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回想の世界一周~宗教は人が作ったものなのか、それとも・・・

タンザニア
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回想の世界一周~世界一周記を書き終えて私が感じたこと

みなさんこんにちは。

早いものでもう2020年も3か月が過ぎました。

思い返せば去年の3月末、私はタンザニアへと旅立ち、そこから世界一周の旅を始めたのでありました。

あれからもう1年。あの旅がはるか昔のことのように思える不思議な気分を感じています。

さて、私の去年の旅のテーマは「宗教とは何か」というものでした。

そしてそれを解く鍵が人類の進化であり、それを感じるためにタンザニアの地へと向かったのでありました。

人類発祥の地 タンザニア オルドバイ峡谷

宗教は人類の進化の過程で生まれたものであり、人類が自然界で生き残る上で非常に大きな役割を果たしました。

そしてその結果現在でも存在しているのがユダヤ教やキリスト教、イスラム教などの一神教であり、多神教の宗教なのであります。仏教ももちろんそのひとつです。

「宗教は人類が過酷な自然界で生き抜くために生まれ、それが変化していき現在の宗教の形がある」

私はこれを最も重要な仮説として、その後世界中の聖地を巡ることになったわけです。

しかし旅の途中、そして帰国してからの9か月の間、どうしても解決できない問題がありました。

それは、

「宗教は本当に人間が作ったものなのか」

という問題でありました。

「人類の進化によって宗教が生まれた」というのはわかる。しかし、「それでは宗教は人間が作り出したものに過ぎないのか」という厳しい問題が存在感を増してきたのです。

つまり、あまりに科学的に、合理的に考えようとすると何もかも「~~は〇〇に過ぎない」ということになりかねない何かがあると感じるようになってきたのです。

たとえば、「宗教は人間が強い集団を作るために作り出したものに過ぎない。だから神は人間が作り出したものであり現実に存在するものではない」といったようにです。

無神論というのは 「~~は〇〇に過ぎない」 を押し進めた先にあるものです。

これは日本人が「私は無宗教です」と言うのとは全く異なるニュアンスがあります。

日本人が「私は無宗教です」という時は「私は特定の宗教を強く信じているわけではありません」という意味で言っています。

ですが無神論者になると、神の存在は全くのでたらめであり、それに類するものも全く存在しえないという考え方です。

ですので日本で言うならば神仏も一切いなければ、お彼岸もお盆も初詣などのお参りも一切しません。お守りもお祓いもいりません。死後の世界もありません。死ねば無です。人間はそもそも物質に過ぎません。魂の存在も否定します。

どうでしょうか。日本人の無宗教とは随分と毛色が違うように感じませんか?

日本人は一つの何かを強烈に信仰するということはせずとも、なんとなく神仏の存在やご先祖の存在を身近に感じているのです。

お盆やお彼岸のお墓参りの時、そこに眠る人に声をかけたりしませんか?私は祖父のお墓に行きますと、心の中でですがいつも声をかけ、会話をしているかのような気持ちになります。

もちろん、無神論が生まれてきた欧米は一神教の文化圏であり、多神教文化の日本とはその背景が全く異なります。

一神教文化圏と多神教文化圏では宗教観だけでなくすべての価値観が異なります。

それぞれの地域で積み重ねられた歴史が現在の価値観を形成しています。

一見似たようなものがあったとしても、そこに至る過程がまったく違うためよくよく見てみるとまるで違うものであるということも多々あります。

無神論について詳しく述べようとしますと、それこそ論文にして書かねばなりません。ざっくりとお話しするということは今の私には手に負えないテーマであります。

ただ、私の世界一周記のテーマである「宗教とは何か」という問いはこの無神論的な考え方とどうしてもぶつからざるをえません。

「宗教は人間が作ったものに過ぎない。」

この「人間が作ったものに過ぎない」というのが厄介なのです。

私はこの「~~は〇〇に過ぎない」という考え方を宗教に適応する考え方には賛同できません。

私は「宗教は人間が作ったのではなく、人間の中から生まれてきた」と考えています。

人間が自分の意思で宗教を生存に都合のいいように作り出したのではなく、宗教は人間の中から自然発生的に生まれてきたのではないかと私は思うのです。

作り出したものではなく、人間の中から生まれてきた。

それはいわば自然界において人間が許された、本能のようなものではないかと私は思うのです。

「作り出した」と「生まれてきた」では天と地ほどの差があるように私には思えるのです。

皆さんはどのように感じますか?

これらの議論は非常に難しく、複雑で、なおかつとてもデリケートな問題です。

本来このような問題を提起するときはもっと正確に根拠を挙げて私の論拠を示すべきではあるのですが、ブログの分量上それも難しいです。

ただ、私個人としては、宗教は科学的、合理的に把握するものではなく、理性を超えたものこそ信仰であり宗教であるという立場であります。

もちろん、科学的、合理的なアプローチによって宗教を分析することで宗教の姿をより詳細に見ていくことは可能であり、有益なことは否定できません。

しかし宗教をその外から対象物を眺めるような形で分析したとしても、それだけではどうしても捉えきれない何かがあるのです。

宗教は人間の理性のみでできているのではありません。「二二が四」のような合理的論理的な数学理論とは異なるものです。言い換えるならば、「理屈じゃない」ということです。

「理屈じゃない」と言ってしまうと途端に怪しい印象を感じてしまいがちですが、人間はそもそも不合理な存在です。

「こうすればこうなる。あれをすればうまくいく」、そう考えていてもそれとは反対のことをしてしまったり、実行してもその通りにいかないのは皆さんも経験済みだと思います。

「わかっちゃいるけどやめられない」

もし人間が「二二が四」のような合理的な存在であるならば、そのようなことは起こりえないはずです。

しかし、現実はそんな不合理で満ち溢れています。

宗教も一緒です。

不合理であるがゆえに人は信じるのです。

不合理という論理が宗教には、人間にはあるのです。

もちろん、宗教の教義は論理的に構成されたものが多々あります。しかし、論理だけで宗教を捉えようとすると宗教や人間の本質を捉え損なう危険があるということを私は言いたかったのです。

さて、本日のまとめです。

宗教は人間が作ったのか、それとも人間から生まれてきたのか。

私はこの問いに対してこう考えます。

「宗教は人間から生まれてきたのであり、人間が作ったものであるという考えとは天と地ほどの違いがある」

「宗教とは何か」というテーマで旅をした世界一周でしたが、その答えは未だに出ていません。すべては仮説のままです。

この問題はきっと死ぬまで、いや人間一人の一生では掴みきれない問題なのでしょう。

しかしこの問題に一度捕えられたら最後、私はこれからもずっとこの問題と戦い続けることになるでしょう。

ブログの名にあるように、まさしく自問自答です。

わからないからこそ問い続けるしかありません。

これからも「宗教とは何か」という大きな問いに向き合っていきたいと思います。

本日も最後までお付き合い頂きありがとうございました。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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