ヴィクター・セベスチェン『ハンガリー革命 1956』世界に衝撃を与えた冷戦下東欧の大事件

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冷戦中のハンガリーの蜂起とソ連の武力侵攻の流れを解説 ヴィクター・セベスチェン『ハンガリー革命 1956』

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今回ご紹介するのは2008年に白水社より出版されたヴィクター・セベスチェン著、吉村弘訳『ハンガリー革命 1956』です。

著者のヴィクター・セベスチェンは以前当ブログでも紹介した『レーニン 権力と愛』の著者です。

この本はあまりに面白く、当ブログでも「『レーニン 権力と愛』を読む」と題して16回もこの本についてお話ししました。

ヴィクター・セベスチェンの本の特徴は物語的な語り口にあります。単なる出来事の羅列ではなくそこに秘められたストーリーや深い分析で読む者をぐいぐい引き付けていきます。とにかく面白い!これに尽きます。

そんなヴィクター・セベスチェンの作品ですからこの本も間違いありません。ものすごく面白いです。

さて、ハンガリーと言えば首都ブダペストをはじめとした東欧の美しい街並みで有名な国です。

私が2019年に訪れたチェコのプラハとも近く、この2カ国を周遊する観光客の方も多いそうです。

ではこの本の内容について見ていきましょう。

「冷戦の本質」を露わにする、緊迫の12日間!ハンガリー民衆とソ連軍が凄絶な市街戦を繰り広げた「動乱」の真実とは?ブダペスト、クレムリン、ホワイトハウスの政治指導者、勇敢に戦った数多の人びとの肉声が、「革命」の光と影を浮かび上がらせる。

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ソ連支配からの自由を求めて民衆が蜂起した「動乱」として、世界中の注目を集めた1956年のハンガリーにおける「革命」の真実を追った、緊迫のドキュメント。

本書では、ブダペストのナジとアンドロポフ大使、クレムリンのフルシチョフとセーロフKGB長官、ホワイトハウスのアイゼンハワーとダレス国務長官など各国の政治指導者の駆け引き、銃を手にして市街で勇敢に戦った数多くの民衆の肉声が再現される。「冷戦の本質」が露わになった12日間が、インタビューや最新公開資料をもとに描かれ、読者は「革命」の光と影を目の当たりにすることとなる。図版多数。

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この作品ではハンガリーの緊迫した状況や、革命の経過がドキュメンタリー調で展開されます。読んでいてまるで映画を観ているような緊迫感、臨場感があります。そして写真も豊富で、当時の様子がよりわかりやすくなります。

そして「はじめに」ではこの本のテーマであるハンガリー革命について著者自身がわかりやすくまとめてくれています。

少し長くなりますがその文章をじっくり見ていきましょう。

ハンガリー革命とは

現在、ヨーロッパ連合加盟国であるハンガリーの首都ブダぺストは、活気で溢れているが、市内の公共建築物やアパートなどの大きな建物の一部は、今でも弾痕であばたのようになっている。弾痕はハンガリー人と外国からの訪間者に、独裁者を相手に戦った人々にいつも感動を与える五十年前の悲劇、一九五六年のハンガリー革命をじっくり思い起こさせる。

本書は、壮絶な戦いでの失敗、絶望的な運動で見せた畏敬の念を起こさせる勇気、そして、容赦のない残酷な行為にまつわる物語である。数少ないライフル銃と火炎瓶で武装した小さい国の民衆は、世界の超大国を相手に蜂起する意力を持っていた。ソ連軍に抵抗するハンガリー人の固い決意は、近隣諸国の人々を驚かせた。西欧諸国のあらゆる立場の人々がハンガリーの運命に深く関わりあうようになった。幸福感にあふれた数日間、あたかも、奇跡的に、革命派が勝利するかのように見えた。そのあと、現実は一矢を報いた。ソ連軍が圧倒的な兵力で侵入してきたのである。ハンガリー人は容赦なく制圧され、首都は壊滅し、数千人が命を落とした。ハンガリーはその後三十年間、ソ連の占領下にあった。

革命は、冷戦の本質が露わになる決定的瞬間であり、もちろんソ連は、共産主義帝国を固守するために非常手段に訴える用意があることを見せつけた。そして西欧諸国は目をつぶることにした。ソ連軍戦車がブダぺストの美しい場所を瓦礫に変えてしまうと、自由諸国は恐怖の目で見つめ、そして同情した。しかし西欧諸国の指導者たちは拱手傍観した。

共産主義が崩壊すると、蜂起について新しい資料が数多く出てきた。われわれが内容を知れば知るほど、ハンガリーは、二十世紀後半における米ソ間の対立抗争の唯一の戦場としていっそう明白に浮かび上がってくる。ハンガリーは超大国に閉じ込められた人質だった。一九五六年、ハンガリーの運命は、ハンガリーの英雄、悪党、そして山師たちがブダぺストの街頭で決めたのではない。重大な決定はすべて、モスクワとワシントンの政治的影響力の強い人物が行なったのだ。したがって、本書の舞台は、ハンガリーからソ連そしてアメリカ合衆国へと一様に移動する。

白水社、ヴィクター・セベスチェン著、吉村弘訳『ハンガリー革命 1956』P21-22

この本の特徴としてやはり重要なのはソ連崩壊後の新資料を用いていることと、革命が起きたハンガリーだけでなく、ソ連とアメリカという、よりグローバルな争いとしてもこの革命を描いている点にあります。

その中でもアメリカがどのように介入し、そしてハンガリーを裏切ったのかということについては非常に興味深いものがありました。

そのことについて少し見ていきましょう。

アメリカの介入と裏切り

一九五六年の米国の役割について、文献はその内面をいっそうさらけ出している。軍人あがりの政治家アイゼンハワー大統領と気難しい国務長官ジョン・フォスター・ダレスは、今日の米国では尊敬されている。

ハンガリー革命は二人にとって最高の時機に起きたのではなかった。革命、大統領再選運動の最後の週、そしてスエズ危機の時期が重なってしまった。

アイゼンハワーは、ハンガリーよりもエジプトを重要と見なし、それは妥当な個人的見解だった。しかし、理解しにくいのは、蜂起前に彼が採った対称的な二面を有する政策である。アイゼンハワーの補佐官やスポークスマンは、鉄のカーテン内に「閉じ込められた人民」を「解放する」、そして共産主義を「撃退する」件について、好戦的な言葉で語っている。

CIAは民主主義の真理を広げるための宣伝に数百万ドルを費やした。当然、ハンガリー民衆は反政府連動を起こすようにそそのかされた。しかし、革命派の人々が支援を必要とすると、ワシントン当局者は手を引いた。彼らは見捨てられ、独自で革命を実行しなければならなかった。

ブダぺストで自由闘争戦士が闘っている時、ハンガリー人が最後の一人になるまで、共産主義と戦う用意がアメリカの冷戦戦士にもあったと言うのは、誇張というものだ。一九五六年の大勢のハンガリー人はアメリカに裏切られたと感じていたのだ。
※適宜改行しました

白水社、ヴィクター・セベスチェン著、吉村弘訳『ハンガリー革命 1956』P23

アメリカはハンガリー国民を焚きつけ、反政府運動を進めるようそそのかしていました。ソ連の弱体化を図るためです。

しかし1956年のハンガリー革命が起きた年、アメリカはそれどころではなくなってしまいました。

くしくもその時、イギリス、フランスがエジプトを攻撃し、第三次世界大戦が起きかねない状況になってしまっていたからでした。スエズ運河を国有化しようとしていたエジプトに対し、それまで散々利権で莫大な利益を得ていた英仏がそう簡単にスエズ運河を手放すはずがなかったのです。

それでも国有化を強行しようとするエジプトに対し英仏が攻撃を仕掛けたのでした。

しかもそれをアメリカに報告するわけでもなく、英仏が独断で決行してしまったことに問題の複雑さがありました。

西側陣営の盟主を自認するアメリカに黙って戦争行為を行った英仏に対し、アメリカは大激怒です。

すぐさま国連などあらゆる手を使って介入し、第三次世界大戦勃発を防ごうとしました。

こうした緊迫した世界情勢の中でハンガリー革命は起きました。

英仏によるエジプト攻撃の負い目によってソ連に対して強く出ることができなくなったという面もありますが、アメリカにとってハンガリーという国の重要性が小さくなってしまったところにハンガリーの悲劇はあったのです。

散々革命を焚きつけておいていざ革命が始まれば「私は知りません」と手を引いていったアメリカ。

アメリカや西側諸国の支援があると信じたからこそ、無謀であってもハンガリー国民は大国ソ連に立ち向かったのです。

ですが結局ハンガリーは圧倒的な戦力の差によって占領されてしまいます。ハンガリー国民がアメリカの手のひら返しに激怒するのもやむなしだと思います。

なぜ1956年にハンガリーで革命が起こったのか。東欧におけるハンガリーの特異性

なぜハンガリーだったのか?なぜ一九五六年だったのか?一九五〇年代初頭、ハンガリーは東欧ブロックの中で、最も過酷な独裁政治のもとで生きていたことが、いちばん理解しやすい理由である。

マーチャーシュ・ラーコシは八年間にわたる独裁者で、偉大な助言者スターリンや怪物の毛沢東と比較された。トックヴィル主義に基づいて改革を着手しようとする独裁政権は最も攻撃を受けやすかった。一九五六年まで、ラーコシ政権は政治生命における最大の動機づけ要因として、激怒と嫌悪を恐怖感に置き換えらせるほどであった。

しかし、さらに重要なことは、ハンガリー人が、自分の国は東欧ブロック諸国とは文化的にも、歴史的にも、言語的にも異なるのだと考えていたことだ。

第二次世界大戦後、すべての共産主義衛星国はソ連に対して憤りを感じていた。ソ連は衛星国をすべて植民地と見なし、そのように扱ってきた。だが、そのことをハンガリーほど強く、そして深く憎んでいた衛星国はほかになかった。

ハンガリーは敵国のように扱われる敗戦国だった。そのことが、重大な心理的要因になっていた。二十年間に及んで自国のファシスト独裁者の支配下にあったハンガリーは、ポーランドやチェコと違って、第二次世界大戦中にソ連に侵攻した。ハンガリー革命の経緯は、ソ連とラーコシ一派が秋の十二日間に発揮した残忍な行為と極めつきの卑劣さを見せつけた。

白水社、ヴィクター・セベスチェン著、吉村弘訳『ハンガリー革命 1956』P24-25

ハンガリーは他のソ連史は以下の国とは違った背景を持った国でした。

というのも、独ソ戦中、ハンガリーはナチス側について戦っていたのです。かつてオーストリア・ハンガリー帝国という国があったくらいですから歴史的、文化的にもドイツ系に近いものがあったのです。

終戦間際にはナチスとは手を切ったものの、ソ連に歯向かったということで他国よりも厳しく統治されていたのがこのハンガリーだったのです。

ハンガリーの革命は世界中を驚かせました。

まさか最も厳しく弾圧されているはずのハンガリーで革命が起きるなどとは誰も想像できなかったのです。

しかも革命勃発後侵攻してきたソ連軍を一度は撃退し、撤退までさせました。

ブダペスト市民は市街戦で勇敢に戦い、圧倒的戦力を誇るソ連軍を苦しめたのです。

ソ連軍撤退によるブダペスト市民の勝利は世界を変えるかに思われました。民衆の喜びは爆発します。

しかし、それも長くは続きませんでした。

その数日後、ソ連は大軍を引き連れてハンガリーに戻ってきました。今度の進撃は前回とは比べ物にならないほどの戦力です。ソ連はついに本気でハンガリーを潰しにかかってきました。

ソ連は外交的戦略を駆使することでハンガリー首脳部を騙し、ハンガリー軍が抵抗できないように手を回します。そうして敵が抵抗できなくなった後で、全面攻撃を開始しました。

前回の攻撃とは違ってブダペストの街を廃墟にするほどの大砲撃を行い、市民がゲリラ戦をする余地すら奪いました。完全なる破壊です。こうなっては市民の武装程度でどうなる問題ではありません。あっという間にハンガリーは制圧され、今度こそ完全にソ連の支配下に置かれることになってしまいました。

この事件はソ連配下にあった中欧、東欧世界にとってとてつもない衝撃を与えました。

ソ連に歯向かえばこういうことになるという見せしめになってしまったのです。

また、こういうことが起きた時に西側陣営は助けてくれず、平気で見捨てるということも彼らは知ることになりました。

これ以後、東側陣営ではしばらくの間革命運動は下火になります。

チェコのプラハではそのおよそ10年後「プラハの春」という革命運動が起きますがこれもソ連軍の侵攻により強制的に弾圧されることになってしまいます。

ソ連支配下における中欧、東欧の抑圧はこのハンガリー革命によってその方向性が決定付けられることになったのでした。その意味においてこのハンガリー革命というのは非常に重要な出来事と言えるでしょう。

この本はそうした歴史的大事件の経緯を余すことなく私たちに見せてくれます。まさしく臨場感あるドキュメンタリー番組を見ているかのようです。

ヴィクター・セベスチェンの絶品の語り口をぜひ皆さんにも感じて頂きたいです。非常に面白い本です。現代を生きる私たちにたくさんの教訓を与えてくれます。とてもおすすめな1冊となっております。

以上、「ヴィクター・セベスチェン『ハンガリー革命 1956』世界に衝撃を与えた冷戦下東欧の大事件」でした。

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