チャペック『絶対製造工場』あらすじと感想~氾濫する「絶対=神」が世界を崩壊させる?ドストエフスキーの大審問官とのつながり

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チャペック『絶対製造工場』あらすじと感想~氾濫する「絶対=神」が世界を崩壊させる?ドストエフスキーの大審問官とのつながり

今回ご紹介するのは1922年にカレル・チャペックによって発表された『絶対製造工場』です。

私が読んだのは2010年に平凡社より発行された飯島周訳の『絶対製造工場』です。

早速この本について見ていきましょう。

一人の男がひょんなことから、わずかな燃料で膨大なエネルギーを放出する画期的な器械「カルブラートル」を発明した。
だかこの器械はエネルギーだけでなく、あらゆる物質に封印された「絶対、、=神」をも解放してしまう恐ろしい器械だった。
やがて目に見えない絶対、、が世界中に溢れ、人々を未曾有の混乱に陥れる―
『ロボット』『山椒魚戦争』の作者による傑作SF長編。兄ヨゼフによる挿絵付。

平凡社、カレル・チャペック、飯島周訳『絶対製造工場』 裏表紙

この作品も読んでいて度肝を抜かれた作品です。よくこんなものを思いついたなとただただ驚くばかりでした。

この小説は「カルブラートル」という、原子力発電機を連想させるような器械が巻き起こす大混乱を描いた作品です。

この作品が単なるサイエンスパニック作品と違うのは、実際にパニックの原因となるのはこの器械そのものではなく、器械の稼働に伴って発生する「絶対」の存在でした。

この作品で問題となる「絶対」とは何か。これを説明するのはものすごく難しいです。

なんとかそれをまとめてみようとすると、次のようになります。

カルブラートルを稼働させるとその周辺のエリア全体に「絶対」が拡散します。

その「絶対」に触れると、一種の神がかり的な状態になります。まるで「絶対的な神」に出会ったかのような恍惚を感じ、その人の人間性をがらっと変えてしまいます。

それまで強欲だった人ですら敬虔になり、善行を施すことが人生の全てになるほどの変貌を遂げてしまうのです。

さらにはその「絶対」周辺では数々の奇跡が起こります。ある人は空中を浮遊し、ある人は他者の病気を治癒する能力や、他人の心を読む能力を得ます。巨大な船やメリーゴーランドも勝手に動き出し、その奇跡は人、もの問わず驚くべき状況を現出したのでした。

最初はこうした個々の神がかりや奇跡が点々と起こり始めただけだったのです。

ですがカルブラートルが世界中に大量に拡散されるにつれて世界は不穏な空気が流れ始めます。

自分達の「絶対」こそ「絶対」であるのだから、他の「絶対」を認めることができなくなってしまったのです。世界は小さなグループ同士の争いから、今や世界戦争にまで発展してしまいます。さあ、世界はどうなってしまうのだろうかというのがこの「絶対」の概要です。

上の作品紹介にもありますように「絶対」とは「神」とも言いかえることができます。

訳者あとがきではこの「絶対=神」ということについて作者がなぜこのような作品を書こうと思ったかについて書かれているのでそれを見ていきましょう。実はこの作品は各方面から酷評された作品でありました。たしかに、作品のアイディア自体は素晴らしいのですが正直、中盤からだれてしまうというか若干冗長さを感じてしまうのも事実だと思います。それに対しての反論も込めてチャペックは次のように述べます。少し長くなりますがものすごい内容なのでじっくり読んでいきます。

まず「まえがき」にあるようないわばないものねだりの酷評に対して、「確かにうまくいかなかった。もし書き直せるなら、フランスの大作家バルザック(一八二一~一八五〇)の『絶対の探究』にロシアのドストエフスキー(一八二一~一八八一)の「大審問官」〔『カラマーゾフの兄弟』の一部。地上に具現したキリストの姿を描いた、とされる)をプラスしたような作品を書きたいものだ」と皮肉な調子で一矢を報い、ついで以下のような内容の文を書き綴っている。―

「…この作品の執筆の動機は、「新聞用小本フエイトン」を十五編、シリーズとして書くこと、こんな困難で深刻な時代だからなにか面白いものを書きたいと思ったこと、そして作者としては真剣な意図であるが、この作品全体を相対主義の哲学、、、、、、、によって推し進めることである。(中略)

われわれ人間の前に絶対、、の真理そのもの、神そのものが姿を現したとしても、人類はそれをただちに必然的に、たんなる偶像、相対的半真理、不完全で狭量な分派的・民族主義的・特定利益的なスローガンに変えてしまい、靴屋の神や仕立て屋の神、ヨーロッパ人の真理やモンゴル人の真理が生ずるだろう。

そして神、真理、人種、その他なにか大いなるものの名において、人間対人間の争いが起こるが、それは今日の文明、今日の世界の状態では避けられぬことである。われわれの生きているこの上なく黒ずんた新時代では、寛容はまだ美徳になっていないのだ。

なんらかの真理を信じる人は誰でも、別の製造印のある真理を信ずる人を憎み、殺さねばならぬと考える。この妥協なき憎しみに対抗する手段は、「人間とはかれの〝真理〟よりも価値のあるものだ」という認識以外にはないと思われる。(中略)

人間に対する寛容を感ずるためには、独断を抑え、真理を和らげることが必要である……わたしは自分の全作品を通じて、いやになるほど、半ば倫理的なものと半ば知性的なもの、ニつのテーマを扱っている。

一つはキリストを裁いた総督ピラトの否定的な「真理とは何か」〔ヨハネ伝十八章三十八節〕であり、もう一つは肯定的な「誰もが真理を持つ」である。たとえば戯曲『ロボット』の中では、誰もが真理を持っている。そして(詭弁を弄するわけではないが)「誰もが真理を持つ」ということは、「誰もが真理を持たぬ」とも言えるし、そう言わねばならない。これは「真理は存在しない」とか「真理にはそれだけの価値がない」という意味ではない。

これはただ「ほかの人がわたしの持つ真理を信ぜず、わたしの守り神を尊敬せず、わたしの信ずる全人類の利益のためには献身してくれぬこと、と折り合いをつける」可能性を意味するだけなのだ。……この、否定による定式化を、わたしは『絶対、、製造工場』で試みた。

平凡社、カレル・チャペック、飯島周訳『絶対製造工場』 P282-283

人間は絶対的な真理を追い求める。だがその「私の真理」によって人は争う。

であるならば絶対的な真理を互いに主張し合うのではなく相対的に生きていくこと、相手の真理を尊重する寛容な生き方が必要なのではないかとチャペックは述べます。

そして上の引用の最初に出てきたようにチャペックはこの作品でドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』「大審問官の章」を意識しています。「大審問官の章」は神の絶対性や真理と人間の問題をこれ以上ない位に鋭くえぐり出しています。

『絶対製造工場』でも明らかに「大審問官の章」を感じさせる表現が出てきます。

カルブラートルの脅威が発見された時、ある司教がやって来て「この『絶対』を我々に任せよ」と会社社長に迫ります。そしてこんな言葉も述べます。

信心深い人たちも不信心な人たちも、現実の、、、、そして行動する神など耐えられなくなるからです。耐えられなくなるんですよ、あなた方。


平凡社、カレル・チャペック、飯島周訳『絶対製造工場』 P 56

これはまさに「大審問官」の言葉そのものと言ってもいいくらいです。『カラマーゾフの兄弟』を読んだ方ならきっとぴんとくるのではないでしょうか。

『絶対製造工場』にはとにかく驚かされました。前回の記事で紹介した『ロボット』も驚くべき作品でしたがこの作品も衝撃的でした。

ドストエフスキーファンの方にもぜひおすすめしたいです。きっと驚くことでしょう。

以上、「チャペック『絶対製造工場』あらすじと感想~氾濫する「絶対=神」が世界を崩壊させる?ドストエフスキーの大審問官とのつながり」でした。

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