サハリン体験を経たチェーホフの人間観の変化とは~理想主義と決別し、トルストイを超えんとしたチェーホフ
人間の可能性を信じるオプチミズム。
「人間は真実を求めて二歩前進し、一歩後退する。苦悩や過ち、退屈が、人間を後ろに投げ返すが、真実の渇きと不屈の意志は、前へ前へと駆り立てる」という人生観がチェーホフにはあります。
地獄の島サハリン島を経て書かれた『決闘』はチェーホフの思想を知る上でも非常に重要な作品となっています。
人間の可能性を信じるオプチミズム。
「人間は真実を求めて二歩前進し、一歩後退する。苦悩や過ち、退屈が、人間を後ろに投げ返すが、真実の渇きと不屈の意志は、前へ前へと駆り立てる」という人生観がチェーホフにはあります。
地獄の島サハリン島を経て書かれた『決闘』はチェーホフの思想を知る上でも非常に重要な作品となっています。
『意志と表象としての世界』はかなりの大作です。これを完全に理解するのは当時の人たちにとっても現代の私達にとっても至難の業です。
しかも驚くべきことに著者のショーペンハウアー自身が序文でとてつもないことを述べるのです。
彼はまず言います。この本は2回読まねばわからぬと。
こんな難しくてしかも長い本を2回も読めと。しかも1回目はまずわからないだろうから忍耐が必要だと最初から宣言するのです。さすがショーペンハウアー、言うことが違います。
他にも驚きの言葉がどんどん出てきます。やはりこの作品は一筋縄ではいきません
不思議なことにドストエフスキーその人にはあまりショーペンハウアーの影がありません。同時代のツルゲーネフやトルストイは彼に強い関心を持っていたのにドストエフスキーはそうではなかった。この事実は逆に興味をそそります。
また、ショーペンハウアーは仏教の影響を受けた哲学者としても有名です。いつか読んでみたいと思ってはいたのですがそれが延び延びになってしまっていた哲学者です。
これもいい機会ですのでこれよりショーペンハウアーを読んでいきたいと思います。
シェイクスピアの演劇というと小難しいイメージもあるかもしれませんが、実際はまったくそんなことはありません。現代人たる私たちが見てもとても楽しめる作品です。その中でも『ハムレット』は特にドラマチックで感情移入しやすい作品となっています。
シェイクスピアの演劇はカッコいい言葉のオンパレードです。
このセリフの格好良さ、心にグッとくる響きがなんともたまりません。
これは「読んでみればわかる。舞台を観ればわかる」感覚ですのでぜひぜひおすすめしたいです。
シェイクスピア作品は名作揃いでありますが、読むときにはあらかじめある程度の知識が必要です。
そこでおすすめなのが今回紹介する阿刀田高氏の『シェイクスピアを楽しむために』という本です。
この本を読めば早くシェイクスピア作品を読みたくなりうずうずしてきます。それほどシェイクスピアの作品を魅力たっぷりにお話ししてくれます。
私自身もこの本にとても助けられました。
ぜひシェイクスピアを読む前にこの本を読んでみてください。物語の楽しみが何倍にもなること請け合いです。
やはり比べてみるとわかりやすい。特に、ツルゲーネフとドストエフスキーは真逆の人生、気質、文学スタイルを持った二人です。
違いが大きければ大きいほど見えてくるものははっきりしてきますよね。
この著作を読むことでドストエフスキーがなぜあんなにも混沌とした極端な物語を書いたのか、ツルゲーネフが整然とした芸術的な物語を書いたのかがストンとわかります。
この本はツルゲーネフの全生涯を振り返りながら、その出来事と作品のつながりをわかりやすく、そして深く掘り下げていってくれます。
単に生涯をたどるだけでもなく、単に作品の解説をするだけでもない。生涯と作品を結び付けて何がツルゲーネフの作品に影響を与えているかをとてもわかりやすく解説してくれます。
これまで当ブログでもツルゲーネフ作品を紹介してきましたがそこでもたくさん引用させて頂きました。
難しい理論的な話ではなく、実際の人生と作品の結びつきが物語的に語られるので肩肘張らずに作品を理解できます。
この作品はツルゲーネフがハムレットとドン・キホーテについて思うことを述べた論文です。
ツルゲーネフにとってこの2人は彼の作品創作に非常に重要な影響を与えたキャラクターであり、彼の作品にはその面影が随所に見られます。
ツルゲーネフはハムレットとドン・キホーテを対置することで2人の性格を際立たせました。
常に自分のことでうじうじ悩むハムレット型、そして常に他者のために行動するドン・キホーテ型をツルゲーネフは見るのです。
ドストエフスキーの『悪霊』が書かれたのはまさに1870年頃のことです。
これはツルゲーネフが描こうとした70年代の青年とぴったり重なります。
ツルゲーネフは社会主義思想を信ずる過激派が農村に潜入し暴動を起こす流れを描写しました。
それに対しドストエフスキーはある街を舞台に、社会主義革命家が起こす大混乱と陰惨な事件を描きました。
舞台は違えど2人の問題意識は共通するものがあります。
物語の深刻さ、どす黒さという点では『悪霊』のほうが圧倒的に際立っていますが、『処女地』の視点も非常に興味深いです。文学スタイルの違う2人の作品を見ることでより深くこの時代の人間精神を学ぶことができるような気がします。
当時のロシア文壇からは不評だったこの作品ではありましたが現代日本に生きる私が読んでみたらどうだったのかと言いますと・・・正直、面白くはなかったです
では、この小説は読むに値しないものなのか。
いや、それが違うんです。
実は私にとってこの『煙』という小説は、ツルゲーネフ作品の中でもトップクラスに印象に残った作品となったのです。
個人的にはとてもおすすめな作品です。文学における芸術とは何かを知る上でこの作品は計り知れない意味を持っていると私は思います。