サマセット・モーム『昔も今も』あらすじと感想~マキャヴェリの『君主論』のモデル、チェーザレ・ボルジアを知るのにおすすめ!
サマセット・モーム『昔も今も』あらすじと感想~極上の歴史小説!マキャヴェリの『君主論』のモデル、チェーザレ・ボルジアを知るのにおすすめ!
今回ご紹介するのはイギリスの小説家サマセット・モームによって1946年に発表された『昔も今も』です。私が読んだのは2011年に筑摩書房より発行された天野隆司訳の『昔も今も』です。
早速この本について見ていきましょう。
イタリア統一の野望に燃える法王軍総司令官チェーザレ・ボルジアの許へ、フィレンツェ政府は使節として天才的外交官ニッコロ・マキアヴェリを派遣する。チェーザレの魔の手をかわし、共和国の自由を防衛するためだった。大小の都市国家に分裂し、フランス・スペイン両大国の侵略にさらされる16世紀初頭の騒然たるイタリアを背景に、ボルジアとマキアヴェリの知的格闘がはじまる。「政治人間」の生態と機微を描いた歴史小説の傑作を新訳で贈る。
Amazon商品紹介ページより
私がこの作品を読んだのは、前回の記事で紹介した高階秀爾著『フィレンツェ 初期ルネッサンス美術の運命』がきっかけでした。
この本では15世紀にルネッサンス全盛を迎えたフィレンツェの政治情勢やイタリア全体の時代背景を知ることになりました。
ルネッサンス芸術の繁栄はイタリアの独特な政治情勢に大きな影響を受けていて、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロもまさに各国間の政治的駆け引きの道具として利用されていたということに私は驚くことになりました。
そしてそのまさに同時代に生きていたのが『君主論』で有名なあのマキャヴェリだったのです。
『君主論』はマキャヴェリズムという言葉があるほど有名な作品ですが、この本自体はなかなかに読みにくく、手強い作品となっています。私も以前この本を読もうとしたのですが前半で挫折してしまいそのままになっていました。
ですがこの『フィレンツェ 初期ルネッサンス美術の運命』を読んでから改めて『君主論』を読むと、全く別の顔を見せるようになったのです!とにかく面白いのなんの!時代背景がわかってから読むと、マキャヴェリの言葉がすっと入ってくるようになったのです。
そうなってくると『君主論』のモデルともなったチェーザレ・ボルジアという人物が気になって気になって仕方なくなってきました。世界中を席巻することになった『君主論』のモデルになるほどの人物ですから、とてつもなく巨大な男に違いません。これはぜひもっと知りたいものだと本を探した結果出会ったのが本書『昔も今も』でした。
先に申し上げますが、この本はものすごく面白かったです!極上の歴史小説です!これはいい本と出会いました!
2人の天才、マキャヴェリとチェーザレ・ボルジアが織りなす濃密な人間ドラマ!そして彼らが生きたイタリアの時代背景も知れます。ドラマチックなストーリー展開の中に『君主論』を思わせる名言が出てきたり、人間臭いマキャヴェリの姿も知れたりと非常に盛りだくさんな作品となっています。
この作品について訳者は巻末の解説で次のように述べています。
『昔も今も』に登場する主人公は、ニッコロ・マキアヴェリとチェーザレ・ボルジアである。マキアヴェリはフィレンツェ共和国に仕える才気煥発、敏腕な官僚であり、喜劇作家であり、そして何よりも『君主論』の著者であって、今日近代政治学の祖と言われる。
一方、チェーザレ・ボルジアは、長年〈ボルジア家の毒薬〉で知られる悪逆無道な権力亡者、目的のためには手段を選ばない、いわゆる〈マキアヴェリズム(権謀術数)〉の権化として、歴史にその名を記されてきた。
マキアヴェリは『君主論』のなかで、君主は世の美徳や評判に捉われることなく、時と場合によっては、残酷な行為も一気呵成に行ない、悪に踏み込んで行くことも必要である、獅子のごとく猛々しく、狐のごとく狡猾でなければならないと語っている。さらに、雄図半ばにして斃れたチェーザレ・ボルジアについて、「すばらしい勇猛心と力量の人であった。また民衆をどのようにすれば手なずけることができるか、あるいは滅ぼすことができるかを、十分わきまえていた」(『君主論』池田廉訳)と述べ、彼こそ新時代の君主となる人たちが模範とすべき人物であると称賛している。
しかしながら、そのようなキリスト教の美徳に挑戦する言辞が災いして、『君主論』はマキアヴェリの死後まもなく、高名な教会人によって〈悪魔の所産〉と弾劾され、やがて彼の全著作がローマ法王庁の禁書目録に載せられた。
筑摩書房、サマセット・モーム、天野隆司訳『昔も今も』P366-367
※一部改行しました
この箇所を読むだけでマキャヴェリとチェーザレ・ボルジアがどのような人物だったかが浮き上がってきますよね。
そして著者は続けます。次の箇所では当時のイタリアの時代背景が解説されます。
マキアヴェリの時代イタリアは、大小の都市国家が割拠して分裂し、そのために絶対王政の体制を整えたフランス、スペイン両大国の介入と収奪を許していた。たがいに傭兵を雇ったり傭兵に雇われたりして〈八百長戦争〉をしながら勢力均衡を維持し、豪華絢爛たるルネサンス文化を謳歌していた時代は去りつつあった。一四九四年のフランス国王シャルル八世の侵入以来、イタリアは全土が残忍な戦闘や略奪の横行する不安定な状況に陥っていた。
この乱世の時代にチェーザレ・ボルジアが登場した。まだ二十七歳という若い剛毅な君主である。彼は法王アレッサンドロ六世の私生児ながら、統一をめざして国民軍を創設し、法王領の実権を握るべく群小領主の一掃に邁進する。
彼の野望に直面して、フィレンツェやヴェネツィアや、シエナやボローニャは動揺する。彼らにとってイタリアの分裂状態と勢力均衡こそ自国が繁栄する条件だった。このままチェーザレの過激な行動を許すならば、とりわけ大都市国家の存立が脅かされる。その自由と繁栄が失われる。
おりしもチェーザレの傭兵隊長たちが、自分たちも主人の野望の生け贄にされかねないと恐怖して謀反を起こした。これはフィレンツェにとって、共和国が生き延びる格好のチャンスだった。強欲な軍人どもが共食いをしてくれるならば、漁夫の利を得るのはフィレンツェである。こうしてフィレンツェ政府は巨額の傭兵契約を求めるチェーザレの許に、口八丁手八丁のマキアヴェリを使節として送りこんだ。反乱の結果が見えるまで、舌先三寸でチェーザレの矛先をかわそうという作戦だった。
かくして物語は、二人の天才的人物の丁々発止のやりとりを縦糸にし、女好きなマキアヴェリが手練手管を発揮する恋の火遊びを横糸にして進行する。マキアヴェリは男盛りの三十三歳、共和国に忠実な官僚であるとともに、情熱的な生身の一個の男である。出張先のイーモラに到着したとたん、有力な商人の若い女房にひと目惚れし、多忙な外交交渉の合間をぬって、彼女をモノにしようと奮闘する。この必死の政治活動とマメで真剣な恋愛活動とが、モーム得意の軽妙なタッチで描かれる。
マキアヴェリの涙ぐましい活動の顛末は本書を読んでいただくとして、そのコミカルな物語の展開のなかにも、マキアヴェリとモームの鋭い人間観察が表裏一体となって現われ、読者を随所で楽しませてくれる。『昔も今も』を一読されたあと『君主論』を手にするならば、読者は大いに興味・関心を刺激されて読書が進むのではあるまいか。
筑摩書房、サマセット・モーム、天野隆司訳『昔も今も』P367-369
※一部改行しました
チェーザレ・ボルジアが教皇アレッサンドロ六世の私生児であるというのは驚きですよね。しかもその立場を利用してイタリア全土を掌握しようというとてつもない野心を持った人物でした。
そしてこの作品で説かれるように、チェーザレ・ボルジアは単に生れを利用しただけの男ではなく、信じられないほど優秀な人物でもありました。その鋭敏な頭脳、カリスマ性、権謀術数にはただただ驚くしかありません。
訳者が「『昔も今も』を一読されたあと『君主論』を手にするならば、読者は大いに興味・関心を刺激されて読書が進むのではあるまいか」と述べますように、これはぜひセットで読むのをおすすめしたい作品です。
おそらく、世の大半の方は有名な『君主論』をそれ単体で読むのではないかと思います。私もそうでした。
「あの有名な『君主論』はどんな本なのだろう。ベストセラーにもなってるみたいだし、試しに読んで見ようか」、そんな軽い気持ちで手に取ったはいいものの案の定挫折してしまった苦い思い出があります。
ただ、この『昔も今も』を読んでから『君主論』を読み返してみたらどうでしょう。これはもう全く別の作品に見えるくらいの違いが生まれてきます。
この記事の冒頭でもお話ししましたが高階秀爾著『フィレンツェ 初期ルネッサンス美術の運命』とサマセット・モームの『昔も今も』は『君主論』を読む上で最高の手引になります。これはぜひぜひおすすめしたいです。
『昔も今も』はそれ自体でも極上の歴史小説ですが、『君主論』の手引書としてもぜひおすすめしたいです。非常に面白い作品でした。ルネッサンスの時代背景を知る上でもとても参考になります。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
以上、「サマセット・モーム『昔も今も』あらすじと感想~マキャヴェリの『君主論』のモデル、チェーザレ・ボルジアを知るのにおすすめ!」でした。
Amazon商品ページはこちら↓
次の記事はこちら
前の記事はこちら
関連記事
コメント