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ポーランド入国とクラクフ散策~旧市街とユダヤ人地区の街並み ポーランド編①

クラクフ
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ポーランド入国とクラクフ散策~旧市街とユダヤ人地区の街並み 僧侶上田隆弘の世界一周記―ポーランド編①

4月12日。

ぼくは今、ポーランドのクラクフという街に来ている。

クラクフはポーランド南部の都市で、聖マリア教会を中心とする旧市街はコンパクトにまとまって非常に観光しやすい街として知られている。

クラクフは11世紀中ごろから16世紀末までポーランド王国の首都として栄え、プラハやウィーンと並ぶ文化の中心だった街だ。

そして、ポーランドの首都ワルシャワが東京に例えられるのに対して、このクラクフは京都に例えられる。

第二次世界大戦ではワルシャワがナチスによって壊滅させられたのに対し、クラクフは奇跡的に破壊を免れた。

そのため中世からの古い町並みが現在も残っているというわけだ。

ホテルから出るとそこはすぐに色とりどりなヨーロッパらしい建物が並んでいる。

残念ながら小雨がぱらついている。

そしてものすごく寒い。5度にも満たない気温だ。

吹き付ける風が体を凍えさせる。

強烈な日差しと25度近くあったイスラエルとの差が心底身にこたえる。

だが、そんなどんよりした東欧クラクフの街並みも、それはそれでなんとも味わい深い。

こういう広場を目にすると、ヨーロッパにいることを感じさせられる。

旧市街の入り口からその街並みを見渡す。

ヨーロッパの古い町並みがここには残されている。

歩きながらぼくは思う。

「この街・・・いいな・・・」

はっきりしたことはわからないが、この街、なんとも絶妙なのだ。

まず、中世の街並みが美しい。

そして現代の生活ともうまく融合している。つまり、便利で快適。

さらに清潔。ごみもほとんど落ちていない。

おまけに、静かで落ち着いた街の雰囲気。

少し散歩しただけで自然と笑みがこぼれるような、そんな街だった。

旧市街の広場まで来た。

なんとそこには馬車が行列をなしていた。

どれも立派な馬であり、堂々たる迫力。

石畳を闊歩する蹄の音が広場に響きわたる。

これが旧市街の中心、聖マリア教会。

この教会については次の記事でご紹介する。

さて、旧市街を抜けて今度はカジミエシュ地区と呼ばれるユダヤ人街へと向かっていく。

クラクフには多くのユダヤ人が戦前まで暮らしていた。

しかしナチスドイツによるホロコーストでその生活も終わりを迎える。

映画『シンドラーのリスト』の舞台になったのもこの街だ。

そして戦後、ユダヤ人街だったこの街には住む人もいなくなり荒廃していたそうだ。

しかし現在、おしゃれなカフェやショップが軒を連ねるようになり、若者が集まるスポットとして生まれ変わっているとのこと。

歩いてみると、たしかにカフェやショップが多いことに気づかされる。

そして、シナゴーグの存在にも。

シナゴーグとはユダヤ人の祈りの場だ。

右の建物にユダヤ教のシンボル、ダビデの星が描かれているのがわかる。

この街最古のシナゴーグ、スタラ・シナゴーグは現在博物館として利用され、当時のユダヤ人の生活の様子を展示していた。

『シンドラーのリスト』にせよ、エルサレムのホロコースト記念館で見た映像にせよ、この時代の映像はほとんど白黒で撮影されている。

『シンドラーのリスト』は戦後の映画だが、多くのシーンを白黒で撮影している。

そのシーンがとても重々しく見えたのをぼくは覚えている。

戦前、そして戦後間もない時の映像は白黒だ。

だが、ぼくが生まれて物心ついたころには、テレビはすでにカラーの時代だ。

白黒の映像となると、急に時代が違うように感じられて別の世界のように感じてしまう。

つまり、今あるぼくらの生活とは離れた、「歴史」という範疇にその映像はくくられてしまうのだ。

だから、あまり実感が湧かない。今の自分とつながった同じ世界のこととは思えない。

だが、この街を歩いていると様々な色彩がぼくの目の前に飛び込んでくる。

『シンドラーのリスト』の世界が色を持ってぼくの目の前に現れてくるのだ。

色の存在がぼくの思いを呼び立てる。

ここでぼくと同じように生きて、生活していた人がいた。

そして悲劇に巻き込まれ、命を落としていった人がたくさんいたのだと。

歴史を見守ってきた中世の街並みが、そうぼくに語りかけてくるようだった。

続く

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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