サールナート(鹿野園)のダメーク・ストゥーパへ~ブッダ初転法輪の聖地!仏教教団の始まりはここから!
【インド・スリランカ仏跡紀行】(91)
ブッダ初転法輪の聖地サールナート(鹿野園)のダメーク・ストゥーパへ~仏教教団の始まりはここから!
さて、私にとって波乱含みとなったブッダガヤ滞在であったが、いよいよこの仏跡も巡りも佳境へと突入していく。次の目的地はブッダ最初の説法の地サールナートだ。
ブッダガヤからは車でおよそ6時間の距離。サールナートはガンジス川で有名なバラナシの郊外にある。今日も長距離移動だ。
ひたすら高速道路を進む。かつてはブッダガヤとバラナシを結ぶ道もなかなかの悪路だったそうで今の倍近く時間がかかったようだ。最近のインドのインフラ整備は目覚ましいものがある。
バラナシの近郊に到着。目の前の川はガンジス川だ。いよいよここまでやって来たぞ。
さて、これからまずサールナートへ向かうのだがその前にいくつか寄り道もすることにした。
まず、ひとつ目がこのムーラガンダクティ寺院というお寺だ。
この寺院はあのダルマパーラによって建てられたお寺である。寺院前にはこのようなダルマパーラの像が立っていた。
お寺に掲げられたこの石板によると、このお寺はダルマパーラと大菩提会によって1931年に建てられたそうだ。
寺院内部はやはりスリランカ風。特にこの壁画の雰囲気はコロンボ近郊のケラニヤ寺院を髣髴とさせる。
やはりインドの仏跡にはダルマパーラの大菩提会や東南アジアの文脈が強いことをここでも再確認した。
そしてこちらはブッダがサールナートで5人の比丘と再会したことを記念して作られた「迎仏塔」と呼ばれるストゥーパだ。
残念ながら入場はできなかったが、ここでブッダが5人の仲間と再会したのかと思うと感慨深い。
さて、サールナートに到着である。遺跡周辺はお土産屋が立ち並ぶ広い遊歩道になっている。
サールナートの遺跡に入場するとすぐに有名な仏塔ダメーク・ストゥーパが右手側に見えた。
先程も述べたが、サールナートはガンジス川で有名なバラナシの郊外にある。バラナシはブッダの生きた時代の前からインドの聖地として有名で、数多くの宗教者が集まる場所だった。
ブッダガヤで悟りを得たブッダがここを目指して来たのも偶然ではない。ここはいわば宗教家の集まるメッカであり、新たな思想を広めるための登竜門のような場所だったのである。そういう場所だからこそブッダの仲間たちもここへやって来ていたのだった。
そしてブッダはいよいよこの地へとやって来る。サールナートは鹿野園と呼ばれるようにかつては鹿のいる野原だったそうだ。
かつての仲間を発見したブッダは彼らに近づいていく。
5人の仲間たちはすぐにブッダに気付いたが、彼らはまだブッダを許していなかった。
「おい、あの断食修行を捨てた男がやって来るぞ。あいつは修行を捨て安楽な道に堕ちた男だ。かつては仲間だったかもしれないが今や迎えに行く価値もない。挨拶もしなくていい。ただ、もしあいつがここへ来て一緒に座ろうとするなら声を掛けてやろう。やって来た客をいつまでも無視するのは尊い生まれの我らにとってふさわしいことではないのだからね」
こうしてブッダに対ししばらく無視を決め込もうとした彼らだったが、一歩一歩近づいてくるブッダの姿を見て思わず立ち上がらずにはいられなかった。ブッダのあまりの神々しさに彼らはすっかり動転してしまったのである。ある者はブッダを出迎え衣を受け取り、ある者は礼拝して彼の鉢を受けとり、ひとりは彼に座をすすめ、他の2人はブッダの足を洗う水を差し上げた。今のブッダにはこうせずにはいられない何かがあったのだ。
一体何があったというのだ。この男は断食をやめ堕落したはずではなかったのか!それなのにどうしてこんなにも我らの心を揺さぶるのだろうか!5人の仲間たちは不思議に思わずにはいられなかった。
そしてブッダは彼らの疑問に答え、語り始める。
これが世に言う「初転法輪」の説法である。そしてその舞台こそここサールナートなのだ。
現在サールナートは発掘と修復が進み、多くの遺構が私達の前に姿を見せている。
そしてこの写真左側の東屋のような建物にはアショーカ王柱が展示されている。
今は折れてしまっているがかつては15メートルもの高さがあったそうだ。
碑文も残っている。この碑文のおかげで仏教聖地の存在が明らかになったことはこれまでも述べてきた通りである。
そして興味深いのがこの黒い点々模様である。このアショーカ王柱は砂岩という岩から作られている。そしてこの柱のてっぺんに有名なライオンの像が装飾されていたのである。
このアショーカ獅子柱頭については次の記事で改めて紹介するが、この彫刻にも黒い点々模様があった。今は柱部分と柱頭部分が分離して展示されているが、同じ材料から作られたことがこの黒い点々模様からもわかるそうだ。
ブッダガヤと違い、遺跡感の強いサールナート。前回の記事でもお話ししたように、私はこの静かな仏跡に心地よさを感じていた。
仏像が設置されていたであろう僧院跡も発掘されている。
こちらがサールナートの象徴ダメーク・ストゥーパ。
六世紀以降にこの巨大な仏塔は作られたとされ、以後何度となく改修、増築が繰り返され今の形になったという。
ナーランダー大学と同じように、ここにも発掘時の写真が展示されていた。
この巨大な仏塔のてっぺんは草木が生えるほど荒廃していた。
この写真を見てもわかる通り、遺跡自体はかなり深い所に埋まっていたようだ。
こんな感じで埋まっていたのか・・・
仏像がこうした形で地面から発掘されるというのは頭でわかっていてもなかなかにショッキングである。
1904年から5年頃のサールナート。この写真を見ればこの地がいかに閑散とした場所だったかがよくわかるだろう。やはりブッダガヤ以外はとてつもない田舎に仏跡はあるのである。
では、次の記事で引き続きサールナート博物館を見ていくことにしよう。
そこにはここで発掘されたアショーカ獅子柱頭や初転法輪像など、インド芸術の至宝とも言うべき傑作が展示されている。
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※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。
〇「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
〇「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
〇「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」
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