レールモントフ『現代の英雄』あらすじと感想~ロシア最初の心理的小説!ロシア三大文豪とのつながり
プーシキン『エウゲーニイ・オネーギン』の直系―レールモントフ『現代の英雄』
『現代の英雄』はロシアの詩人レールモントフによって1839-1840年にかけて発表された小説です。
私が読んだのは筑摩書房『世界文学大系26 プーシキン レールモントフ』所収、北垣信行訳の『現代の英雄』です。
なぜ今回ここでレールモントフの『現代の英雄』を取り上げるかといいますと、この作品こそプーシキンの『エウゲーニイ・オネーギン』の直系の小説であると言われているからです。
『エウゲーニイ・オネーギン』の主人公オネーギンはバイロン的な人物で「余計者」と呼ばれるタイプの人間です。
※「バイロン的」ということについてはひとつ前の記事「バイロン『マンフレッド』あらすじ解説~「バイロン的」とは?プーシキンの『オネーギン』とのつながり」をご覧ください。
さて、「余計者」とはざっくり言うとロシア社会に馴染むことができず、さりとて自ら何かをなそうという気力も失ってしまった人間のことです。
この「余計者」というタイプの人間をさらに発展させて小説を描いたのが今回紹介するレールモントフの『現代の英雄』という小説なのです。
川端香男里氏の『ロシア文学史』にはそのことについて次のように述べられています。
主人公ペチョーリンは、プーシキンのオネーギンの後を継ぐ「余計者」である。あり余る力や高貴な情熱を持ちつつも、社会に幻滅し、倦怠感にむしばまれ、時折退屈をまぎらすために行動することもあるが、それは冒険や恋のアヴァンチュールという空しい行為でしかない。
『現代の英雄』は発表後大きな反響を呼んだが、多くの読者がぺチョーリンの中にレールモントフの自画像を読みとった。レールモントフは、第二版(一八四一)の序文で、ペチョーリンは「確かに肖像であるが、一人の人物の肖像ではない―これはわれわれの世代全体のさまざまな欠陥をいっぱいに拡大して作りなした肖像なのである」とし、ロシアの読者の「教養不足」を批判した。
しかしゲーテのヴェルターが多くの模倣者を「実人生」の中に生み出したのと同じように、ぺチョーリンも文学の中と同じくらいに実人生の中で多くの追随者を生んだ。トゥーゼンバッハを決闘で打ち殺してしまうペチョーリン(=レールモントフ)そっくりの男に、チェーホフの『三人姉妹』の中で出会うことになる。
しかしこのような風俗的亜種を生み出したのも、作品にそれだけ強い毒が含まれているということであって、人間の魂の暗い部分、いわゆる存在の「悪」の意味をドストエフスキイに先んじてつかまえていたこの作品は今日もその新鮮さを失っていない。
川端香男里『ロシア文学史』岩波書店P166-167
※一部改行しました
この解説で述べられるように『現代の英雄』は後の作家たちに大きな影響を与えました。
特に、「しかしこのような風俗的亜種を生み出したのも、作品にそれだけ強い毒が含まれているということであって、人間の魂の暗い部分、いわゆる存在の「悪」の意味をドストエフスキイに先んじてつかまえていたこの作品は今日もその新鮮さを失っていない。」と川端氏が述べるのは非常に重要です。
ロシア文学に特有の、人間の本質に迫るどろどろした展開はここに根があったのです。
『現代の英雄』の概要とあらすじ
作品のあらすじに入る前に改めて作者のレールモントフについて引用を用いて紹介します。
この詩人はプーシキンを死に追いやった人々へのはげしい抗議をこめた短詩『詩人の死』(一八三七)によってロシヤ詩壇に出た。そして、この詩によって皇帝の怒りを買い、カフカスに追放されて、四年半ののちに、プーシキンとおなじく、決闘によって、二十七歳にみたぬその生涯を終えた。しかし彼はプーシキンにつぐ大詩人としてロシヤ文学の上に不滅の足跡をのこした。彼はデカブリスト事件後のロシヤ社会における卑屈と偽善の勝利にたいする、にがい怒りを表現した。彼の詩の基調はニコライ1世の警察国家のもとでの、青年たちの抗議と否定をこめた反逆の精神であり、行動とたたかいの渇望、祖国と人民への愛情である。
筑摩書房『世界文学大系26 プーシキン レールモントフ』P417
レールモントフはプーシキンを敬愛しており、その悲惨な死に対して並々ならぬ思いを抱いたのでありました。その思いが『詩人の詩』というデビュー作で結実し、一気に有名となるもプーシキンと同じく皇帝から不興を買い、カフカスに追放されることになってしまいました。
彼もプーシキンと同じく決闘で命を落とします。27歳という若さでしたが彼の残した作品は後の文学者に多大な影響を与えることになります。
その最大の作品が今回紹介する『現代の英雄』という小説なのです。
この作品の何がすごいのかといいますと、なんと、『現代の英雄』はロシア最初の心理的小説であると言われているのです。巻末の解説を見ていきましょう。
ロマン『現代の英雄』(1839-1840)はロシヤにおける最初の心理的小説である。作者の課題は「人間の魂の歴史」を解明することであった。ロマンはそれぞれ独立したプロットをもつ五つの短篇小説からなり、全体として主人公ぺチョーリンの性格をえがき出している。ペチョーリンもまた、オネーギンとおなじように空虚な貴族社会の生活に背を向けて、意味のある生活をさがし求めている。しかし両者の精神の構造はちがっている。(中略)
ベリンスキーのことばによれば、「オネーギンは退屈しているが、ぺチョーリンは苦しんでいる。」ペチョーリンの立場は、彼が生来オネーギンよりも才能もあり活動的であるだけに、いっそう悲劇的である。
しかしその才能と精神の豊かさにも拘らず、彼は彼自身のことばによれば「精神的不具者」である。彼の性格と行動は極端な矛盾におちいっている。彼のもつ、さまざまな矛盾のなかの、もっとも大きなものは精神の「無限の力」と行為の些末さである。彼は「全世界を愛する」ことを望んでいるが、日々の生活の上では、まわりの者に不幸をもたらすのみである。魂はけだかい志向をもちながら、その魂を支配するものは些末な感情である。生活の充実を渇望しながら、その生活の感情は絶望の意識と敗北の予感にみたされている。
筑摩書房『世界文学大系26 プーシキン レールモントフ』P417
この解説にありますように、レールモントフはこの作品でプーシキンの『エウゲーニイ・オネーギン』の主人公オネーギンの系譜を継ぐペチョーリンという男の精神構造を描こうとします。
ロシア初の心理的小説と呼ばれる所以は、物語を通してペチョーリンの心の謎を解き明かそうとしていくところにあるのです。
このことについて川端香男里氏の『ロシア文学史』では次のように述べています。
レールモントフは内的に緊密な動機附けを設定し、ぺチョーリンという強力な個性をすえて、物語群のゆるやかな結合という従来の連鎖小説を一挙に深刻な心理小説へと変身させた。この作品はロシア小説史上画期的な作品で、トゥルゲーネフ、ドストエフスキイ、トルストイへの道を開いたと言ってもいい。
川端香男里『ロシア文学史』岩波書店P165
日本ではあまり知名度のないレールモントフの『現代の英雄』ですが、あのロシア三大文豪への道を開いた作品となるとこれはとてつもない作品なのだなと納得させられます。
せっかくですのでその『現代の英雄』の中でもペチョーリンなる人物の心理が描かれた箇所を2つほど紹介します。2つともペチョーリンの独白です。オネーギンや後のツルゲーネフ、ドストエフスキー、トルストイに出てくる登場人物たちと比べてみるのも興味深いです。
ぼくは不幸な性格をもった男なんです。教育の結果こうなったのか、それとも神さまがこういうふうにお造りになったのか、―それはぼくにもわかりません。
わかっているのはただひとつ、自分が他人の不幸の原因になっているようなときには、それにもまして自分も不幸に感ずるということだけです。
もちろん、こんなことを言ってみたところで、かれらには大して慰めの言葉になるわけでもありません。―ただ、事実がそうだということが問題なのです。
まだ年端もいかなかったころ、身内の者の後見から脱したそのとたんから、ぼくは金で買える快楽という快楽を片っぱしから味わいはじめました。が、いうまでもなく、そんな快楽はじきに鼻についてしまいました。
で、つぎは、社交界へうって出たわけですが、同様この社交界にもたちまちうんざりしてしまいました。社交界の美人たちに惚れたこともありますし、惚れられたこともあります。が、そういう女に愛情をささげられれば、空想と自惚れを掻きたてられることはあっても、胸のなかは依然として空ろなんです……
読書や学問にも手を出してみました―が、学問もやっぱり嫌でたまらなくなってきた。ぼくにはわかってきたのです、名声にしても幸福にしても、学問などはなんのかかわりもないってことを。だって、世の中でいちばん幸福なのは無学者だし、名声にしたってまぐれ当りのようなもので、それをかちうるには、ただ要領のいい人間になりさえすりゃいいんですからね。こうなると、ぼくは気がくさくさするばかりです……
筑摩書房『世界文学大系26 プーシキン レールモントフ』P281-282
※一部改行しました
もう一つ見ていきましょう。
そうなんです、それがぼくのそもそもの子供時分からの宿命なんですよ!
誰でも、ぼくの顔にはよくない性質のきざしが見えるなんて言ったものです、そんなものはありもしなかったのにね。
が、まあ、そう想像したわけですよ―すると、その性質が出てきたじゃありませんか。ぼくははじめ内気な質だった―ところが、ひとはそれを腹黒いということにしてしまった。で、しぜんに、こっちはうちとけない男になってしまったのです。
それから、ぼくは善悪の感じようが人一倍深い子だったのに―だれひとりぼくを可愛がってくれる者がなく、寄ってたかってぼくを侮辱した。そのために執念ぶかくなってしまったんです。だから、陰気くさい子でしたよ―ほかの子は陽気で口数も多かったのに。それからまた、こっちはやつらよりすぐれた人間だと思っていたのに―みんなはぼくを一段低く見やがる。で、こっちは自然と嫉妬深い男になってしまった。また、世界じゅうのひとを愛したいくらいの気持でいたのに―だれもぼくの気持をわかってくれない、といったわけで、ぼくはひとを憎む癖がついてしまったのです。
ぼくの灰色の青春時代は自然とのたたかいと世間とのたたかいのうちに過ぎたようなものです。自分の立派な感情もひとに笑い草にされやしないかと気づかって、胸の底に葬ってしまったために、そこで死に絶えてしまった。
また、こっちが本当のことを言っても―ひとはそれを信じてくれない。そこで、こっちはひとをだまし始めたってわけです。そのうち、世間や社会のからくりがよくわかってきて、人生学にも長じたわけですが、見れば、ほかのひとは何の技巧も弄さないのに仕合せに暮らして、ぼくがあんなに倦まずたゆまず努力して得た利益を、わけもなく享受しているじゃありませんか。とたんに、ぼくの胸には絶望がめばえましたね―絶望といってもそれは、ピストルの弾丸などでいやしうるようなものじゃなくて、冷たい、ぐじぐじしたような絶望、いわば、上べだけ愛嬌とひとのよさそうな微笑をたたえたといったような絶望なんですね。
※一部改行しました
さて、この2つのペチョーリンの言葉を読んで皆さんはどのように感じたのでしょうか。
私はと言いますと、「なんてスーパーひねくれ人間なんだ・・・」と呆気に取られてしまいました。
そして同時にこのペチョーリンによって、ドストエフスキー小説にもよく出てくるどうしようもないひねくれ人間を思い出すのでありました。
ドストエフスキーは独自に「スーパーひねくれ人間」を生み出したのではなく、すでにロシアにはそういう型の人間像というものが存在していたのです。
その「ひねくれ人間」をどの環境に置き、どのように動かすかがそれぞれの作家の腕の見せ所だったのです。
こうした流れを作ったという点でレールモントフがロシア最初の心理的小説を作ったと言われているのです。
ペチョーリンという独特な人間の型を生み出し、その人間の心の内側、成り立ちを探っていく「人間の魂の歴史の解明」がこの『現代の英雄』の主題です。
プーシキンのオネーギンの直系の主人公、ペチョーリンはロシア小説の道筋を作りました。
そうした意味でもこの小説は非常に重要なものとなっています。
以上、「レールモントフ『現代の英雄』あらすじ解説――ロシア最初の心理的小説!ロシア三大文豪とのつながり」でした。
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世界文学大系〈第26〉プーシキン,レールモントフ (1962年)
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