エフドキーモフ『ロシア思想におけるキリスト』あらすじと感想~『悪霊』ティーホン主教のモデルになったザドンスクの聖ティーホンとは
パーウェル・エフドキーモフ『ロシア思想におけるキリスト』概要と感想~ドストエフスキーが生きたロシアはどんな宗教や思想を信仰していたのか
今回ご紹介するのは1970年にパーウェル・エフドキーモフによって発表された『ロシア思想におけるキリスト』です。私が読んだのは1983年に明石書房より発行された古木功訳の『ロシア思想におけるキリスト』です。
著者のエフドキーモフは1901年生まれのロシア人神学者です。
彼は宗教弾圧の猛威が吹き荒れるソ連時代にフランスに亡命し、そこで学者としての名声を確立することになりました。
ソ連内にいてはロシア正教の信仰は弾圧され、書物の発行はもちろんご法度です。ですのでロシア正教の教えを詳しく知っている人物がロシアのキリスト教について解説している本というのは貴重な存在です。
ドストエフスキー評伝の金字塔モチューリスキー著『評伝ドストエフスキー』も亡命ロシア人の作品です。
同じロシア人だからこそわかるロシアの宗教、思想について語ってくれるこれらの著作はドストエフスキーを学ぶ上でも大きな意味があると私は感じています。
さて、今回ご紹介するエフドキーモフ『ロシア思想におけるキリスト』はタイトルにも書きましたようにロシアにおけるキリスト教の歴史や思想の概略を示してくれる作品となっています。
こちらの目次を見て頂ければわかりますようにかなり広い範囲にわたってこの本は解説されています。
第一章の「東方教父神学におけるキリスト論」はかなり専門的で、正直研究者レベルでないとついていけないくらいの詳しい解説です。
ですが第二章からは歴史的にロシアの思想がどのような変遷を辿ってきたかということが語られます。ここからは当時の時代背景と合わせて語られるのでとても読みやすいです。ロシアのキリスト教は他のキリスト教と何が違うのか、なぜそのような違いが生まれてきたかをここで知ることができます。これは非常に興味深いものがありました。
そして一番ありがたかったのはザドーンスクの聖ティーホンについての解説の存在です。
この人物はドストエフスキーの『悪霊』に出てくる主教ティーホンと『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老の造形に大きな影響を与えた人物として知られています。
本書ではこの聖ティーホンについて次のように解説されています。少し長くなりますが重要な点ですのでじっくり読んでいきます。
ザドーンスクの聖ティーホン
サーロフの聖セラフィームの先駆者であるザドーンスクの聖ティーホン(一七二四-一七八二)は、タボル山の光と、未来の復活祭の期待という偉大なるビザンティン的テーマをロシアの大地に新たにする。
ヴォローネジの主教ティーホンは、高い教養の人物で、西ヨーロッパ文学の洗練された鑑定人であり、彼自身驚くべき作家であった。死後、宗務院は教去の読み物としてその著作集を出版している。彼の二つの著述、「真のキリスト教について」と、「世に受けいれられた霊的宝について」は、今でも豊かさと新鮮さを保っている。
ティーホンは、常に歩んでいる人生の旅路における巡礼の姿を具体化していた。しかしその喜びは、長い修徳的ないさおしの代償であった。彼は言うに言われぬ悲しみを経験していたが、これはおそらく十字架の聖ヨハンネス(一五四二~一五九一)の神秘的な夜の体験に似た、正教霊性における唯一の例であろう。
彼は非常に人気のある、近づき易い主教であったが、健康上の理由で早くから役務を辞し、人里離れた修道院に住んでいた。しかし人間の苦しみに対する大いなる感受性によって万人に親しまれる師であり、司牧者であった。救い主を求めぬ世間の前で、絶えず救い主を証言した。ロシア貴族の自称「啓蒙された」党派のヴォルテール主義に対して、使徒的反動を示していた。そういうわけでドストエーフスキィは、ロシア虚無主義に返答するために、長老ゾシーマと、「悪霊」に登場する主教ティーホンのモデルとして彼を選んだのである。
ティーホンは常に聖霊の霊感のもとに著作していた。弟子は、彼の燃えるようなあふれるばかりの省察を完全に記すことはできなかった。偉大な見神者として、彼はほとんど毎日。「使徒の宣教」の伝える輔祭ステファノス(使徒の宣教7・54~62)のように、天が開かれるのを見る。弟子によれば、彼の隠棲所はしばしば天国の光で照らされていた。また愛についての説教においては、聖ヨハンネス・クリュソストモスを引用していた。民衆の生活に対する注意深い教育者として、聖書のロシア語翻訳の創始者の一人であり、みずから新約聖書と詩編の翻訳をしている。
「神学者とは祈ることを知る者である」という教父たちの言葉は、彼に対して適用される。彼は神の体験的認識として考えられた生ける神学を渇望していた。第一に、彼は「内面化された修道生活」として在俗信徒の尊厳さを説いている。教会権威者にあてて次のように書いた。「修道者の数をふやすことを急いではならない。修道服は人を救うものではない。平服を着、従順、謙虚、貞潔の精神を持つ者こそ内面化された修道生活の真の修道者である」。
明石書房、パーウェル・エドキーモフ、古木功訳『ロシア思想におけるキリスト』P95-97
一番最後の『彼は「内面化された修道生活」として在俗信徒の尊厳さを説いている。教会権威者にあてて次のように書いた。「修道者の数をふやすことを急いではならない。修道服は人を救うものではない。平服を着、従順、謙虚、貞潔の精神を持つ者こそ内面化された修道生活の真の修道者である」』という箇所は非常に重要です。
私にとって『カラマーゾフの兄弟』の中でも特に強い印象に残っているのがゾシマ長老がアリョーシャに託した「修道院を離れてキリスト者になれ」という教えでした。これは浄土真宗における法然上人と親鸞聖人の関係を彷彿とさせます。その教えの源流がこの聖ティーホンにあったというのは大きな驚きでした。
この作品ではドストエフスキーについても語られますしトルストイやゴーゴリなどロシア文学を代表する人物達とキリスト教の関係を知ることができます。
その後の19、20世紀におけるロシアのキリスト教思想家についても知れるのもこの作品の特徴です。
中世ロシアから20世紀のロシアまで幅広くロシア正教の流れを知れるおすすめの作品です。
以上、「エフドキーモフ『ロシア思想におけるキリスト』~『悪霊』ティーホン主教のモデルになったザドンスクの聖ティーホンとは」でした。
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