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眠れない人には夜は長く、疲れた人には一里の道は遠い―お釈迦様のことばに聴く
眠れない人には夜は長く、疲れた人には一里の道は遠い。正しい真理を知らない愚かな者どもには、生死の道のりは長い。
岩波書店、中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』P18
今回のことばもお釈迦様の素晴らしいたとえが光ります。
「眠れない人には夜は長く、疲れた人には一里の道は遠い。」
これは誰しもが頷ける言葉なのではないでしょうか。夜は全ての人に等しくあります。しかし眠れぬ人にとってはその時間は果てしなく感じられることでしょう。
そして疲れた時に感じる距離感。これもまさしくそうですよね。もう一歩も動けないという疲労感があるときの1キロと、元気な時の1キロではまったくその受け取りは違います。
今回のことばは「愚かな人」という章の最初に出てくることばです。
愚かな人にとっての人生はまさしく、
「眠れない人には夜は長く、疲れた人には一里の道は遠い。」というようなものなのであるとお釈迦様は説かれるのです。
仏教における救いとは「涅槃(ニルヴァーナ)」という境地にあります。これは煩悩の火が消えた境地を表します。これを今回の箇所では「眠り」にたとえています。
修行をして悟りの境地を目指さぬ者は眠れぬ苦しい夜を過ごすのと等しいとお釈迦様は述べるのです。
そして眠れぬ夜の苦痛を紛らわすために人々は刺激や娯楽に頼ろうとしますが、結局己の煩悩に疲れさせられ、悟りへの道が絶望的に遠く感じるようになると説かれるのです。
確かに疲れ切っている時にあと1キロ走れと言われても辛いですよね。
ですが逆に言えば元気な時だったら同じ1キロも違って見えてくる。
さらに言えば、毎日20キロ楽々と走っている人であれば1キロの見え方もずいぶんと変わってきます。不摂生をして運動をほとんどしてこなかった人とは全く感じ方が違うのは当然です。
つまり今回のことばでは「眠れない人には夜は苦しく感じられたり、疲れ切った人にとっては1キロは絶望的な道のりに思えるかもしれないが、もしすぐに寝つける人や日頃から走り慣れている人からすれば、長い夜も1キロの道のりも苦しいものではない」というメッセージも含まれているのです。
不摂生をして煩悩まっさかりの生活をしている人からしたら、悟りの道は絶望的に思えるかもしれない。しかし少しずつ生活を改め、自らを修めていくならば同じ道も絶望的には見えなくなっていく。
いや、むしろ眠れない苦しい夜ともおさらばできる快い道になっていくだろうとお釈迦様は説くのです。
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