(53)スリランカの大都市コロンボに到着!海辺の美しい景色に感動!その街並みをご紹介

第二次インド遠征~インド・スリランカ仏跡紀行

【インド・スリランカ仏跡紀行】(53)
スリランカの大都市コロンボに到着!海辺の美しい景色に感動!その街並みをご紹介

中国関係の話題から有名になったハンバントタ港を遠望した私は一路コロンボへと向かった。

スリランカらしい美しい風景を眺めながら走っていると今日も出会ってしまった。

象である。しかも今日はかなり近い。

だが、このスリランカ滞在中すでに野生の象とはすでに何度も会っている。もはや驚かなくなってしまった。ここには当たり前のように象がいるのである。

それよりも、私はここで出会った犬に夢中になってしまった。

車から降りて象の写真を撮っているとどこからともなくやって来て「撫でてくれ」とせがんできたのである。海外では野生の犬は要注意なのでどこに行ってもかなり用心していたのだがこの子は無理だった。可愛すぎる。まあ、ここスリランカなら大丈夫だろう。インドとは違うのだ。

この幸せそうな顔を見てほしい。もはや象が添え物である。私も幸せな気分になった。

道中のダム湖の美しさも忘れられない。

スリランカはやはり美しいのである。熱帯の太陽光線と豊富な雨量に生命力溢れる木々の緑。私達日本人にとってもこの景色はきっと心に響くものがあると思う。本当に素晴らしい場所だった。

そしてコロンボの手前にはラトゥナプラという宝石採掘で有名な街がある。私もその採掘現場を見学させてもらった。

それにしてもこんな露店のような場所でほぼ手作業で行われているというのには驚いた。

また、この近くにはスリー・パーダ山という聖なる山がある。残念ながらこの日は雨でほとんど見れなかったのだが、一瞬だけ姿を現した。この写真の真ん中あたりの奥に尖った山影が見えると思う。それがスリー・パーダ山だ。

スリー・パーダ山 Wikipediaより

この山は仏教、ヒンドゥー教、キリスト教、イスラム教のそれぞれが聖地として信仰している。スリランカ仏教の伝承ではブッダがここに足跡を残しているとされ、ヒンドゥー教ではシヴァ神の足跡があるとされている。同じようにキリスト教においては聖トーマス、イスラム教では人類の始祖アダムの足跡があるとされているのである。

いずれにせよ、スリランカに生きる人にとってここは心の故郷とも言えるような聖地なのだ。私達日本人における富士山のような存在と言ってもよいのかもしれない。少しだけでもその姿を拝むことができて私は大満足であった。

さて、いよいよ私の最終目的地コロンボまでやって来た。スリランカに来てからもう2週間以上が経っている。

コロンボはスリランカ最大の都市で、人口も都市圏も合わせるとでは200万人を超える。また、スリランカのビジネスの中心でもあるこの街は発展も著しく、高層ビルが次々に建てられている。日本の首都圏とほとんど変わらないような発展ぶりと綺麗さには私も着いて早々驚いた。

そして同時にこの街は多くの市民が暮らす生活の場である。こうした高層ビルが立ち並ぶエリアもあれば、右の写真のように雑多な生活空間も当然存在する。コンパクトな街の中で様々な姿を私も見ることになった。

そして何といってもコロンボといえば海だろう。

特にゴール・フェース・グリーンという海辺の広場は芝生が敷き詰められていて散歩にもってこいのスポットだ。夕暮れ時になるとここは子供達も集まってきてとても賑やかな雰囲気になる。下の動画はまさにそのゴール・フェース・グリーン周辺を歩いた時の映像である。

そして忘れてはいけない。

コロンボの夕焼けも絶品だった。私はコロンボ滞在中毎日ぼーっとその夕日を眺め続けたものである。なんと贅沢な時間だったろうか。

以下の動画では私がコロンボ市内を原付バイクの後部座席に乗りながら撮影したものだ。きっと臨場感が伝わるのではないだろうか。

また、スリランカ西海岸に位置するコロンボはいち早く植民地化されたことでキリスト教が根付いた地域でもある。

これまでの旅行記ではシンハラ人とタミル人の対立にスポットを当ててきたが、実はスリランカの宗教事情はもっと複雑である。カトリックもプロテスタントもイスラム教徒も多数いるのがスリランカなのである。

コロンボのイスラム寺院

特にこのコロンボにおいては実は仏教の影が薄い。キャンディとはその雰囲気が違うのである。

こちらがコロンボで最大、最古級の仏教寺院ガンガマーラ寺院なのだが、このお寺の創建はなんと1885年なのである。

先程も述べたように、コロンボは植民地化によってキリスト教化が進んだ地域だった。そのため仏教は衰退しほとんど滅んでしまったと言ってもよい状況になってしまっていた。

その間仏教を保持していたのがキャンディなどのスリランカの中央高地地帯だったのだが、そのキャンディですら18世紀中頃に仏教教団消滅の危機に瀕してしまっているのである。そしてそこからタイの僧侶を招き教団を復活させてできたのが現在も存続するシャム派というスリランカ仏教なのだ。このことについては「(32)スリランカの植民地時代の歴史についてざっくりと解説~ダルマパーラ登場の時代背景とは」の記事でお話しした通りである。

オルコット大佐(左)とスマンガラ師(右)Wikipediaより

そして驚きだったのがこの写真である。右のスマンガラ師はこのガンガラーマ寺院の創設者であり、スリランカの仏教復興運動の中心人物として知られている。そして隣のオルコット大佐は皆さんも覚えておられると思う。神智教会の設立者であり、ダルマパーラとの関係も深く、世界の仏教に大きな影響を与えたあの人物だ。

まさにこのガンガマーラ寺院もスリランカ仏教の復興期に生まれたものだということを実感した。そしてダルマパーラのプロテスタント仏教が生まれてくる背景も何となく感じることができた。コロンボという大都市だからこそ生まれてくるものがあるのである。このことについては『スリランカの仏教』でも次のように説かれていた。

コロンボは、現代アジアの他の都市と比べれば、まだ大都市だとは言えない。だがそこは、中産階級と労働者階級の本拠地である。そして彼らは、伝統的な農村社会(そこでシンハラ人が一千年以上にわたって仏教を保持してきた)の人々とはまったく異質な存在である。

法藏館、リチャード・ゴンブリッチ、ガナナート・オベーセーカラ、島岩訳『スリランカの仏教』Pⅰ-ⅱ

コロンボは他の街や村とは違うのである。特に19世紀から20世紀中頃にかけてはそれが顕著であった。そうした歴史を意識しながらコロンボの街を巡るのは実に興味深いものがあった。

時代背景や土地柄が宗教や思想に巨大な影響を与えることをこのコロンボでは特に感じることとなった。

※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。

「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」

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