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ベツレヘムとパレスチナ自治区~分離壁に囲まれた町 イスラエル編⑯

ベツレヘム
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ベツレヘムとパレスチナ自治区~分離壁に囲まれた町 僧侶上田隆弘の世界一周記―イスラエル編⑯

4月9日。

今日は現地の旅行会社のツアーに参加し、パレスチナ自治区にあるベツレヘムへ向かう。

今回ぼくが依頼したのはパレスチナ側の旅行会社だ。

これまでいくつかのツアーに参加してきたがそれはすべて、ユダヤ系、あるいは親イスラエル側のツアー会社だった。

そのため、ユダヤ人側からの話しかぼくは聞くことができなかった。

一つの紛争が起こった時、どちらか片方の側からしか話を聞かなかったらかなり一方的な意見を聞くことになる。

「私たちは被害者で、彼らはこんなにひどいことをした」

もちろん、そのようなひどいことは実際に起こったかもしれない。

しかしその背景まではどうしても一方の側からの話だけでは掴めないことが多い。

だからこそ、ぼくはパレスチナ側の話も聞きたいと思い、このツアーに参加したのだ。

さて、イスラエルにはイスラエル人が管理する地区と、パレスチナ人が管理する(ということになっている)パレスチナ自治区というものがある。

パレスチナという言葉自体はぼく達日本人もよくニュースで耳にする。

そしてそのニュースのほとんどは何か物騒な、危険なイメージをぼくらにもたらすようなものだ。

「中東は危ない」

このようなイメージがぼくらには根強く存在する。

だが、これまでイスラエルで過ごしてきて、そのような治安の心配は一切なかった。

もちろん、銃を持った軍人が街のいたるところにいる。

でも、必要以上にそれを恐れる必要もないのだ。

たしかにイスラエル国内でも国境近辺のガザは今でも危険はある。

でも、全体としては非常に治安は安定しているというのが現状だ。

先日エリコに同行してくださったガイドさんによると、「今現在がイスラエル人にとって最も平和な時を過ごせている」とのことだ。

ここは平和なのだ。

ただ、ぼくは疑問に思う。

どうやってこの平和を実現できたのだろうか、と。

そしてその答えの鍵となるのが、これから向かうパレスチナ自治区なのだ。

まずはじめに、パレスチナ人とは何者なのかということをお話しさせていただこう。

パレスチナ人とはこのイスラエルの地にもともと住んでいた人たちのことを指す。

イスラエルという地名も1948年にイスラエルという国家が成立したからこその名前で、それ以前はずっとパレスチナと呼ばれていた。

つまりパレスチナ人とはユダヤ人がここに住んでいた時よりもずっと前からこの地に生きていた人たちなのだ。

2000年前、ユダヤ人がイスラエルの地にいた時もすべての人口がユダヤ人だったというわけではない。そこには様々な背景を持つ人たちが共に生きていたのだ。

と、いうのがパレスチナとパレスチナ人とは何者かという問いのざっくりとした解説だ。

さて、今日の目的地はパレスチナ自治区にあるベツレヘム。

ここにはイエス・キリストの生まれた場所と言われる生誕教会がある。

そしてベツレヘムはエルサレムから30分もかからない距離だ。

ただ、そこに行くまでにはイスラエル軍による検問を越えてパレスチナ自治区に入らなければならない。

検問を越えると、そこはパレスチナ自治区。

エルサレムのような賑わいもなく、どことなく寂れたような雰囲気だ。

ガイドさんとはここで合流する。

ガイドさんはここベツレヘムに住むパレスチナ人。

なぜここで合流するのか。

それはパレスチナ人はこの自治区からそう簡単には出ることができないからなのだ。

ガイドさんも1999年以降、ここを出られていないと言っていた。

すぐ先にコンクリートの壁が見える。とてもじゃないが人が越えられる高さではない。

それが向こうの丘までびっしりとそびえ立っている。

これがパレスチナ自治区を囲む分離壁だ。

そしてガイドさんはこう言う。

「建物の上に黒いものが見えるでしょう。

あれは水をためるタンクです。

エルサレムの街であのような黒いタンクを見ましたか?ありませんでしたよね?

そうです。私たちには水を手にする自由もありません。

イスラエルによってそれも抑えられてしまっているのです。

だからこうして自分たちで水を用意しなければならないのです。」

唖然とした。言葉が出ない。水も少ないパレスチナという土地で、こうもわかりやすい形でパレスチナ人は首根っこを押さえつけられているのか・・・

町に向かって歩いて行く。

すると分離壁がすぐ目の前に迫ってきた。

これが間近で見た分離壁だ。

壁には落書きやアートがびっしりと描かれている。

バンクシーの絵で有名になったのもこの壁だ。

人口の多いベツレヘムの街をぐるっと囲むように建てられているのがこの分離壁だ。

パレスチナ人はこの壁の中に完全に閉じ込められている。

目の前を壁で覆われ、外の世界を見れなくなった世界に押し込まれた生活・・・

ぼくには想像もつかないような世界だ。

パレスチナの人は一体毎日をどんな気持ちで過ごしているのだろう・・・

そして歩きながらふと思い立ち、嘆きの壁の時と同じように、壁に手を当ててみる。

だが、それはただの冷たいコンクリートの壁だった・・・

続く

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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