聖地エルサレムの旧市街と新市街のあまりのギャップにショックを受ける イスラエル編⑤
聖地エルサレムの旧市街と新市街のあまりのギャップにショックを受ける―僧侶上田隆弘の世界一周記―イスラエル編⑤
聖墳墓教会を終え、これでひとまず旧市街内部の散策を終えることにする。
これまでの記事では挙げてこなかったが、旧市街内部は狭い道が入り組んだ、まるで迷路のような構造になっている。
このようなアラブ系の異国情緒たっぷりな小路もあれば、
壁が道の一方にそびえたつような道もある。
油断していると自分がどの辺にいるのか全く分からなくなる。
おまけに、観光客で道は埋め尽くされ、前に進むのも一苦労になるときもある。
そんな旧市街を抜けてこれから新市街へと向かっていく。
正面に見えるのがヤッフォ門。
旧市街の西側にあり、ここを出ると新市街へとつながるため、観光客の出入りも非常に多い門だ。
門を出て少し歩くと広い階段がある。
ここを下ると新市街へと向かう道に沿ってマミラ・モールというショッピングモールがあるというのだ。
まずはここに行ってみよう。
階段を下りると、そこには衝撃の光景が広がっていた。
なんとそこにはあまりにモダンで、あまりに聖地っぽくない光景が広がっていたのだ。
もう一度確認しよう。
ここは先ほどのヤッフォ門から徒歩数分もかからない場所にある。
ましてや旧市街からはたった一本ほどの道しか隔ててないような距離に、こんな現代的なショッピングモールがあるのである。
正直に申し上げよう。
ぼくは、混乱してしまった。
今まで見てきた聖地とは一体何だったのか?
厳かな聖域はぼくの思い込みに過ぎないものだったのか?
この街は聖地とは名ばかりのただのレジャースポットなのだろうか?
わからない。
わからない。
ぼくは人ごみの中で立ちすくんでしまった。
でも、ずっとこうしているわけにはいかない。
とにかく、歩こう。まずはそれからだ。
どんどんモダンな雰囲気になってくる・・・
考えても仕方がない。とにかく進むのみ。
ここから10分ほどでイスラエル新市街のメインストリートのヤッファ通りに合流する。
ここはトラムの通る、歩行者専用の通りになっている。
まるでヨーロッパ。
非常に開放的で、多くの人がカフェで憩いの時を過ごしている。
頭が混乱してきた。一旦一休みしよう。
ぼくもこの辺りのカフェでまったりすることにする。
とってもオシャレなカフェ。カフェ好きなぼくにとっても非常に嬉しい作りであった。
さて、コーヒーも飲んだことだしここで頭の中を整理しよう。
歴史の香り漂う旧市街。そしてそのすぐ隣には現代的なショッピングモール。
そして新市街を歩き、カフェでじっくりと外を観察していると、ここに来ている観光客がほとんど欧米人であることに改めて気づく。
あぁ、やはりエルサレムは欧米人のバカンス先であり、人気のレジャースポットなのだろうか。
日本人が京都に憧れを持つように、欧米人にとってもエルサレムはそういう街なのかもしれない。
ぼくの住む函館から京都まで飛行機とバスで4時間ほどかかる。
だがヨーロッパ各都市、特にイスタンブールからならイスラエルまでは2時間ちょっとで行けてしまう。
もしかしたら欧米人にとっては、ぼくたちが京都に行きたいと考えるのと同じような感覚でエルサレムに来れてしまうのではないだろうか。
よくよく思い返してみれば、ぼくもそのことに薄々気づいてはいたのだ。
聖地に来たのに特に祈るわけではなく、ひたすら写真を撮りまくる人たち。
撮影禁止の場所でもカメラを手放さない。
周りを気遣うことなく大声で話し続ける人たち。
聖地というにはあまりにも敬意が感じられない場面がごくごく普通に繰り広げられていた。
欧米からの観光客は歴史的な雰囲気を持つ旧市街で観光をする。
だが、旧市街は欧米の観光客のニーズを満たすような設備を持ち合わせてはいない。
先に紹介したアラブ風の小路しかないような場所に、欧米人が好むような設備は難しいことが想像できると思う。
宗教的な制約もあるため、自由に飲み食いもできない。
だからこそ皆新市街に帰っていくのだ。
見慣れたモダンで清潔で開放的な新市街。
この街はエルサレムの旧市街の観光のために出来上がった街なのかもしれない。
だから旧市街のすぐ目の前に、ぼくの度肝を抜いたような光景が広がっていたのか。
旧市街観光が終わればできるだけ早く普段食べているおいしいものや快適な環境でゆっくりしたい。
これが観光客の素直な気持ちなのではないだろうか。
アラブ人街の食べ物屋などを見ていると、たしかに欧米人のその気持ちもわかるような気がする。特にぼくのようなお腹の弱い人間にはなおさらだ。
もちろん、新市街には現地の住民がたくさん暮らしている。
イスラエルの超正統派の人たちのほとんどがこの新市街に暮らしている。
現地住民の生活の場所としてもこの新市街は当然大きな役割を果たしている。
しかし、エルサレムという一大巡礼地、観光スポットという側面も忘れてはならないとぼくは思った。
もう一度、告白しよう。
ぼくはこの街に少し違和感を感じたのである。
想像していた聖地とちがうものを目の当たりにしてしまったからだ。
だがこの数日後、ここエルサレムはぼくのそんな気持ちをまたひっくり返すような光景を見せてくれたのである。
やはりエルサレムは特別な場所だったのだ。
続く
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