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三島由紀夫『潮騒』あらすじと感想~古代ギリシャをモチーフに書かれた恋愛小説。三島らしからぬディズニー的物語がここに

潮騒
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三島由紀夫『潮騒』あらすじと感想~古代ギリシャをモチーフに書かれた恋愛小説。三島らしからぬディズニー的物語がここに

今回ご紹介するのは1954年に三島由紀夫によって発表された『潮騒』です。私が読んだのは新潮社、令和5年新版第5刷版です。

早速この本について見ていきましょう。

【新装版、新・三島由紀夫】
「その火を飛び越して来い」、永遠の青春がここに――。
その名を不動のものとした、三島29歳の作品。〔新解説〕重松清


古代の伝説が息づく伊勢湾の小島で、逞しく日焼けした海の若者新治は、目もとの涼しげな少女初江に出会う。にわかに騒ぎだす新治の心。星明りの浜、匂う潮の香、触れ合う唇。嵐の日、島の廃墟で二人きりになるのだが、みずみずしい肉体と恋の行方は――。
困難も不安も、眩しい太陽と海のきらめきに溶けこませ、恩寵的な世界を描いた三島文学の澄明な結晶。解説・佐伯彰一/重松清。巻末に年譜を付す。

Amazon商品紹介ページより
三島由紀夫(1925-1970)Wikipediaより

この小説は三島由紀夫29歳の年の作品ですが、数ある三島作品の中でも特異なポジションにある作品です。

と言いますのも、三島作品といえば『金閣寺』『仮面の告白』など、異常なほどの自意識に苦しむ主人公の恐るべき心理ドラマや、『憂国』のような、血が流れるバイオレンスな描写が有名です。

しかしこの『潮騒』は「平和で静穏な小説であり、この作家としては例外的に、犯罪も血の匂いも閉め出された世界なのである」と解説されるほど三島らしからぬ異質な作品です。

舞台は伊勢の海に浮かぶ歌島という孤島。本土から隔たれたこの美しい島で、二人の若者の恋が語られます。

そしてこの歌島という舞台装置からして三島がこの作品に込めた思いを推し量ることができます。巻末の解説では次のように述べられています。

島には往々にして「本土や周囲の島々と隔絶された土地」というイメージがついてまわる。海によって人びとの往来は不自由になり、物品の移動やインフラの整備も著しく制限を課せられ、結果、生活は不便で、発展からも取り残されてしまう。その文脈で語られる海は、壁にほかならない。もしくは深い溝。島の社会も、閉ざされた狭さや、だからこその濃密さを強調して語られることが多い。因習に囚われ、旧弊を改められず、封建的な価値観がいまなお幅を利かせて……。

そんな一面的なイメージを、三島はあっさりと翻した。本作が書き下ろしで刊行されたのは一九五四(昭和二十九)年。電気冷蔵庫・洗濯機・掃除機が「三種の神器」と呼ばれ、街頭テレビが人気を博していた。戦後復興に成功したこの国は、高度経済以長期のとばロに差しかかって、たゆまぬ加速を続けていた。その時代に、三島はアンチ文明社会とでも言うべき小さなユートピアの物語を描いたのだ。

ユートピアにはモデルがある。新治と初江の純愛にも、先行する雛型がある。本書のもともとの解説で佐伯彰一氏が指摘し、作家自らも認めるとおり、ここで理想とされているのは神話の残り香がただよう古代ギリシアの世界であり、新治と初江の物語は『ダフニスとクロエ』を下敷きとしている。

新潮社、三島由紀夫『潮騒』P210-211

三島はこの作品で古代ギリシアのユートピアを描こうとしていたのでした。

ですがなぜ『仮面の告白』のようなどろどろした作風だった彼がいきなりユートピア的恋愛小説を書こうとしたのでしょうか。

その鍵は彼自身のギリシア体験にあったのでした。

三島由紀夫は朝日新聞の特別通信員という形で1951年末から世界一周の旅に出かけました。この旅については中央公論新社刊『太陽と鉄 私の遍歴時代』で三島自身が語っているのですが、まさにこの旅において三島は太陽を発見し、ギリシアへの強い憧れを抱いたのでありました。

せっかくですのでその箇所を見ていきましょう。少し長くなりますが重要な箇所ですのでじっくり読んでいきます。

十二月二十四日の出発を控えた数日前、川端康成氏夫妻がわざわざ拙宅を訪れて、「壮途」(?)をはげまして下さったことも忘れがたく、小雨のそぼ降る横浜埠頭で、いつまでも私の船を見送って下さった中村光夫氏の姿も、今も目に残っている。

文学酌には孤独を標榜し、世俗を軽蔑していた私が、こうして多くの人の厚意に守られて、プレジデント・ウィルソン号上の人になったとき、多少私が素直な気持ちになっていたとしてもふしぎはあるまい。

出発直前まで徹夜仕事をしていたおかげで、生まれてはじめてタキシードに腕をとおしてクリスマス・イブの正餐に出たのちは、一夜をぐっすり眠り、あくる日からは日々爽快な気分で、船酔いも感じなかった。

ハワイへ近づくにつれ、日光は日ましに強烈になり、私はデッキで日光浴をはじめた。以後十二年間の私の日光浴の習慣はこのときにはじまる。私は暗い洞穴から出て、はじめて太陽を発見した思いだった。生まれてはじめて、私は太陽と握手した。いかに永いあいだ、私は太陽に対する親近感を、自分の裡に殺してきたことだろう。

そして日がな一日、日光を浴びながら、私は自分の改造ということを考えはじめた。

私に余分なものは何であり、欠けているものは何であるか、ということを。

中央公論新社、三島由紀夫『太陽と鉄・私の遍歴時代』P175-176

ハワイへ向かう途中に出会った太陽の存在。三島由紀夫は30代に入る頃からボディ・ビルや武道を始め、肉体改造に取りかかります。健全な肉体という考えがここから具体的な形になり始めたことが伺えます。では、続けて読んでいきましょう。ここでいよいよギリシャと『潮騒』が繋がってきます。

私に余分なものといえば、明らかに感受性であり、私に欠けているものといえば、何か、肉体的な存在感ともいうべきものであった。すでに私はただの冷たい知性を軽蔑することをおぼえていたから、一個の彫像のように、疑いようのない肉体的な存在を持った知性しか認めず、そういうものしか欲しいと思わなかった。それを得るには、洞穴のような書斎や研究室に閉じこもっていてはだめで、どうしても太陽の媒介が要るのだった。

そして感受性は?こいつは今度の旅行で、クツのように穿きへらし、すりへらして、使い果たしてしまわなければならぬ。濫費するだけ濫費して、もはやその持ち主を苦しめないようにしなければならぬ。

あたかもよし、私の旅程には、南米やイタリアやギリシャなどの、太陽の国々が予定されていた。

北米をすぎて、プエル・トリコに一泊したとき、すでに私は、太陽に焦がされた国々のにおいをかいだ。ブラジルにおける一カ月の滞在と、カーニバルの季節に、私は熱帯の光りに酔った。はげしい青空の下の椰子の並み木を見るだけで、久しく探し求めていた故郷へかえったような気がした。

こんなことを書いていると、いかにもロマンチックな旅人みたいだが、実は赤毛布の滑稽な戸まどいの連続で、殊にパリでは、街頭のドル買いにだまされ、手品の技術で、有金全部すられてしまい、ほとんど無一文で一カ月をすごすという、とんだ幕間劇もあった。そのあいだ一等心配したのは、ギリシャへ行けるかということであった。

盗まれた小切手の再交付もすみ、私は陰気なパリに別れを告げて、晩春のギリシャへ行くことができた。

私はあこがれのギリシャに在って、終日ただ酔うがごとき心地がしていた。古代ギリシャには、「精神」などはなく、肉体と知性の均衡だけがあって、「精神」こそキリスト教のいまわしい発明だ、というのが私の考えであった。もちろんこの均衡はすぐ破れかかるが、破れまいとする緊張に美しさがあり、人間意志の傲慢がいつも罰せられることになるギリシャの悲劇は、かかる均衡への教訓だったと思われた。ギリシャの都市国家群はそのまま一種の宗教国家であったが、神々は人間的均衡の破れるのをたえず見張っており、従って、信仰はそこでは、キリスト教のような「人間的問題」ではなかった。人間の問題は、此岸にしかなかったのだ。

こういう考えは、必ずしも、古代ギリシャ思想の正確な解釈とは言えまいが、当時の私の見たギリシャとは正にこのようなものであり、私の必要としたギリシャはそういうものだった。

私は自分の古典主義的傾向の帰結をここに見出した。それはいわば、美しい作品を作ることと、自分が美しいものになることとの、同一の倫理基準の発見であり、古代ギリシャ人はその鍵を握っていたように思われるのだった。近代ロマンチック以後の芸術と芸術家との乖離の姿や芸術家の孤独の様態は、これから見れば、はるか末流の出来事だった。

私がこのような昂奮のつづきに書いたのが、帰国後の「潮騒」であるが、「潮騒」の通俗的成功と、通俗的な受け入れられ方は、私にまた冷水を浴びせる結果になり、その後ギリシャ熱がだんだんにさめるキッカケにもなったが、これは後の話である。

しかし少なくとも、ギリシャは私の自己嫌悪と孤独を癒し、ニイチェ流の「健康への意志」を呼びさました。私はもう、ちょっとやそっとのことでは傷つかない人間になったと思った。晴れ晴れとした心で日本へ帰った。

中央公論新社、三島由紀夫『太陽と鉄・私の遍歴時代』P176-178

「私に余分なものといえば、明らかに感受性であり、私に欠けているものといえば、何か、肉体的な存在感ともいうべきものであった。」

まさにこの『潮騒』の主人公新治はギリシャ神話に現れるかのごとき好青年です。三島由紀夫がここで語るように、書斎で精神的に悩み通すような青年ではなく、太陽の下健全な肉体が輝く理想的な男子を描いたのでした。

この小説を読めばわかるのですが、まあ~彼は悩まない!困難にぶつかっても黙々と仕事に打ち込みます。しかも船を守るために嵐の海に飛び込むという強い勇気も持ち合わせた大胆不敵な好漢でもあります。彼の恋敵として現れる軟派なドラ息子とはえらい違いです。『文豪ナビ 三島由紀夫』でも彼の性格は次のように解説されています。

『潮騒』のさわやかさは、何といっても主人公・新治のキャラ。笑顔がすばらしい。どんなに辛いことがあっても、涙をこぼさない。初江と引き裂かれても、嵐の海に命懸けで飛び込む時でも、笑うことのできる男だ。

近代小説でのさばってきた、ヤワで病弱な男たちとはハートの出来がちがう。ちょっとしたことで傷つき、ジョークのように「死んでやる」と叫ぶ不健全男の何と多いことか!ましてや、酒場でへべれけに酔ってオダをあげたり、変な女につかまって堕落するような近代知識人なんかとは、くらべるまでもない。

新潮社『文豪ナビ 三島由紀夫』P20-21

三島は世界一周旅行によってギリシャへの憧れがさらに増すことになりました。そしてその理想をこの小説に込めることにしたのです。物語の大筋は古代ギリシャの『ダフネスとクロエ』を下敷きに、そしてエーゲ海のユートピア的孤島のイメージは実際に三島がロケハンをした神島をモデルにして舞台化しました。

この三重県鳥羽市の神島と三島由紀夫についてはこちらの「潮騒の宿 山海荘」さんのHPで写真付きで紹介されていますのでぜひご参照頂ければと思います。これを見ているとぜひ私も神島に行ってみたくなりました。

さて、この三島由紀夫のギリシャの理想が込められた『潮騒』でありますが、本書解説の最後に興味深い指摘がなされていました。それがこちらです。

物語の枠組みは既存の古代ギリシアの物語。舞台はあとからあてはめたもの。ここまで「つくりもの」で貫かれると、いっそ爽快でもある。いまの感覚では建前のきれいごとになりかねない新治と初江の純愛も、旧い道徳や倫理や価値観にあまりに従順すぎる島の人びとの蒙昧さも、徹底した虚構の世界の約束事なのだと見なせば、むしろそこに読み手の感覚や価値観を持ちこむことのほうが野暮になってしまうではないか。

だとすれば、歌島は、一つの劇場になるだろう。四方を海に囲まれて日常から切り離された、一里四方の海上ステージである。その劇場で繰り広げられる『潮騒』というアトラクションの主演こそが、新治と初江ではないのか。

まるでディズニーランドのように……

新潮社、三島由紀夫『潮騒』P215

「まるでディズニーランドのように……」

『仮面の告白』の記事でもお話ししましたが、三島由紀夫とディズニーランドについては私が並々ならぬ関心を持っている問題です。

この記事の冒頭でも述べましたが、三島由紀夫といえば『金閣寺』『仮面の告白』のえげつない内面描写や『憂国』の血のしたたりというイメージがあります。しかし、彼は『潮騒』のような純粋無垢なディズニー的な作品も書けてしまうのです。

この物語は典型的な好青年と高潔で美しい少女の恋物語です。ずるくてそのくせ権力がある恋敵やわかりやすいほど頑固な親父さんが二人の恋を邪魔します。しかし苦難の日々を耐え抜いた後の嵐の海での英雄的な活躍によって、主人公の新治は見事に周囲から認められ恋は成就します。美しい少女初江のいじらしくも気心の強い姿も読者の好感を得ること間違いなしです。これはいわばもう、こてこてのストーリーです。ですがこのこてこてこそ王道といえば王道なわけです。

この世の理不尽さやどろどろを見せつけるリアリズム的な小説をあえて吹っ飛ばすかのような三島のこの作品の裏にはやはり彼のギリシャ体験があることでしょう。そして三島由紀夫の中に確かにこうした理想がこの一時だけでも存在したというのは大きな意味があるのではないでしょうか。

上の解説ではこの後にディズニーよりも70年代の「アイドルの時代」や『あまちゃん』について語られることになるのですが、やはり私にとってはディズニーとの関連が大きな関心となっています。

三島自身、この後フロリダのディズニーランドを訪れ感動しているという事実があります。このことについてはまた別の記事でお話しする予定ですが、この『潮騒』もまさにディズニー的な王道の恋物語であるということを私は読みながら感じたのでありました。

「あの三島由紀夫がディズニー的な作品を書いていた」

やはり私にとってはこれはかなりの衝撃です。この作品が三島作品の中でも特異な作品と言われるのもよくわかります。ある意味三島由紀夫らしくはない作品ではありますが、読みやすさはトップクラスです。シンプルに、面白いです。読みやすくて面白い三島作品をまずは読みたいという方にもぜひおすすめな作品です。

以上、「三島由紀夫『潮騒』あらすじと感想~古代ギリシャをモチーフに書かれた恋愛小説。三島らしからぬディズニー的物語がここに」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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