下見隆雄『礼記』概要と感想~原始仏教と中国思想の『礼記』は似ている?儒教の根本聖典を読んで驚く
下見隆雄『礼記』概要と感想~原始仏教と中国思想の『礼記』は似ている?儒教の根本聖典を読んで驚く
今回ご紹介するのは1973年に明德出版社より発行された下見隆雄著『礼記』です。
早速この本について見ていきましょう。
五経の一、漢の戴聖の編。周末から秦漢にかけての古礼に関する記録。周礼・儀礼と合わせて三礼と言い、特に、礼記の出現は意義も深く用途も幅広い。本書は、身辺の道徳作法四十二条を解説する。
『礼記』は儒教の重んずる四書五経のひとつです。四書五経については前回の記事で紹介した竹内照夫著『四書五経入門』でそのおおまかな概要を掴むことができましたが、本書ではそのひとつ、『礼記』について詳しく見ていくことになります。
さて、今回ご紹介する『礼記』における「礼」とはそもそも何なのか。そのことについて本書冒頭では次のように解説されます。
「礼」は旧字体では「禮」と書かれ、(中略)後漢の許慎の著した『説文解字』の説明によれば「履」の意であり、人として履みおこなうべきみちを意味し、特に神に事えて、これを祭るのにふみおこなうべきみちをいう。だから文字は神をあらわす「示」と「豊」があわさってできているという。「豊」はもと祭器をあらわす字である。「礼」の文字の起源にはいろいろな説があるが、いずれにしても、礼が本来は宗教的な観念をあらわすものであることにはかわりがない。現在のわれわれの考える礼の観念には、宗教的な色彩をとりのぞいた意味での、社会生活上の一定のルールないし規範という表現がよくあてはまるように思われる。基本的には、古代・現代を問わず社会の規範という意味は同じように持ちながら、日常生活が宗教的観念と密接に結びついていた時代と、科学的な思考の上に生活が推進されていく時代との差で、そのあらわれ方が異なっているにすぎない。
明德出版社、下見隆雄『礼記』P9
たしかに私たちの「礼」のイメージはというと、「社会生活上の規範」というのが妥当であると思います。しかし中国の儒教世界においてはこの「礼」が単なる社会規範のみならず、宗教的な観念とつながっているというのが重要なポイントになります。以前当ブログでも紹介した加地伸行著『儒教とは何か』でも儒教の宗教的な側面が説かれていましたが、この「礼」においてもまさにそうした宗教的な側面があることを本書で知ることになります。
もちろん、
礼を一おうこのように考えることはできるが『礼記』にとりあげられる「礼」はきわめて多様な意味に用いられている。政治的な制度を意味したり、神への儀礼・作法も意味すれば、日常生活上のこまかな慣習やマナー、またはエチケットと云われる部分にまでわたる。
明德出版社、下見隆雄『礼記』P9
『礼記』は古代中国の社会を支えていた、精神文化の総集のような存在であるから、きわめて広い領域のものが収められているものと考えなくてはならない。
明德出版社、下見隆雄『礼記』P21
と述べられるように一概に全てが宗教的なものであるとはいえませんが、宗教的な世界観の中においてひとつひとつの礼、ルールが定められていたというのは重要なポイントであると思います。まさにこの点はインドの『マヌ法典』とそっくりであるように感じます。
そしてこの『礼記』において特に印象に残った箇所があります。それがこちらです。最初の一文が『礼記』本文、その後が解説になります。
敖は長ずべからず。欲は従にすべからず。志は満たすべからず。楽は極むべからず。
心に生ずる敖慢さは長ずるままにしてはいけない。欲望は気持のおもむくままにしてはいけない。志は満足させてしまってはいけない。楽しみごともきわめつくしてはいけない。正しくあるためには、これらはほどほどにすることを心がけなければならない。
おごる気持は現実に対する的確な判断をあやまらせる。物事の成就感が異常に自己を拡大させ、強い優越感を形成するから、つい相手のことも考えずに、おごる気持は発散される。現実のいろいろなものと自己とを見つめる調和的判断がくずれ、さらに相手となる人の気持ちをきずつけてしまうのである。しかしほどよくこれを持つことは、良い意味での自信になるから、生きるうえでの意欲を支えるものともなる。欲望をいさめる言葉は、道家・儒家をとわず、中国の古典にはたくさん見うけられる。ただこの際注意したいことは、「敖」の場合も含めてであるが、拡大すればいろいろな不条理をもたらすこのようなものを、人間の中から追い出せとはいっていないことである。禁止ではなく、程よく調節せよというかたちで教えられる。
明德出版社、下見隆雄『礼記』P46-47
いかがでしょうか。私はこの箇所を読んで原始仏教で説かれる教えとそっくりではないかとそれこそ度肝を抜かれました。特に初期経典のひとつとされる『ブッダのことば』や『真理のことば』ではまさにこのような心の制御、バランスが説かれることになります。
中国では仏教が伝来した際、原始仏教系の経典と後に生まれた大乗仏教経典の両方が入ってきています。そして時代を経て中国に馴染んだのは大乗仏教系の経典群でした。なぜ原始仏教系ではなく大乗仏教系だったのかというひとつの背景にこの「『礼記』と原始仏教が似ている」ということがあったのではないでしょうか。
似ている教えならばわざわざ外国の教えをありがたがる必要もありません。原始仏教系のこうした素朴な教えはすでに中国人からしたら見慣れたものだったのではないでしょうか。しかも中国には中華思想がありますので、外国や異民族の教えをわざわざ積極的に導入する理由もありません。
なぜ中国では原始仏教よりも大乗仏教が根付いたのかというのは巨大な問題です。そう簡単に「こうだからこうだ」と結論付けることはできませんが、その背景にこの『礼記』と『原始仏典』の類似というのもあるのではないかと個人的には感じてしまいました。
もちろん、塚本善隆著『世界の歴史4 唐とインド』で、
幾億の人間がすむ大シナ、そこは聖人の古典、インドの仏典までむずかしい漢字でつまった聖典が無数にある。その文字、その古典を自在に駆使して美しい詩文が楽しまれる。それが世界にほこる高い中華の文化である。しかしそれをわが物とする人々は、幾億のなかのきわめて少数である。そしてその少数者は独裁君主に忠誠を誓って俸をうける官僚、天子の思召しにそむいては首があぶない連中である。そして人民の大部分、幾億の人民大衆は、勤勉柔順の美徳のなかに、無学のままで、詩文も古典もみずからのものとはせずに、ただただ苛敏のないよい天子様をと神仏の力にすがって生きている。こんな大きな中世のシナ社会を想像せられよ。そこには現代人では考えられないような異常事が横行していたのである。
中央公論社、塚本善隆編集『世界の歴史4 唐とインド』P364
と語られるように、四書五経もまさに君子や貴族、知識人のためのものでありました。無数にいる一般庶民の信仰とは異なるということも考慮に入れなければなりません。
ただ、この『礼記』で語られる内容を読み、中国における仏教受容において新たな視点を得られたように思えます。これは刺激的な読書でした。
以上、「下見隆雄『礼記』概要と感想~原始仏教と中国思想の『礼記』は似ている?儒教の根本聖典を読んで驚く」でした。
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