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ボスニア、サラエボの治安情報(2019年5月当時) ボスニア編⑲

ボスニア
目次

ボスニア、サラエボの治安情報 僧侶上田隆弘の世界一周記―ボスニア編⑲

いよいよボスニア編最後の記事。

今回は気になるボスニアの治安状況についてお話ししていきたい。

ボスニアは1992年から95年にかけて紛争があった国。

その紛争は国土を荒廃させ、経済も悪化し、人々の生活もずたずたにされてしまった。

そうなってしまえば当然治安も悪化し、観光旅行どころではない。

そのためボスニアは観光先として選ばれない日々が続いていたのだ。

だが、5年ほど前から状況は急激に変わり始める。

復興が進み、インフラ設備や観光施設が充実し始め、観光客の受け入れが可能な状態になり始めた。

そしてスマホの普及で情報が拡散しやすくなり、ボスニアが観光地として魅力的であることが世界中に広まり始めた。

こうして現在、まだまだ十分な状況とは言えないけれどもボスニアは観光国としての地位を築き始めているのである。

実はぼくが世界一周のルートを決めた時、周りの人から1番心配されたのがボスニアだった。

やはり紛争があった土地ということで危険なイメージがかなり根強い。

ぼく自身もボスニアは不安を感じてはいた。

そして実際にぼくは上田隆弘、サラエボで強盗に遭う ボスニア編⑨の記事で述べたように、強盗に遭うことになってしまった。

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では、実際に現在のボスニアはどのような状況にあるのだろうか。

ぼくはボスニア編の記事を書いていく中で、記事の編集のためBEMI TOURの松井さんと何度も連絡を取り合っていたのだが、その中で松井さんから注意喚起をしてほしいという連絡を受けた。

以下、松井さんの言葉を引用したい。

「実は、私たちからもひとつお願いがあります。

最近、サラエボ市内で強盗被害が相次いでいます。

上田さんの件が未遂で済んだこと、本当にほんとうに幸運でした。

例年、繁忙期はスリは多発していましたが、こんなに強盗事件があるのは初めてなんだとか。

というのも、ボスニアの移民問題は以下に詳しくありますが、

https://www.sankei.com/world/news/180728/wor1807280028-n1.html


ボスニアからクロアチアへの不法越境ブローカーが多く存在し、規制を強化した結果、クロアチア側で捕まった移民達は全財産を没収、携帯電話はその場で破壊され、ボスニアに強制送還されて、サラエボに戻ってくるため、一文無しの移民達がどんどんサラエボに増え続けているのです。

これ以上、被害を増やさないためにも、上田さんのブログでも注意喚起いただけないでしょうか。

サラエボの印象が悪くなることは望みませんが、ブログを読まれた旅行者達がサラエボの現状を知り、気をつけて行動するのが一番だと思うのです。」

以上が松井さんの言葉だ。

そうか・・・ぼくはまんまとこの移民の若者の強盗に遭ってしまったということなのか・・・

それにしても、ニュースで見たことがある移民問題がこういう形で現実に影響を及ぼしているということには驚いた。

日本にいれば移民のニュースを見ても実感が湧かないが、やはり世界は繋がっているのだ。

移民は命がけでヨーロッパに渡ろうとし、結局一文無しでボスニアに送り返される。

そんな彼らが生き残るために犯罪に手を染めたとしてどうしてぼくが彼らを責められようか。

・・・とはいえ、やはり犯罪に巻き込まれるのは極力避けたいのが本音のところ。

ぼくも二度とあんな目には遭いたくない。

松井さんの言うように、無傷で何も盗られることなく逃げ切ったぼくは本当に幸運だったのだ。

さて、改めてボスニア、特にサラエボの治安状況はたしかに万全とは言えない。

しかし、それはボスニアに限ったことではない。

今や世界中でテロが起き、移民問題や政治対立でどこの国も不安定な状況だ。

フランスでもイタリアでもスペインでも日本人の犯罪被害は後を絶たない。

結局、自分の身は自分で守らなければならないのだ。

ぼく自身痛い目に遭ったのでよくわかるが、やはり警戒が足りないのだ、日本人は。

日本はあまりに安全すぎる。

ミルザさんも日本ほど安心して歩ける国はないと言っていた。

その感覚で海外に行ってしまったらおそらくどこの国に行っても危険なのだ。

日本人の感覚からすると海外ではやりすぎなくらい警戒してもまだ足りないくらい。

隙を見せれば狙ってくる人間が常にいるというのは頭に入れておく必要がある。

―それなら海外なんて恐くて行けやしないじゃないか

そう思ってしまうのも無理はない。

しかしよくよく考えれば、現地の人はそこで生活しているわけだし、観光客もその街を楽しく歩いている。

行ったら必ず恐い目に遭うというわけではない。

大事なことは松井さんの言うように、

「旅行者達がサラエボの現状を知り、気をつけて行動するのが一番」

ということだ。

不用意に路地裏に入ったり、郊外で一人歩きしないことや、身の回りの荷物を最小限にしたりする。

ホテルもセキュリティのしっかりした治安のよい場所にしたり、夜もなるべく出歩かないようにする。

怪しいと思ったらすぐに距離を置く。

海外慣れしている雰囲気を出すなど、やるべきことは意外とシンプルだ。

特別なことは必要ない。

しっかりと自分の身を守る心構えを持っていれば、サラエボも十分楽しく過ごすことができるだろう。

ぼく自身強盗に遭うまではサラエボの街を楽しく満喫していた。

そんな殺伐とした危険な街というわけでは断じてない。

ただ、ぼくが郊外の宿に泊まり、なおかつ警戒を欠いていたからこういうことになってしまったということなのだ。

これはモスタルの新市街の路地の写真だが、ここには写っていないがこの通りには物乞いが何人もいた。

赤子を抱いた女性が道端に座り込み物乞いをしていたり、まだ10歳にもなっていないような女の子たちがお金をくれと近づいてくる。

こういう人たちと出くわしたときはこの辺は危ないなと警戒を強めたほうがいい。貧しい人が多く、治安があまりよくない証拠だ。

女の子たちはかなりしつこい。彼女たちに気をとられているといつの間にか財布がすられていたなんてことも大いにありえる話だ。

海外は基本どこに行ってもそういうことを覚悟しておいたほうがいい。

そこでぼくがこのモスタルで思いついたのはスリの気持ちになって歩いてみようという考え方だった。

街歩きしながら、この人なら狙いやすそうだなとかあの人は無理そうだなとか、そんなことを考えながら歩いてみる。

するとだんだんすられそうな人のパターンがわかってくる。

そうすると自分もそうならないように用心せねばと行動が変わってくる。

まあ、そんなことを考えている内に自分がすられてしまうという間抜けな状態になってしまうかもしれないが、多少は有効な手段だと思う。

実際、本当にプロのスリに狙われてしまったらもうあきらめるしかない。

プロの人達の技術はぼくらがどうにかできるようなものではない。

強盗に襲われるような時もそうだ。

大事なことは、そもそも狙われないようにすることだ。

狙われてしまってから行動を起こしても、それはもう遅いのだ。

今や様々なサイトで海外旅行時の防犯対策が紹介されているので、出発前にしっかりとそこで勉強してから海外に行くこと。

そして旅行中もしっかりと警戒し油断しないこと。

そうすれば被害に遭う確率はぐんと下がるだろう。

自分の身は自分で守る。

その心構えがあれば、ボスニアを含め海外のどこに行っても楽しむことができるだろうと思う。

ボスニアは本当に魅力的な国だ。

治安の不安もあるかもしれないが、そこまで過剰に恐がる必要もない。

日本ではまだまだ観光地としてはメジャーではないが、ぜひおすすめしたい国である。

さあ、これにて長い間続いたボスニア編も終了だ。

次に向かうはクロアチアのドブロブニク。

魔女の宅急便のモデルにもなったという美しい町並みを紹介していこう。

続く

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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