シェイクスピア『尺には尺を』あらすじと感想~結婚はハッピーエンド?悲劇の始まり?シェイクスピアの問題劇

名作の宝庫・シェイクスピア

シェイクスピア『尺には尺を』あらすじと感想~結婚はハッピーエンド?悲劇の始まり?シェイクスピアの問題劇

今回ご紹介するのは1603年から1604年にかけてシェイクスピアによって執筆されたとされる『尺には尺を』です。私が読んだのは筑摩書房、松岡和子訳版です。

早速この本について見ていきましょう。

公爵の代理に任命された貴族アンジェロは、世の風紀を正すべく法を厳格に適用し、結婚前に恋人を妊娠させた若者に淫行の罪で死刑を宣告する。しかし兄の助命嘆願に修道院から駆けつけた貞淑なイザベラに心奪われると…。性、倫理、欲望、信仰、偽善。矛盾だらけの脆い人間たちを描き、さまざまな解釈を生んできた、シェイクスピア異色のシリアス・コメディ。

Amazon商品紹介ページより

今作『尺には尺を』はシェイクスピア作品の中でも問題劇と言われる作品になります。

何が問題なのか。

それは物語の筋やその終わり方がどうもすっきりしない、謎、あるいは首をかしげるような展開であることに由来します。

この作品の問題ぶりについて訳者あとがきでは次のように述べられています。

シェイクスピア劇に関するかぎり、喜劇はすべて結婚で終わり、悲劇はすべて結婚から始まる。また、四本のロマンス劇にしても『テンぺスト』を除けばいずれもプロットの悲劇的な発端は結婚である。この事実に気づいたときは苦笑せざるを得なかった。シェイクスピアの結婚観はすごい。

喜劇のなかでも『恋の骨折り損』の終わり方は微妙。四組のカップルの結婚は一年間お預けで、しかも男性陣は一年後の再会までに女性陣がそれぞれの相手に出した課題をクリアしなくてはならない。手放しの「めでたし、めでたし」ではないのだ。

『尺には尺を』も結婚で終わるのは確かだけれど、やはり手放しの「めでたし、めでたし」とは言えそうもない。その度合いときたら、『恋の骨折り損』の比ではない。『夏の夜の夢』『お気に召すまま』『十二夜』といったロマンティック・コメディの幕切れとは違って、お似合いのカップルがずらりと並ぶ晴れやかなハッピー・エンディングからは程遠いのだ(『恋の骨折り損』では一応お似合いの男女がぺアになっている)。アンジェロとマリアナ、ルーチオとケイト・キープダウン、クローディオとジュリエット、そして公爵とイザべラ。

晴れやかなハッピーエンドでない訳は? この劇では結婚は罰だからだ。少なくともアンジェロとルーチオの結婚の決定は公爵による「判決」のかたちで下される。四組の中でも罰としての結婚が最も明白なのはルーチオの場合だ。かつて彼の子供を産んだ娼婦と結婚させられることになり、彼自身が「淫売との結婚は死の石責めだ、鞭打ちの刑だ、絞首刑だ」と言っているのだから。アンジェロと元婚約者マリアナの結婚も、アンジェロにとっては「いわれもなく婚約を破棄した」つぐないだ。アンジェロ本人は「ただちに死刑宣告と処刑を賜るのが私の乞い願うお慈悲のすべてです」と懇願するが、公爵は有無を言わせない。

公爵とイザべラの結婚は複雑で、もちろん罰とは書いていないが、どういう動機で公爵がイザべラと結婚したいと思ったかも書かれておらず、突如「お前と結婚しよう」と言う。しかもイザべラがどう答えるかも書かれていない。だから公爵のプロポーズに対して「はい」なのか「いいえ」なのか分からない。(中略)

結婚が認められて素直に喜ぶ、曲りなりにも「お似合い」のカップルはクローディオとジュリエットだろうが、この二人にしても、いわゆる「出来ちゃった婚」で、どうもすっきりしない。

というわけで、幕切れに並ぶのは何かが欠けていたり、歪んでいたりといういびつなカップルばかりなのだ。

筑摩書房、シェイクスピア、松岡和子訳『尺には尺を』P199-200

この解説を読んで頂ければわかりますように、たしかにこの作品で説かれる結婚は明らかに幸せそうではありません。

しかもそこに至る過程も何だかそれぞれが自分勝手にしゃべりまくるという収拾のつかなさです。

そこでデウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)の御裁定とばかりにラストのラストで侯爵がそれぞれの結婚を強制するわけです。う~む、これは謎展開・・・

これは問題劇と言われるのもよくわかる気がします。

ただまあ、この物語における事件の発端となった侯爵代理アンジェロ、この男については何となく思う所もあります。

彼はとにかく真面目で頑固、冷徹な男でした。侯爵代理ということで街の政治の全権を任されると、厳格に法律を適用するようになります。そこで結婚前に子を作ってしまったクローディオが法に触れることになってしまったのでした。

恋なんかで法を破るなんてとんでもない。そんな不埒な男は厳罰に処さねばならん!風紀を正さねばならんのだ!と息巻くアンジェロでしたが、罪の許しを求めにやって来たクローディオの妹に一目惚れ。そこから彼の葛藤が始まります。

ここでアンジェロが自らの恋心から自分の行動を顧みればいいものの、あろうことか「兄の救済と引き換えにお前の身体を差し出せ」ととんでもないことを言い出します。しかもこのクローディオも妹にそれをお願いするというカオス。

他にも残念な人間達が織りなすどうしようもないやりとりが展開されることになります。こうなったらもう力づくのフィナーレしかもう手は残されてないですよね。シェイクスピアが何を思ってこの作品を書いたかはわかりませんが、シェイクスピア作品中屈指の「どうしようもなさ」です。

ですが、この「どうしようもなさ」こそ人間の現実かもしれませんね。私達の生きる世界も実際問題、似たようなものなのではないでしょうか。訳者の松岡さんが上の解説で、「シェイクスピア劇に関するかぎり、喜劇はすべて結婚で終わり、悲劇はすべて結婚から始まる。また、四本のロマンス劇にしても『テンぺスト』を除けばいずれもプロットの悲劇的な発端は結婚である。この事実に気づいたときは苦笑せざるを得なかった。シェイクスピアの結婚観はすごい。」と述べたのもなんとなくわかる気がします。

ちょっと切ない恋愛劇ではありますが、ある意味この作品は私に爪痕を残した作品でありました。

以上、「シェイクスピア『尺には尺を』あらすじと感想~結婚はハッピーエンド?悲劇の始まり?シェイクスピアの問題劇」でした。

次の記事はこちら

前の記事はこちら

関連記事

HOME