⑻ブッダの6年間の修行生活~二人の師による瞑想法の伝授と厳しい苦行に勤しむ苦行者ブッダ
【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑻
ブッダの6年間の修行生活~二人の師による瞑想法の伝授と厳しい苦行に勤しむ苦行者ブッダ
前回の記事「⑺ビンビサーラ(頻婆娑羅)王との運命的な出会い!ブッダ出家後最初の目的地マガダ国の王舎城へ」でお話ししましたようにブッダは大国マガダ国へやって来ました。
ブッダがここへはるばるやって来たのはここに当時最高峰の瞑想行者がおり、彼らから修行の基本である瞑想法を習うためでした。
今回の記事ではまずそんなブッダの瞑想伝授の流れをお話しし、その後ブッダの厳しい苦行生活についてお話ししていきます。
あの有名なガンダーラの断食仏像で表現されたガリガリの姿はまさにこの苦行時代のブッダになります。
では、早速始めていきましょう。
最初の師アーラーラ・カーラーマ
マガダ国王舎城近くの森でビンビサーラ王と会見した後、ブッダは有名な瞑想家アーラーラ・カーラーマに教えを請いに出向きました。
アーラーラ・カーラーマは快くブッダを迎え、彼に瞑想法を指導しました。しかしブッダは初歩の瞑想法からあっという間に上級の瞑想法までマスターし、師の説く最高の教え〈無所有処〉の境地まで達成してしまいます。ここでいう〈無所有処〉の境地とは言葉のごとく「無の境地」とでもいうべき境地を指します。
ブッダがあまりにも早くアーラーラ・カーラーマの最高の教えを会得してしまったので師は感激し、ともに仲間を指導していかないかと懇願しますがブッダはそれを丁重に断り、師の下を去ったのでありました。ブッダはこの〈無所有処〉には満足できなかったのです。
第二の師ウッダカ・ラーマプッタ
アーラーラ・カーラーマの教えに満足できなかったブッダは次なる師ウッダカ・ラーマプッタの下へ出向きます。
ここでもブッダは快く迎えられ瞑想を習うのですが、またしてもブッダはあっという間にマスターしてしまいます。
ウッダカ・ラーマプッタの最高の瞑想は〈非想非非想処〉という何やらものすごい境地へと達するものでした。「想にあらず非想にもあらず」という自分の意識があるのでもなく、ないのでもないという、言語では説明不可能の境地をこの瞑想は目指すのでありますが、この「あるのでもなくないのでもない」というのは後の「空」の思想とも通ずるものがあるかもしれません。
ですがウッダカ・ラーマプッタの教える〈非想非非想処〉でもブッダは満足することなく、ここでも懇願を辞退して師の下を去ることになりました。
しかしこの両師匠の下で学んだ瞑想はブッダにとって大きな経験となりました。
この両者の瞑想に共通するのは外界と自分の身体を切り分け、無の境地へと安住することにありました。瞑想している最中はまさに感覚作用が停止した無の境地に浸ることができます。しかし、瞑想を止めた途端元通りの苦しみの世界に帰ってしまうという欠点がありました。ブッダからすると、これではこの世の苦しみを滅し去ることができない不完全な教えのように感じられたのでありました。
いずれにせよ、この2人の師から伝授された瞑想をベースにブッダはこれから苦行生活に入っていくことになります。ブッダの恐るべきストイックさがここから発揮されていきます。王宮育ちで甘やかされた王子様がどうしてこれほどの苦行に耐えられたのか実に不思議です。ですがこの後ブッダは80歳まで生きられたわけですから、元々身体は丈夫だったのかもしれません。当時における80歳ですから今だったら何歳まで生きていられたのでしょう。恐るべき生命力ですよね。
では、これからブッダの苦行生活について見ていきましょう。
ブッダの苦行生活
二人の師の下から去り、いよいよブッダは本格的な苦行生活を始めるのですが、ここでブッダは、コンダンニャ、バッディヤ、ヴァッパ、マハーナーマ、アッサジの5人の仲間と行動を共にすることになります。
唐突に現れたこの5人の修行仲間でありますが、彼らはなんと父スッドーダナ王がブッダを心配して送ったバラモン(インドの宗教家)だったと『ジャータカ』では説かれています。出家した息子を案じた父のせめてもの優しさだったのでしょう。(もちろん、監視やもしもの場合の救護の意味合いもあったでしょうが)
こうして仲間を得たブッダはウルヴェーラー(苦行林)という地で壮絶な苦行を開始することになります。ウルヴェーラーは古代インド語で「限りなく広く砂の堆積の続いている所」という意味のようですが、実際にそれがどこを指しているのかは今もわかっていません。
私も王舎城からブッダが悟りを開いたブッダガヤへの道中、多くの岩山や渇いた砂地を目にしました。大きな岩がごろごろと積み重なっているような山もあり、修行に適した雰囲気は確かに感じられました。
また、ブッダガヤ近くには前正覚山と呼ばれるブッダが瞑想修行をしていたとされる洞窟もあり、ここは現在チベット寺院になっています。この前正覚山は経典においては出てきませんが玄奘三蔵がこの山についての伝承を書いたことで知られるようになったとのこと。
いずれにせよブッダはこのブッダガヤ近郊のウルヴェーラーで瞑想修行だけではなく、息を限界まで止め続ける行や断食を続け、極限まで肉体の制御、苦痛の克服を目指し苦行を続けました。その期間はおよそ6年にも及びます。想像を絶するストイックさでブッダは悟りへの道を突き進みました。その壮絶な苦行生活の姿を現したのが有名なガンダーラの断食仏像になります。
パキスタン、ラホール美術館所蔵の至宝 ガンダーラの断食仏像
極限まで筋肉や脂肪を削り、もはや骨と皮だけとしか言いようのない恐るべき姿のブッダです。肋骨も血管も浮き出ていて、その壮絶さを物語ります。
私もこの仏像を間近で見て強烈なショックを受けました。
そして何よりも、この目です。
これまで私は仏教の教科書などで何度となくこの断食仏の写真を見てきました。しかしこの深く窪んだ眼窩の奥に優しく閉じられた目があったことに私は初めて気付いたのでありました。
断食という想像を絶する苦行の中でこれほど優しい目をしておられることに私は強烈なショックを受けることになりました。私はこの仏像の前から動けなくなりしばらくの間この仏像の前で呆然としていたのでありました。
そしてその日の夜、私は写真チェックのためこの断食仏を改めて眺めていたのですがふと思いました。
「本当にこれは優しい目だったのだろうか。苦行中に本当にそのような目をするのだろうか」と。
私は自分の印象がどんどん不安になってきました。そして居ても立っても居られず、すぐにガイドさんに連絡し、翌日の予定を変更してもう一度ラホール美術館に行き、この仏像をじっくり見てみることにしました。
何度も何度も角度を変えて丹念にこの仏像と向き合います。
すると、私の中である考えが浮かんできました。
「これは優しい目というのではなく、『停止』を意味しているのではないだろうか」と。
苦行はある意味、私達の全神経を支配する苦痛に耐え、それを克服する行でもあります。言い換えれば肉体と精神の分離です。肉体活動を停止し、精神的な無の境地に没入する。これはまさにアーラーラ・カーラーマやウッダカ・ラーマプッタの「無の境地の瞑想」にかなり近いのではないでしょうか。
そう考えるとあの優し気な目は優しさを示しているのではなく、感覚器官の停止、無の境地を表していたのではないでしょうか。
だとすると、きりりと引き締まった口角や、柔和ながらもどこか緊張感を感じる腕の組み方にも納得がいきます。
つまり、この仏像は優しさを示していたのではなく、やはり断食という想像を絶する苦行に立ち向かう瞑想的な姿が表現されていたのでありました。
このような極限状態の苦行をブッダは6年間も続けます。そしてこの苦行の先にブッダはついに光を見出すのでありました。次の記事ではいよいよブッダの悟りについてお話ししていきます。
次の記事はこちら
※この連載で直接参考にしたのは主に、
中村元『ゴータマ・ブッダ』
梶山雄一、小林信彦、立川武蔵、御牧克己訳『完訳 ブッダチャリタ』
平川彰『ブッダの生涯 『仏所行讃』を読む』
という参考書になります。
※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。
〇「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
〇「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
〇「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」
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