指摘ですので少し長くなりますがじっくり読んでいきます。
「神、光あれと言いたまいければ、光ありき。神、光を善しと観たまえり」と、天地を創造した神は光を創造した。光は神にほかならなかった。「これ(言葉)に生命あり、この生命は人の光なりき。光は暗黒に照る、而して暗黒はこれを悟らざりき」とヨハネ伝の冒頭にあるとおりである。キリストは、「われは世の光なり、われに従う者は暗き中を歩まず、生命の光を得べし」(ヨハネ八章一二節)といっている。
古来、光は太陽とともに、神と同一視されてきた。光は聖なるものの根源でもあり、多くの文化圏において、神、真理、理性などの象徴とされた。逆に、闇や暗黒は悪魔や不正、無知を表すものとなった。
仏教でも、極楽世界は光ばかりの世界であるといわれ、阿弥陀仏や大日如来の別名を「無量光仏」というように、浄土はその無限の光に照らされているという。神道の天照大神もこれと似ており、ゾロアスター教やグノーシス派は善の光という表現を用い、プラトンやアリストテレスの哲学でも光は善や真理と関連づけられた。
アウグスティヌスは、真理であるキリストによって人間の知性が照らされるとし、「出来るなら視よ。神は真理にましますことを。「神は光である」と聖書に記されているから。その光は私たちの眼が見るような光ではなく……心が見るような光である」と述べる。
闇に灯る光は、人に厳粛で宗教的な雰囲気を呼び起こす。多くの宗教では、儀礼の際に光を用いてきた。キリスト教のミサや主要な典礼では祭壇に光の象徴であるロウソクが献じられ、西洋の教会ではどこでも献灯する人が後を絶たない。灯明は仏教でも神道でもヒンドゥー教でも用いるし、死者を弔う灯籠流しでも用いられた。元は照明器具であったロウソクは現代では、バースデーケーキなど特別の雰囲気を演出する器具となっている。事故や災害の現場での宗派を問わない慰霊式でもロウソクが灯されることがあるが、闇に灯る光は死者の魂を感じさせ、追悼の念を喚起するのである。
不断にゆらめく炎はそれだけで生き物のようであり、電灯に慣れた現在で見るよりも昔は、はるかに明るくありがたいものであったろう。電灯が普及する以前、長らく夜は闇が支配していた。夜は犯罪や恐怖に満ち、魑魅魍魎が跋扈する恐るべき時間であると同時に、多彩な夢や瞑想の舞台であった。
こうした夜の恐怖の中から様々な宗教や信仰が生じたのは自然であり、そこに灯火が重要な役割を果たしたのも当然であった。それは人を暗く恐ろしい闇の世界から解放し、救いに導くように思われるのだ。
岩波書店、宮下規久朗『闇の美術史 カラバッチョの水源』Pⅴ-ⅵ
※一部改行しました
私は浄土真宗の僧侶です。浄土真宗で最も大切にされる仏様はここで語られるように阿弥陀仏です。
この阿弥陀仏は「無量光仏」という別名があり、その名の通り、「量ることのできない無限の光」という意味があります。
そしてその仏様の光が私たちの煩悩、つまり「無明の闇」を照らしてくれるというのが非常に重要な教義となっています。
私たち浄土真宗ではこの「光と闇」という感覚を非常に大切にしているのですが、それは上で述べられているようにあらゆる宗教でも見られるものとなっています。
「闇に灯る光は、人に厳粛で宗教的な雰囲気を呼び起こす」
「こうした夜の恐怖の中から様々な宗教や信仰が生じたのは自然であり、そこに灯火が重要な役割を果たしたのも当然であった。それは人を暗く恐ろしい闇の世界から解放し、救いに導くように思われるのだ。」
著者がこう語るように「光と闇」の感覚は人間にとって根源的なものではないでしょうか。
ですが、現代を生きる私たちは電気の光に囲まれているため、闇を感じることが少なくなりました。闇を感じることが少なくなると人間はどうなってしまうのか。これは非常に重大な問題です。私達は明るい世界に慣れきっていますが、実は闇を感じないが故に失ってしまったものもあるのかもしれません。
また、ここで語られる「ろうそくの灯」についてはあのユゴーの『レ・ミゼラブル』でも重要な役割を果たしています。
今回の記事では長くなるのでお話しできませんが暗闇と光というテーマは世界文学の最高峰と呼ばれる作品においても非常に重大な意味を持っているのでした。
この本ではそんな「闇と光」の関係を絵画を通して深く考察していく作品になります。
僧侶としてもこの作品は非常に興味深いものがありました。
この作品もぜひぜひおすすめしたい一冊となっています。
以上、「宮下規久朗『闇の美術史 カラヴァッジョの水脈』闇があるから光が生きる。「闇と光」と宗教のつながりとは」でした。
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