平川彰『仏陀の生涯 『仏所行讃』を読む』概要と感想~漢訳された仏伝をもとに超人間的なブッダの生涯を見ていくおすすめ入門書
平川彰『仏陀の生涯 『仏所行讃』を読む』概要と感想~漢訳された仏伝をもとに超人間的なブッダの生涯を見ていくおすすめ入門書
今回ご紹介するのは1998年に春秋社より発行された平川彰著『仏陀の生涯 『仏所行讃』を読む』です。
早速この本について見ていきましょう。
インド随一の仏教詩人・馬鳴菩薩の一大叙事詩を手がかりに、仏陀・釈尊の生涯と教えを物語風につづった恰好の仏教入門書。著者の素朴で平易な語り口は、畠中光享画伯の味わい深い絵とあいまって、おのずと読者の胸に染み透ってくる。
Amazon商品紹介ページより
前回の記事「『完訳 ブッダチャリタ』~アシュヴァゴーシャ(馬鳴)による『仏所行讃』としても知られる仏伝の大元!ブッダの生涯を叙事詩化!」では2世紀頃に活躍したアシュヴァゴーサによる仏伝叙事詩『ブッダチャリタ』をご紹介しました。
この『ブッダチャリタ』は西暦430年頃に曇無讖によって『仏所行讃』として漢訳されました。これが日本にも伝来し日本の仏教者にも伝えられたのでありました。最澄や空海、法然や親鸞もこの仏伝を読んでブッダに思いを馳せていたのではないでしょうか。
本書はこの漢訳の『仏所行讃』の書き下し文を読みながらブッダの生涯がわかりやすく解説される仏教入門書になります。
本書の内容とその基本的立場について著者ははしがきで次のように述べています。非常に重要な指摘がなされるのでじっくりと読んでいきます。
ここに『仏陀の生涯』と題して、一書を読書界におくることとなった。しかし「仏陀」といえば、阿弥陀仏もあり、阿閦仏もあり、われわれ凡夫とは隔絶した人格であるという感じがつよい。それだけわれわれには近づきがたい存在である。それにたいして「釈尊」といえば、「人間釈尊」とも言われるように、われわれと同じ人間であるという理解がつよい。釈尊とは、「釈迦族出身の聖者」という意味であり、浄飯王と摩耶夫人との問に生まれた悉多太子その人であるという理解がある。それだけ「釈尊は人間である」という理解がつよいのである。
しかし「仏陀」という場合には、法性から、衆生済度のためにこの世に現われた人であり、仮りに「父母から生まれた」というすがたをとっているにすぎないと解釈される。それは、「応身の仏陀、化身の仏陀」である。そのために、仏教の教理的立場では、「釈尊」という場合と、「仏陀」という場合とでは、理解の仕方、アプローチの仕方が異なる。
すなわち「仏陀の生涯」という題目は、「釈尊の生涯」というべき「生涯」の語を「仏陀」につけているために、思想的には消化しがたい題目であるが、本書の場合は「『仏所行讃』を読む」という副題がついているので、それを手がかりにして、「仏陀」と「釈尊」とを一つに見る視点を見つけることにしたのである。つまり『仏所行讃』には、超人間的な仏陀が説かれているのであるが、その仏陀が同時に、浄飯王と摩耶夫人とを父母として生まれた人間であると理解されているのである。そういう立場で説かれているから、『仏所行讃』に説かれている仏陀は、現代人の立場から見たら「超人的」という感じがするかもしれない。しかし昔の人は、仏陀となった釈尊が超人間的な神通力を実際にそなえていたと信じていたのである。それゆえ彼らは、釈尊が不思議な神通力を現わしても、不思議とは思わなかった。しかし現代人は、釈尊も人間であると受けとめているから、神通力をそなえた釈尊の物語は「神話」であると理解するであろう。
しかしわれわれは、『仏所行讃』を著わした馬鳴菩薩(Aśvaghoṣa)の立場を尊重して、馬鳴菩薩と同じ立場で『仏所行讃』を読んでいきたいと思う。それが最もみのりのある『仏所行讃』の読み方であると考える。
春秋社、平川彰『仏陀の生涯 『仏所行讃』を読む』Pⅰ-ⅲ
「『仏所行讃』に説かれている仏陀は、現代人の立場から見たら「超人的」という感じがするかもしれない。しかし昔の人は、仏陀となった釈尊が超人間的な神通力を実際にそなえていたと信じていたのである。それゆえ彼らは、釈尊が不思議な神通力を現わしても、不思議とは思わなかった。しかし現代人は、釈尊も人間であると受けとめているから、神通力をそなえた釈尊の物語は「神話」であると理解するであろう。」
これはブッダや仏教を考える上で非常に重要な問題です。
神話化されたブッダではなく実証主義的な観点から神話を排した「人間ブッダ」を強く打ち出したのが西欧から始まった仏教学です。この「人間ブッダ」形成の歴史について詳しく説かれたのが以前当ブロブでも紹介した『英国の仏教発見』と『新アジア仏教史02インドⅡ 仏教の形成と展開』になります。
また、こうした「人間ブッダ」が強く打ち出された仏伝が中村元著『ゴータマ・ブッダ』になります。中村元先生は一概に西欧的な仏教学そのままという立場ではありませんが、神話を排した「人間ブッダ」を描いた仏伝の代表といえばこの作品が挙げられるのではないかと思います。
そしてそうした神話を排した「人間ブッダ」という考え方に対する批判も近年生まれています。それが新田智通著「大乗の仏の淵源」という論文です。
これまでの仏教学では「ブッダは後世の人々によって神話化された」と考えられてきましたが、そもそもブッダ在世時や滅後間もなくにおいてもブッダは超人間的な存在と見られていたということをこの論文で明らかにしていきます。これはまさに上で見た平川彰先生の「はしがき」とも関連してくる指摘です。
『仏所行讃』における「超人的ブッダ」は当時の人においては当たり前のように受け取れるものであり、そこに歴史上の「人間ブッダ」という概念そのものすら存在しなかったというのは非常に重要な観点です。平川先生が指摘するように、現代を生きる私達には「超人的ブッダ」をそっくりそのまますんなりとは受け入れにくいかもしれませんがかつてはまさにそのように受け入れられていた、そのことは仏教とは何かを考える上でも非常に重要なポイントなのではないでしょうか。
最澄も空海も法然も親鸞も皆そのようにブッダを理解していたはずです。それを現代的な視点からのみで解釈しようとするとおそらく何らかのずれが生じてくるのではないでしょうか。
さて、何はともあれアシュヴァゴーシャの『ブッダチャリタ』を読んだ直後に私は平川先生の著作を通してこの漢訳『仏所行讃』の一部を読むことになりました。サンスクリット語で書かれた『ブッダチャリタ』と漢訳では当然言葉が違います。もちろん、私が読んだ『ブッダチャリタ』は日本語訳されたものですが、それでも漢訳と比較しながら読むのはとても興味深いものがありました。同じ内容のお話でも言葉が変わればそのニュアンスも変わってきます。そうしたことを感じながら読んでいくのはとても楽しかったです。平川先生の解説もとてもわかりやすいので実に読みやすかったです。
これは仏教入門にもぜひおすすめしたい一冊です。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
以上、「平川彰『仏陀の生涯 『仏所行讃』を読む』~漢訳された仏伝をもとに超人間的なブッダの生涯を見ていくおすすめ入門書」でした。
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