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トルストイ『ルツェルン』あらすじと感想~スイスの有名保養地でトルストイ大激怒の事件発生。上流階級を激しく非難する告発の書

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トルストイ『ルツェルン』あらすじと感想~スイスの有名保養地でトルストイ大激怒の事件発生。上流階級を激しく非難する告発の書

今回ご紹介するのは1857年にトルストイによって発表された『ルツェルン』です。私が読んだのは河出書房新社より発行された中村白葉訳『トルストイ全集 初期作品集(下)』1980年第3刷版所収の『ルツェルン』です。(全集では翻訳の関係で『ルツェルン』が『リュツェルン』という題になっています。)

早速この本について見ていきましょう。

トルストイは、前記最初の欧州漫遊で、半年にわたり、フランス、スイス、イタリア、ドイツと遍歴した。旅中、パリで死刑執行を目撃し、生涯ぬぐうことのできない深刻な印象を受けたというのも、この時のことである。

前期諸作中での佳品『リュツェルン』は、死刑執行を見てからスイスへまわり、リュツェルンに滞在して自身遭遇した事件を、ほとんどありのままに書きつけたものであるといわれている。内容は、単純きわまる一嘱目風景の記録にすぎず、量的にも五十枚にみたぬ一短編にすぎないが、戦争従軍以来、かねて心中にあった進歩と文明にたいする懐疑的傾向が、ギロチン台上の無残な処刑を見て頂点に達したあと、ひきつづきこの事件に遭遇して、一躍はげしい憤りとなって紙上にたたきつけられた感じである。

小説の形によるこの問題提起―これはその発表当時、いうところの青天の霹靂として、読者を震撼したものであった。そこで、この一スケッチにすぎぬ一編は、たちまちのうちに、トルストイの作中もっともひろく外国に知られることとなり、わが国にも、明治二十年代に、森鴎外の翻訳で『瑞西館』として紹介されているくらいである。これなど、トルストイの作品として、もっとも早くわが国に翻訳されたものの一つであろう。
※一部改行しました

河出書房新社、中村白葉訳『トルストイ全集3 初期作品集(下)』1980年第3刷版所収、巻末解説P442-443

トルストイは1855年にクリミアの戦地から離れ、故郷ヤースナヤ・ポリャーナに帰還します。

そしてその後1857年にヨーロッパ旅行に出発します。

最初に訪れたパリで長期の滞在の後、ギロチンによる公開処刑を目の当たりにし、トルストイは現代文明への激しい懐疑を決定的なものとしたのでありました。

今回ご紹介している『ルツェルン』はそんなトルストイがパリの後に訪れたスイスの保養地、ルツェルンを舞台にした作品となっています。

ルツェルン Wikipediaより

ルツェルンは当時世界的に有名な保養地で、多くの著名人もここに滞在しています。ドストエフスキーもその一人です。

さて、今作『ルツェルン』ではここを訪れたトルストイが遭遇した「ある事件」がもとになって書かれました。

その事件について藤沼貴著『トルストイ』では次のように述べられています。少し長くなりますが、この作品の成立過程や内容を知るのに非常に役に立つのでじっくり読んでいきます。

トルストイはルツェルンに着くと、最高級ホテルスイス館シュヴァイツァーホフに泊まった。宿泊客はイギリスをはじめ、豊かな国の金持ちや上流階級の人たちである。豪華なディナーが上品で、いささか堅苦しい雰囲気で終わると、トルストイは息抜きに夜の散歩に出かけた。

その帰り道ホテルの近くに人が群がっているのが見えた。深まっていく夕闇のなかで、流しの芸人がギターを弾きながら歌をうたっている。うらぶれた貧相な男だが、芸はなかなかのものだ。ホテルの窓やバルコニーにはその芸を楽しんでいる泊まり客の姿も早える。

しかし、歌い終わって芸人が帽子を差し出すと、だれも金を与えようとしない。群衆たちはせせら笑って、芸人をからかったりしている。トルストイは腹を立て、芸人に金を与えたばかりか、尻ごみするかれをホテルのレストランに招き入れて、その労をねぎらおうとした。

しかし、当時の高級ホテルでは普段着の者でさえ玄関番に追い返される。大道芸人を入れてくれるわけがない。二人は庶民のいるバーに入れられ、そこで酒を飲むはめになった。無礼なボーイたちはにやにや笑いながらこの珍妙な二人連れを眺めている。客の前では立っていなければならないドアボーイも座りこんで眺めている。トルストイはかんしゃくを爆発させて、わめきちらし、ボーイたちをふるえあがらせた。

二日後の六月二十七日、トルストイはこの事実を題材にして、短編『ネフリュードフのノートから。ルツェルン』を書きはじめ、二十九日にはもう書きあげた。その後多少手直しをしたが、この作品を書くのに要した日数は実質的に三日間だった。トルストイは時間をかけ、何回も書き直して作品を完成するタイプの作家だった。これほど興奮して、一気に書いた作品は一七七~一七八ぺージで触れた『ゲーム取りの手記』以外にない。しかも、ロシア語のトルストイ大全集で二十三ぺージしかないこの作品の最後の四ぺージは、小説でも物語でもなく、次のような現代文明を弾劾する作者の生の言葉だった。

「これこそ現代の歴史家が消すことのできない炎の文字で書きしるさなければならない事件である。これは新聞や歴史に書かれている事実より重要で深刻で、深い意味をもっている」。「七月七日〔グレゴリウス暦〕ルツェルンで生じた事件は、私にはまったく新しい、奇妙なものに思えるし、人間の本性の常に変わらぬ悪い面ではなく、社会の発展の一定の時代に関係するものである」。
※一部改行しました

第三文明社、藤沼貴著『トルストイ』P219-221

大道芸人に対する差別的な扱いに激怒したトルストイ。

その怒りがどれほどだったかは上の解説を読めば伝わってきますよね。

トルストイがわざわざ「これこそ現代の歴史家が消すことのできない炎の文字で書きしるさなければならない事件である。これは新聞や歴史に書かれている事実より重要で深刻で、深い意味をもっている」と述べているのは非常に大きな意味があると思われます。

そしてもうひとつこの作品に関連して興味深いものがあります。

それは作家、芸術家にとっての「アルプス体験」です。同じく藤沼貴著『トルストイ』ではこのことについて次のように説かれていました。

十八世紀以来、ルソーなどをはじめとして、西欧の人たちの間に「アルプス体験」というものがあった。

ニ一五ぺージで触れたカラムジンの西欧旅行の目的の一つは、自分もその「アルプス体験」をしてみることだったと思われる。かれはアルプスの山頂に達した時の貴重な体験を次のように書いている。

「疲れは消え、カがふたたびよみがえり、呼吸が楽に、自由にできるようになり、めったにない安らぎと喜びが心に満ちあふれた。私はひざまずき、目を空に向けて、これほどはっきり自分の力と、偉大さと、永遠性をこの花崗岩と雪のなかに刻みこんだ者に対して、心からの祈りを供物としてささげた!……友よ!私は人間が至高の者にひれ伏すために達しうる最大の高みに立っていたのだ!……私の舌は一語も発することができなかったが、私はこの時ほど熱心に祈ったことはかつてなかった」

「アルプス体験」は人によってさまざまなニュアンスの違いがあるが、基本的には高山にのぼることで、人工的な生活を超越し、自然、さらには絶対者に近づけるということだった。

トルストイのルツェルンでの体験も、アルプスの大自然と反自然的な人工に執着する文明人の間で起こったことなので、一種のアルプス体験だと言える。しかし、トルストイはアルプス体験をすでに、カフカースの自然のなかで通過し、自然対反自然の初歩段階を卒業していた。ルツェルンの事件はそれよりすこし複雑で、文明が単に反自然ではなく「虚偽、悪」と規定され、それに対立する自然は「真理、善」とされた。そして人は「美、芸術」を媒介として、虚偽から真理に導かれる。つまり、「文明(反自然)=虚偽、悪―自然=真理、善」という図式になる。
※一部改行しました

第三文明社、藤沼貴著『トルストイ』P223

作家にとって「アルプス体験」とはどのような意味があったのかというのが非常にわかりやすいですよね。

そしてトルストイに関してはすでにカフカースでその体験を済ませていたということ。

トルストイのカフカース体験についてはこれまでも当ブログで紹介してきました。

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トルストイにとっては通常の「アルプス体験」ではなく、「その先のアルプス体験」とでもいうようなものがここルツェルンでは起きていたのでした。これもトルストイを知る上でとても興味深いものとなっています。

トルストイが大激怒したルツェルン事件。

短編ながらも非常に大きな意味を持った作品となっています。

以上、「トルストイ『ルツェルン』あらすじと感想~スイスの有名保養地でトルストイ大激怒の事件発生。上流階級を激しく非難する告発の書」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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