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シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』あらすじと感想~ギリシャ神話『イリアス』の世界を舞台にあの英雄たちが喋る喋る!
今回ご紹介するのは1601年から1602年頃にかけてシェイクスピアによって書かれたとされる『トロイラスとクレシダ』です。私が読んだのは筑摩書房、松岡和子訳版です。
早速この本について見ていきましょう。
トロイ戦争は終盤にさしかかり、トロイの王子トロイラスは、恋い焦がれていたクレシダと結ばれて永遠の愛を誓うが、クレシダはギリシャ軍に引き渡される。その後ギリシャ陣営でトロイラスが目撃したのは、ディオメデスの愛を受け入れるクレシダの姿だった―。引き裂かれた愛の行方と先行きの見えない戦局を取り上げた異色劇。
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この作品はギリシャ神話『イリアス』の世界を舞台にした劇作品です。
『トロイラスとクレシダ』はあの『イリアス』に出てきた有名な英雄たちがどんどん出てくる豪華な作品なのですが、巻末の解説を読んで私は驚きました。シェイクスピアは単に『イリアス』をモチーフにしてこの作品を作ったのではなく、もっと大きな狙いがあったと言うのです。では、その解説を見ていきましょう。
シェイクスピアの『トロイラスとクレシダ』(一六〇二年頃)は恋愛の掟破りを革新的な仕掛けで描いた劇作品である。シェイクスピア時代の恋愛の社会コードは今日のそれとだいぶ違っているように、トロイラス物語の骨格ができた十二~十四世紀ともかなり異なっていた。『トロイラスとクレシダ』の驚異的な実験性はまさしくここから生まれている。(中略)
トロイラスとクレシダの恋愛関係はシェイクスピア時代にとってはるか未来に実現する恋愛関係、すなわち相思相愛が必ずしも結婚に結びつかず、また不実と呼ばれることが起きたとしても法的には問題がない純粋に私的な恋愛関係に相当する。逆説的に今日の私たちには二人の関係はごく普通に見えるが、シェイクスピアのトロイラスとクレシダは不実以前に同時代の結婚制度にかんする重大な違背者たちだったのである。夫婦一体を理念とする婚姻関係に入っていないから、二人は捕虜交換による離れ離れの生活を拒絶できない。クレシダが浮気をする現場に居介わせながら、トロイラスは怒りを抑え黙って見過ごさなければならない。『トロイラスとクレシダ』とは同時代の観客にとってトロイラス物語をネタにした恐るべき仮想世界、自分たちの社会コードを守らなければどのようなグロテスクな出来事が起きてしまうかを示す野心的なシミュレーション劇だった。(中略)
『トロイラスとクレシダ』を今日の喩えで表現すれば、『三国志』や『忠臣蔵』の出来事が現代社会のコンテクストで演じられるお芝居に相当する。その仮想世界では諸葛孔明や大石内蔵助も従来とは違って見えるであろうように、トロイ神話の英雄たちも『トロイラスとクレシダ』ではまったく別の登場人物像に移し替えられる。この劇作品が今後どのように評価されていくかは分からないが、シェイクスピア劇の中でもっとも野心的な実験が試みられたもっとも意欲的な作品であることは疑いないと思う。
筑摩書房、シェイクスピア、松岡和子訳『トロイラスとクレシダ』P271-276
この解説の最後の部分、「『トロイラスとクレシダ』を今日の喩えで表現すれば、『三国志』や『忠臣蔵』の出来事が現代社会のコンテクストで演じられるお芝居に相当する。その仮想世界では諸葛孔明や大石内蔵助も従来とは違って見えるであろうように、トロイ神話の英雄たちも『トロイラスとクレシダ』ではまったく別の登場人物像に移し替えられる。」という喩えはとてもわかりやすいですよね。
シェイクスピアは1600年代初頭においてすでにそうした大胆なシミュレーション、物語制作を行っていたのです。これには私も驚きました。シェイクスピアの想像力たるややはり恐るべしです。
『トロイラスとクレシダ』の中心になるテーマは「永遠の愛とその裏切り」です。トロイの王子トロイラスとクレシダは二人で愛を誓ったものの、その直後に捕虜交換にクレシダが出されてしまい離ればなれになってしまいます。
離ればなれになっても互いの愛は変わらないと誓い合った2人ですが、クレシダはその後あっさり他の男に乗り換えることになりました。その裏切りの瞬間をトロイラスが黙って見るしかなかったのは上の解説でも書かれていた通りです。
こうした愛の不確かさが一応のメインテーマになるのでしょうが、私がこの作品を読んで面白いなと思ったのはやはり『イリアス』の英雄たちがこれでもかと喋りまくるシェイクスピア劇らしさでした。
この作品には『イリアス』に出てくる有名人たちがずらりと登場します。トロイ方には、プリアモス、ヘクトル、パリス、アエアネス、カサンドラ、アンドロマケ、ギリシャ方にはアガメムノン、メネラオス、ヘレネ、アキレウス、ユリシーズ(オデュッセウス)などなど、いわばトロイア戦争のオールスター戦と言えましょう。
特に私がぐっと来た登場人物はトロイ方のアエアネスです。彼は古代ローマ建国の祖としても知られ、彼の建国神話は古代ローマの詩人ウェルギリウスの『アエネーイス』で有名です。
そのアエアネスにも武人として多くのセリフが与えられているのが私には嬉しく感じられました。『アエネーイス』を昨年ローマに行く前に読んだ縁でアエアネスがものすごく身近に感じられたのです。
同じように当時の観客たちもそれぞれごひいきの英雄がいたはずです。ヨーロッパ世界においてホメロスの『イリアス』、『オデュッセイア』は古典中の古典、さらに言えば常識のようなものでした。皆がその話を知っている。そんな中でそれぞれ好きな英雄がいたことでしょう。その英雄たちがシェイクスピア劇で蘇ったのです。これはわくわくしますよね。
あの『イリアス』の世界をシェイクスピアが舞台化したらどんなことになるだろうか!当時の人たちもきっと楽しみにして観に行ったのではないでしょうか。
そしてこの『トロイラスとクレシダ』の英雄たちのまあなんとよく喋ること!
『イリアス』のあの無骨で勇敢な男らしい英雄たちの姿はいずこやら、実に人間くさいです。シェイクスピアらしい言葉、言葉、言葉の応酬!「これが本当にあのギリシャ神話の英雄か」と笑いたくなるくらいの話しぶりです。
ですがこれがまたいいんですよね。シェイクスピアだからこそ出せるこの人間味!しかも上の解説でもありましたように、シェイクスピアは意図的に『イリアス』を現代風、シェイクスピア風にシミュレーションして書き上げています。そう考えてみると単に昔の物語を甦らしただけでなく、そこにシェイクスピアらしさも表現しているわけです。
となるとこの作品がいかに奥深いものか、驚異的なものかということに驚かざるをえません。私はいつも本文よりも先にあとがきや解説を見る派なのですが、この解説を知ってから読んで本当によかったなと思います。
現代を生きる私たちが何となく読んでしまえば気づくことは難しいでしょうが、シェイクスピアが生きた当時の観客たちはそれこそシェイクスピアの演劇作製技術にそれこそ度肝を抜かれたのではないでしょうか。そして誰もが知るギリシャ神話の英雄のオールスター戦を見せてくれたシェイクスピアに拍手喝采だったのではないでしょうか。
そんなことを思いながらの読書になりました。物語そのものとしてはこの作品も「問題劇」と言われるように、傑作かと言われれば何とも言い難いところがあります。ですがシェイクスピアがいかに優れた想像力、実験精神を持っていたかということを知るには非常に重要な作品なのではないでしょうか。
以上、「シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』あらすじと感想~ギリシャ神話『イリアス』の世界を舞台にあの英雄たちが喋る喋る!」でした。
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