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イスラエルの世界遺産マサダ要塞の歴史~ユダヤ人迫害の悲劇と殉教の物語 イスラエル編⑪

マサダ要塞
目次

悲劇と殉教と民族の威信と~世界遺産マサダ要塞の物語 僧侶上田隆弘の世界一周記―イスラエル編⑪

4月7日。

今日は現地のツアーを予約して、マサダ要塞と死海を訪れる。

マサダ要塞はエルサレムから車で1時間半弱、エルサレムの南側にある要塞だ。

すぐそばには死海があり、エルサレムからの道はこの死海に沿って進むことになる。

ごつごつした岩山が視界右手側にひたすら続いていく。

すると本日の目的地、マサダ要塞が見えてくる。

マサダ山は切り立った岩山だ。その頂上にこの鉄壁の要塞が構えられている。

マサダにはロープウェーで登っていく。

徒歩で行くことも可能だが、砂漠の炎天下で何時間もかけて歩くのは自殺行為だ。

ロープウェーで一気の登っていく。かなりの崖だ。

頂上に着くとそこはもう、絶景が広がっていた。

手前にはイスラエルの砂漠が広がっている。

ごつごつした岩山が模様を描いてるかのようにも見える。

その向こう側に見えているのが死海だ。

浮力が強く、ぷかぷかと浮かぶことで有名なあの死海だ。

最近は死海の成分から作られたコスメでも有名になってきているのだそうで、日本でも使っている人はかなりおられるのではないだろうか。

さて、ご紹介が遅れたがこのマサダ要塞とは一体いかなる歴史を持ったものなのだろうか。

もともとはマサダ要塞は紀元前120年頃に建てられ、のちにヘロデ大王の離宮として使われていた施設であった。

だが、この要塞が歴史において決定的に重要な役割を果たすことになったのはまったく別の出来事によるものであった。

それが西暦66年から起こったユダヤ戦争である。

David Robertsによる絵画(作:1850年) ユダヤ戦争、エルサレム包囲戦 Wikipediaより

当時イスラエルはローマ帝国の支配下にあった。

ユダヤ人はユダヤ教の伝統を守ろうとし、自らの宗教的なアイデンティティーを決して失うまいと抵抗を続けていた。

しかしローマ帝国はそれに対して厳しい弾圧を加える。

ローマ帝国は基本的には宗教に寛容な帝国である。

しかし一つだけ重要な原則があった。

それが皇帝を崇拝するということである。

ユダヤ教は主なる神のみを崇拝する。それゆえ皇帝を崇拝するなどということは出来なかったのだ。

形だけでもそうしたらよかったではないかとぼく達日本人の感覚なら思ってしまうだろう。

しかし、世界はぼく達の想像もつかない原理で動いているのだ。

ユダヤ教徒はその原則を拒否したのであった。

ちなみに、キリスト教がローマ帝国で迫害されたのも同じ理由からだ。

そしてその弾圧に対してユダヤ人が蜂起したのがユダヤ戦争である。

しかし、一部族たるユダヤ人と、世界最強のローマ帝国軍では勝負にならない。

そこで、白兵戦では勝ち目がないのでエルサレムに立てこもり、ローマ軍の攻撃に備えることにしたのだ。

この忍耐強いユダヤ軍の守りにローマ軍も苦戦するもその4年後の西暦70年、ついにエルサレムは陥落する。

これによってユダヤ人はエルサレムを追われることになり、世界中に離散していくことになる。

これがユダヤ人が国を持たない放浪の民となった起源なのだ。

そしてなんとかエルサレムを撤退したユダヤ軍の生き残りは、ここマサダ要塞に立てこもり、最後の決戦に挑むことを決意する。

写真の通り、マサダは断崖絶壁の山の頂上にある鉄壁の要塞だ。

ここを攻めることはかなり困難だ。

とはいえ包囲するローマ軍は1万5千人。

それに対してユダヤ人側は女子供を含めて967人しか残っていなかった。

勝負は目に見えている。

ローマ軍は、突撃するまでもなく、要塞内で勝手に自滅するだろうと高をくくっていた。

なにしろ、ここはイスラエルの砂漠。炎天下で水も食料もない。

やがて降伏するだろうと包囲を固め続けるローマ軍。

しかし時が経てども時が経てども、一向にそんな素振りを見せてこないではないか。

これはおかしい。一体何が起こっているというのだ?

ユダヤ軍は曲者だった。このマサダは水をため込む能力が群を抜いて秀でていた。さらに食料も前もって蓄えていたというのだ。

つまり、持久戦は得意中の得意だということだ。

そうなってくると1万5千人を抱えたローマ軍の方が食料や水の確保に苦戦することになる。

こうなってしまえば、もはやこの要塞は攻め落とすほか道はない。

そこでローマ軍はとんでもない策を導き出す。

なんと、断崖絶壁を登るための道を作れと命じたのだ。つまり軍隊総出で崖を埋め立ててそこから突撃せよと命じたのだ。

切り立った崖を埋め立てて消滅させるという大胆な策。

崖がなくなってしまえばもはやそこは普通の要塞。

そうなってしまえばさすがのマサダ要塞も持ちこたえられない。

長い時間をかけてその崖は少しずつ埋め立てられていった。

この間も要塞内で立てこもり続けているのも信じられないことだが、ついに西暦73年。その時を迎えることになる。

もはや天然の鉄壁とも言える崖は消滅した。

1万5千のローマ軍はついに総攻撃に打って出る。

ユダヤ軍は死に物狂いで反撃を仕掛けてくるだろう。

背水の陣ほど恐いものはないのだ。

だが、予想されていた反撃は一つもなかった。

城門に入る。

何かがおかしい。静かすぎる。

そしてローマ兵は目にした光景を見て納得する。あぁ、そういうことか・・・

そう。ユダヤ人は皆、敵の手にかけられて死ぬことより、自らの手でその命を絶つことに決めたのだ。

たとえ殺されなくとも、捕虜とされ奴隷としての生活が待ち構えている。

それならばユダヤ人として誇り高き死を。

記録によれば隠れていた女性2人、子供5人を除くすべてのユダヤ人が自決したと言われている。

ローマ軍1万5千人に対して誇り高く戦い、そして命を終えていったというユダヤ人の殉教の物語がここにある。

イスラエルでのユダヤ人の生活はここで明確に終止符を打たれたのであった。

だからこそ、今でもユダヤ人は「マサダを忘れるな」という言葉を大切にして暮らしている。

「忘れるな」

この言葉ほど民族や人間を動かす言葉はないのではないだろうか。

悲劇や殉教は人間の心に強烈に結びつく。

どの宗教の物語にも悲劇や殉教の物語は存在している。

キリスト教はイエスの十字架。イスラム教シーア派にもカルバラーの殉教という物語がある。もちろん仏教も然りだ。

嘆きの壁も、ユダヤ人の悲劇を「忘れるな」と強烈なメッセージを発している。

そして身近な例だと、個人を悼む儀式の数々。

日本で言えば葬儀に始まり初七日、49日、一周忌、お墓参り。

その全ても「忘れるな」というメッセージが込められているのだ。

「忘れないこと」

「想い続けること」

このことこそが人間が紡いできた歴史にとって大切なことなのだろうとぼくは思うのだ。

「忘れないこと」は自分が一人ではないということだ。

自分たちに先立って生きてきた人がいる。

そのバトンを受け継いでぼく達は今、生きている。

そしてやがてぼく達も、後に続く人たちにバトンを渡していくのだ。

だからこそ「忘れるな」という言葉が大切なのだろう。

そんなメッセージをこのマサダから受け取ったような気がした。

続く

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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