イエス・キリストのお墓、聖墳墓教会を訪ねる イスラエル編④
イエス・キリストのお墓、聖墳墓教会を訪ねる 僧侶上田隆弘の世界一周記―イスラエル編④
嘆きの壁の後は、イエス・キリストのお墓である聖墳墓教会へ向かう。
本当はここで岩のドームに向かう予定だったのだが今日はなぜか閉まっていた。
なのでまた日を改めて訪れることにする。
さあ、聖墳墓教会へと話は戻ろう。
キリスト教徒にとって、この教会こそエルサレムで最も重要な聖地とされている。
キリスト教の教義において最も重要な教えの一つがイエスの復活だ。
イエスが十字架に架けられ、命終えて墓に葬られたのち、3日目に復活したというのがその教えだ。
イエスが亡くなってから3日目の朝、お墓の様子を見に行くとそこはもうもぬけの殻。
驚くべきことにイエスはその後弟子の前に姿を現し、教えを説いたのちに昇天したとされている。
イエスはあらかじめ、この復活のことを予言していた。
弟子たちはこの復活をもってイエスがまさしく神の子であり、メシア(救世主)であったことを確信する。
ここからキリスト教は生まれてくるのである。
だからこそ、キリスト教の始まりとしてもこの聖墳墓教会は非常に重要な場所と考えられているのだ。
では、その聖墳墓教会へと足を踏み入れていこう。
これが聖墳墓教会の外観だ。思っていたより簡素に作られている。
中は参拝客でごった返していてなかなか前に進むこともできない。
まずは入ってすぐに階段を上り2階のスペースに進む。
ここはイエスが十字架に架けられた場所であるゴルゴダの丘とされていて、十字架の足場となった岩が置かれている。
ここでイエスは亡くなったのだ。
暗くて見えにくいかもしれないが、イエスの十字架上の像が置かれている。
この写真は先ほどのイエスの像の下の様子を写真に収めたものだ。
これは一体何をしているのだろうか。
イエスの足元のテーブルの下は入れるようになっており、床に開いた穴から手を伸ばせばゴルゴダの丘の岩に触れることが出来る。
かなりの時間待つことになるが順番待ちをすれば誰でも触ることができるのだ。
ここまで話してきて、疑問に思われた方もおられるかもしれない。
「ここは聖墳墓教会なのになんでその中にゴルゴダの丘まであるの?」と。
そうなのだ。
ぼくもそのことに疑問を抱いていたのだが、実際は全くの逆だった。
つまり、ゴルゴダの丘に建てられたのがこの教会の始まりで、ゴルゴダの丘の近くにイエスは葬られたのだからお墓もこの辺りにあるだろうということだったのだ。
実を言うと、ゴルゴダの丘の場所もイエスのお墓も正確な位置は誰にもわからないのだ。
初めてこの教会が建てられたのも4世紀中ごろで、イエスが亡くなってからすでにほぼ300年が経っている。
このころにはすでにゴルゴダの正確な位置もわからなくなっていたのであった。
だが、前のアフリカの記事にも書いたが、事実そのものよりも、そこにある物語を信じるかどうかが聖地としては重要なのだ。
その意味ではこの教会は聖地としての意味を完全に果たしていると言えるだろう。
そういうわけで、この教会の中にはイエスのお墓とゴルゴダの丘が共にあるのだ。
さて、ゴルゴダの丘を終えるといよいよイエスのお墓に向かう。
階段を下りて建物奥の大きなスペースの方へ歩いていく。
するとそこには円形の広場に天井がドーム状の厳かな空間が広がっていた。
円形の広場にドーム状の高い天井を持つこの構造をロタンダという。アメリカの国会議事堂もこの建築様式を採用している。
その空間の中央に鎮座していたのが、イエスのお墓だった。
さすが聖地中の聖地。この広場は人で埋め尽くされている。
ロタンダの荘厳さとお墓そのものの厳粛さが何とも言えない威圧感を感じさせる。
ここも聖域であることを実感させられる。
ここもかなり待つことになるが順番待ちすればこのお墓の中に入ることが出来る。
中は狭い部屋になっており、イエスが安置されていたとされる石の寝台を見ることが出来る。
もちろん、イエスのお骨はこの世に存在しない。
なぜならその肉体は復活し、そのまま昇天したからだ。
お骨が存在しないからこそ、お墓の中まで入ることが出来るというわけだ。
この聖墳墓教会は現在、ローマカトリック教会、東方正教会、アルメニア使徒教会、コプト正教会、シリア正教会が共同で管理している。
聖墳墓教会内にそれぞれの領域があり、そこでそれぞれがミサを行っている。
一つの宗教団体が管理するとなると争いが起きる。
そのためにあえて共存するという道を選んだのだ。
さらに、この聖墳墓教会の鍵を管理しているのはキリスト教徒ではない。
この教会の近くにすむイスラム教徒の家族が800年近くにもわたって代々聖墳墓教会の扉の鍵を管理しているのだ。
聖地を巡る争いを避けるために様々な方策を考えているのだ。
他にも旧市街の見どころはまだまだある。
だが、このブログではとりあえずここまでの紹介とさせていただこう。
この後は旧市街から新市街の方へ歩いて行く。
ぼくはそこで衝撃を受けることになる。
続く
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