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【インド・スリランカ仏跡紀行】仏教聖地を巡る旅~インドに呼ばれた私はそこで何を感じたのか
2023年8月下旬、お盆たけなわの時期を終えた私はインドに向かいました。
33歳にして初めてのインド・・・。
私はこれまで様々な国や地域の宗教について学んできました。2019年には「宗教とは何か」をテーマに世界一周の旅に出、2022年には「親鸞とドストエフスキー」をテーマにヨーロッパやコーカサス地方を巡りました。
そしてこの2023年から2024年にかけて、私の最後の海外となるインドの旅を計画したのでした。
いわば、このインドの旅は私の「宗教を巡る旅」の終着点でもあります。様々な宗教や文化を学んできた私にとって、やはり最後に行き着く場所は仏教誕生の地インドでなければなりません。
三島由紀夫は生前こう言っていたそうです。「インドには、人それぞれに行く時期が必ず自然に訪れる」と。また「人間にはインドに行ける者と行けない者があり、さらにその時期は運命的なカルマが決定する」という意味の言葉も言っていたそうです。(※横尾忠則『インドへ』より)
三島由紀夫がインドに対して並々ならぬ関心を持っていたのは「三島由紀夫『インドの印象』~晩年の三島はインド旅行で何を見て何を思ったのか。『豊饒の海』にも強い影響!」の記事でもお話ししましたが、私もまさにそう思います。「インドは行くのではなく、呼ばれる場所なのだ」と。
私自身、実は今からちょうど10年前にインドに行こうとしていたのです。当時京都大谷大学大学院の二年生だった私は、大学の研修旅行でインドの仏跡に行く予定でした。しかしその出発の前日、突然祖母が亡くなり私はその渡航を中止することになったのです。
今思えば、その時の私はまさに「インドに呼ばれていなかった」のでしょう。私自身、「今はまだ行く時ではない」と祖母の葬儀を通してなぜか深く頷けるものがあったのです。それ以来「いつかはインドに行かねば」という思いはあったものの、その機会はなかなかありませんでした。
ですが、ついに機は熟しました。
2023年春に「親鸞とドストエフスキー」の研究が一段落し、いよいよ私は本丸の仏教研究へと進んでいきました。そして個人的な話にはなりますが、私が自由に動ける最後の1年がここから始まろうとしていたのです。で、あるならば、今しかない。これが私の最後の旅になるだろう。というわけでインド渡航を決定したのでありました。
ただ、ここで白状しなければなりません。
私はインドに行きたくなくて行きたくなくて仕方なかったのです。
「え!?」と思われるかもしれませんが、これが私の本心なのです。3度の渡航を終えた今も「もう二度と行きたくない」と思っています(笑)
ですがこうも思っています。「きっと私はまたインドに呼ばれることになるだろう」と。
私はインドが大嫌いで、大好きです。好こうが嫌おうが、やはりインドには何かがあります。
私にとってこの3回のインドは、まさしく「行きたくないのに呼ばれてしまった」旅になります。
そんな「行きたくないのに呼ばれてしまった」インドの旅行記なんて面白いの?と思われるかもしれませんがご安心を。やはりインドは面白かった・・・!これからどんな記事を書こうか迷うほど色々なことがありました。私が目にした光景はやはり衝撃的なものだったのです。
では、これより旅行記の本編を始めていきましょう。
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なぜ私はインドに行きたくないのか、どうしてそれでもインドに行かねばならぬのか、それが問題だ。
2023年8月下旬、私はインドへと向かいました。
私にとって初めてのインド・・・。
悪名高いインドの衛生状況やカオスぶりに私は渡航前から随分ナーバスになっていたのでありました。この記事ではそんな私のインド渡航の始まりについてお話ししていきます。
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