吉田一彦『民衆の古代史』あらすじと感想~『日本霊異記』から見えてくる古代の仏教と人々の生活を知るのにおすすめ!
吉田一彦『民衆の古代史―『日本霊異記』に見るもう一つの古代』概要と感想~『日本霊異記』から見えてくる古代の仏教と人々の生活を知るのにおすすめ!
今回ご紹介するのは2006年に風媒社より発行された吉田一彦著『民衆の古代史―『日本霊異記』に見るもう一つの古代』です。
早速この本について見ていきましょう。
日本古代の社会体制を「律令国家」と捉えることは、はたして真実といえるのか。最古の仏教説話集『日本霊異記』をひもときながら律令からはみ出して生きる民衆の鮮烈な実像に迫る。
Amazon商品紹介ページより
今作は奈良時代の僧景戒によって書かれた『日本霊異記』をもとに当時の人々の生活を見ていく作品です。
前々回の記事「吉田一彦『古代仏教をよみなおす』~仏教伝来と聖徳太子、天皇と国家について学ぶのにおすすめの参考書!」でもお話ししましたが、吉田一彦氏の語りはとてもわかりやすく読みやすいです。また『古代仏教をよみなおす』でもそうでしたが本書も非常に刺激的な内容となっています。吉田氏は私達が当たり前に受け取っていた歴史をひっくり返します。読めばびっくりすることがどんどん出てきます。
本書冒頭の「はしがき」で著者は本書について次のように述べています。少し長くなりますが重要な箇所ですのでじっくり見ていきます。
奈良時代の民衆の姿に興味を持たれる読者は少なくないと思う。彼らはどのような世の中に生き、何を考えて暮らしていたのか。古代史研究者たちも、もちろんこのテーマに関心を持ち、その姿を復元しようと努力を重ねてきた。しかし、まだまだ、その姿が明らかとなったとは言いがたい状況にある。古代史は史料が少ない。一二〇〇年以上も以前のことがわかるような文献史料はごく限られているし、まして民衆の姿がわかるような史料となると極めて限定されてしまう。乏しい史料から当時の民衆の姿を復元するというのはそう簡単な話ではない。(中略)
では、何を手がかりに考えていけばよいのか。地中から続々と発見される木簡は、一つ一つの情報は断片的であるとはいえ、古代の社会のなまなましい実態を今日に伝えてくれる。また正倉院に伝わる古文書(正倉院文書)の研究が進み、社会の実相を垣間見られるような事実が少しずつ明らかにされてきた。そうした中、本書は、日本最古の仏教説話集である『日本霊異記』に着目し、この書物を積極的に史料として活用することによって、古代の社会の実際の姿にアプローチしてみようと思う。『日本霊異記』は実に面白い。そこには、奈良時代から平安時代最初期にかけての世の中のありさまや人々の様子が、なまなましく具体的に描かれている。これを活用しない手はないはずである。この書物には、しかし、律令には全く規定がなく、法では最初から想定されていないような世の中のありさまや、律令の規定とは矛盾・対立してしまうような人々の様子がそこここに姿を見せている。一体、それらをどう評価すればよいのか。むしろそれこそが古代の姿だったのではないか。私はこの書物の記述を重く受けとめて、古代史を再考したいと考えている。(中略)
『日本霊異記』は仏教説話集であるから僧や尼が登場するが、その中に私度(自度)の僧や尼がたくさん出てくる。私度とは、政府に公認された出家者ではなく、自分勝手に出家(得度)して僧尼となった人たちのことであるが、律令ではそうした行為ははっきりと禁止されていた。しかし、彼らは取り締まりを受けた様子もなく、刑罰もうけず、地域社会において充実した宗教活動を展開している。ならば、私度を禁じる律令の条文は全くの空文であったのか。どう理解すればよいのか。さらに、地域社会に仏教が広まり、民衆たちも熱心に仏教を信仰していた様子が描かれているが、中学・高校の歴史教科書では、古代の仏教は国家仏教で、民衆は仏教から疎外されており、民衆に仏教が広まるのは法然、親鸞、道元、日蓮らの鎌倉新仏教の誕生をまたなくてはならなかったと書かれている。それでは奈良時代のこの民衆たちの仏教をどう理解すればよいのか。
本書は、『日本霊異記』をじっくりと読み解いて、こうした問題を一つ一つ考えながら、当時の社会の様相、人々の姿、仏教信仰のありさまなどを描こうとするものである。ただ、終章では、『日本霊異記』を離れて、古代国家を「律令国家」ととらえる見方が妥当なのかどうかについて、現時点での私なりの見通しを述べるつもりである。とはいえ、本書の基軸は『日本霊異記』にある。『日本霊異記』を片手に、民衆の古代史を探求する旅に出発することとしよう。
風媒社、吉田一彦『民衆の古代史―『日本霊異記』に見るもう一つの古代』P4-8
「地域社会に仏教が広まり、民衆たちも熱心に仏教を信仰していた様子が描かれているが、中学・高校の歴史教科書では、古代の仏教は国家仏教で、民衆は仏教から疎外されており、民衆に仏教が広まるのは法然、親鸞、道元、日蓮らの鎌倉新仏教の誕生をまたなくてはならなかったと書かれている。それでは奈良時代のこの民衆たちの仏教をどう理解すればよいのか。」
そう。まさにそうなのです!
本書では奈良時代にしてすでに人々の間で仏教信仰が根付いていたことが明らかにされます。そしてその信仰がどのようなものだったのかということも知ることになります。貴族や僧侶たちではなく、民衆が求めた仏教の救いとは何だったのかということも本書では考えさせられることになります。
そして、上の引用にもありました「『日本霊異記』は実に面白い。そこには、奈良時代から平安時代最初期にかけての世の中のありさまや人々の様子が、なまなましく具体的に描かれている。」という言葉ですね。
本書では『日本霊異記』の様々な話が引かれているのですがそのどれもが興味深く、面白いです!歴史的価値、史料価値云々の前にそもそもシンプルに面白い!これは大きな驚きでした。この本を読んでいると『日本霊異記』そのものにもとても興味が湧いてきます。ぜひ私もこの後『日本霊異記』を読んでいこうと思います。
日本仏教を考える上でも非常にありがたい作品でした。ぜひぜひおすすめしたい作品です。
以上、「吉田一彦『民衆の古代史』~『日本霊異記』から見えてくる古代の仏教と人々の生活を知るのにおすすめ!」でした。
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