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紛争地パレスチナ自治区のベツレヘムを歩く~難民居住区と分離壁、平和とは イスラエル編⑰

ベツレヘム
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紛争地パレスチナ自治区を歩く~難民居住区と分離壁と、平和とは 僧侶上田隆弘の世界一周記―イスラエル編⑰

ベツレヘムの街を壁に沿って歩く。

このツアーではパレスチナ難民が住む難民キャンプを訪れることになっている。

難民キャンプに行くのは今回が初めてだ。

テレビで見るような悲惨な光景をぼくは目の前にすることになるのだろうか・・・

この先に難民キャンプがあるそうだ。

壁沿いの道をガイドさんと共に歩いて行く。

ふと、ガイドさんが足を止め、かがんで何かを拾い上げた。

見たところ、細長い鉄くずのようだった。

「これは手投げ弾のピンです。わかりますか?ここから私達パレスチナ人に向けて手投げ弾が投げられたのです。」

・・・そんなものが道端に普通に落ちているという現実。

そしてそのような鉄くずはよく見てみればそこら中にあることがわかった。

弾丸が入っていたケースも転がっていた。ここで銃が発砲されたということか・・・

そんな道を歩いていると視界が開けてくる。

ここから先が難民キャンプだ。

キャンプというとテレビで見るような、粗末なテントにびっしりと難民が肩を寄せ合っているというイメージがあったが、ここはしっかりとした建物が並んでいた。

寂れていた通りではあったが、そこには普通に生活している人たちがいた。

想像していた難民キャンプではなかった。

だが、ここに住んでいる人たちは皆、故郷を追われた人々なのだ。

ガイドさんは言った。

「イスラエル人は『2000年前に我々はここに住んでいた。だからこの土地は我々のものだ』と言って、私達パレスチナの人々を強制的に追いやった。

私達だってこの地にずっと住み続けてきたのです。それなのに突然やってきて、武力で我々が住んでいた土地を奪いとっていった。

これはおかしいことでしょう。」

「この建物が出来た時も、私たちはそんなものが欲しかったわけではなかったのです。

私達はただ、故郷に安心して住んでいたかっただけなのです。

もしこの難民キャンプに住んでしまったら、ここに生活の場が移ってしまうことになる。そうなってしまえば先進国は、ひとまずこれで問題は解決されたと手を引いてしまう。

それでは問題は本質的に解決されずに据え置かれることになるだけだろうと私達は思っていたのです。

そして、現実はその通りになりました。」

ガイドさんの言葉は力強く、同時に怒りや悲しさ、寂しさを感じさせるような声でぼく達にここでの出来事を伝えてくれるのであった。

そして、イスラエルの平和はどうして成り立っているのか。

その答えもガイドさんは教えてくれた。

「見ての通り、私達は分離壁に囲まれています。私達は閉じ込められています。向こう側には行けないのです。

それに経済的な格差もあります。こちら側でいくら働いても、向こう側とは物価が違いすぎます。給料だってお話になりません。

イスラエル軍は私達を分離し、力で押さえつけています。

閉じ込められた私達には何もできません」

これはイスラエルでユダヤ人のガイドさんが言っていたことと重なる。

「私達は壁を作り、悪い人や悪いものが入ってこないようにしました。

それまでは悪い人達ががこちらに入り込み、テロや争いが発生し、罪もない多くの人が命を落としました。

壁を作ったことで私達は平和を手にすることが出来ました。

今ではテロもほとんどありません。治安もとてもいいです。」

平和とは一体何なのだろう。

ぼくにはもうわからなくなってきた。

イスラエルが享受している平和は、本当に平和と言える代物なのだろうか。

たしかに治安もよく、欧米人のリゾート地として非常に快適で安心できる街であったのはぼくも実感したことだ。

でも、その平和はパレスチナの人を壁の中に閉じ込めることによって成り立っている平和だったのだ。

もちろん、すべてのパレスチナ人がテロに関わっているわけではない。

ほとんどの人が自分の故郷に帰りたいという思いでデモを行ったり、行動を起こしていただけなのだ。

パレスチナ人にとってはイスラエル人こそ、「我らの土地を暴力で奪った」者であり、パレスチナ人は自分達を被害者だと考えている。

しかしその一方でイスラエル人はパレスチナ人こそ「私達の平和を脅かす」者であり、私達は自分たちの身を守るために壁を作ったのだと考えている。

壁を作ることで新たなテロを防ぎ、罪もない人々の命を守るのだとイスラエル人は言うのだ。

さあ、ぼくたちはこれをどう考えたらいいのだろう。

どちらの言い分も否定できない。

昨日ヤド・ヴァシェムで出会ったガイドさんはこう言っていた。

「ユダヤ人は常に大きな矛盾の中で究極の選択を迫られている。

そしてそれでもどちらかを選び取って生き抜いてきた民族なのです」

巨大な矛盾の中で生きていかなければならない。

それは究極の選択を日々迫られる毎日なのだろう。

ここイスラエルとパレスチナの問題はまさしくそういう矛盾が突き付けられている。

パレスチナ問題はあまりに複雑で根が深い。

第一次世界大戦時のイギリスが特にこの問題を起こした張本人だ。

だが、それだけに原因を絞るのも単純すぎる。

イスラエルの地はあまりに歴史が古く、そして様々な民族や文明がここに根を下ろし、多くの大国がこの地を巡って駆け引きをしてきた。

もはや解決するのはあまりに困難なほど事態は複雑化しすぎてしまった。

ぼくに出来ることといえば、陳腐な答えかもしれないがそのことを学ぶことしかない。

日本という国でぼくは生きていく。

でもその一方でこういう状況の中で生活している人達がいる。

じゃあぼく達日本人はどう生きていけばいいんだろうか。

日本という国をどう見ていけばいいんだろうか。

それを歴史と向き合って考えていくしかない。

ぼくは辛い現実を目の当たりにし、重い足取りで難民居住区を後にするのだった。

続く

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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