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トルストイ『コサック』あらすじと感想~カフカースの圧倒的美しさを描いたトルストイの傑作中編!あの『戦争と平和』にも直結

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トルストイ『コサック』あらすじと感想~カフカースの圧倒的美しさを描いたトルストイの傑作中編!あの『戦争と平和』にも直結

今回ご紹介するのは1863年にトルストイによって発表された『コサック』です。私が読んだのは河出書房新社より発行された中村白葉訳『トルストイ全集2 初期作品集(上)』1982年第4刷版所収の『コサック』です。(全集では翻訳の関係で『コサック』が『コザック』という題になっています。)

早速この本について見ていきましょう。

小説『コザック』は、前記のとおり、カフカーズ物語として総括される文豪の作品の、最初の連山の最高峰としてそびえているばかりでなく、数多い翁の全作品中でも、もっとも美しい抒情的小説の一つとして、かなり重要な地位を占める傑作である。(中略)

『コザック』は、ロマン・ローランによってトルストイの青春の歌とたたえられ、ツルゲーネフによって「かつてロシヤ語で書かれたもっとも美しい物語」と呼ばれているとおり、全編、南方の澄明な大空に雪をいただく山々の荘厳美と、周囲をかこむ自然の一部としか見えないような、ほとんど原始にちかいコザック生活の素朴美との音律にみたされている、文字どおり一編の散文詩である。

作の主人公は、作者トルストイ自身と同じく都会生活の放埓と腐敗に飽きて、カフカーズの原始的冒険生活の中に生命の新しい意義を求めようとして来ながら、ここでもコザック娘との恋の三角関係から、魅惑多い人生の解きがたい謎になやむことになる、熱烈で真摯な魂の持主である一青年貴族オレーニンである。

いうまでもなくこれは、きわめて高度に作者自身を脳裡において描かれた性格で、以上の意味からこの作は、外面的にも内面的にも、すこぶる多くの自伝的要素を含んでいる。

編中オレーニンがテレーク河畔のコザック村で送っている朝夕は、だいたい当時の作者自身の生活であり、民衆―コザックたちと接近しようとする試み、狩猟、自然美の観照、これらオレーニンの外面生活の諸条件は、当時の作者の生活そのままといわれるが、わけてもその特質である内面生活、不断の内的闘争に統括される精神の二重性、瞑想癖、はにかみ、自己不満、自己完成の要求ないし道徳的敏感性等は、作者その人の性格的特質である。

もっとも、本書の内容とトルストイの伝記的事実とは必ずしも一致しているとはいえない。げんに、本編の物語要素として作の中心になっている主人公とコザック娘との恋愛事件は、作者の直接体験ではなく、友人から聞いた話であるなど、それである。

けれども、作に現れているオレーニンの行動は、すべて、当時のトルストイの精神生活とは一致している。話の筋は借りものでも、主人公の生活―ものの考え方、受け取り方にいたっては、作者自身の内面生活といささかのずれもないことが容易に首肯される。そして私は、これを尊いと思うのである。
※一部改行しました

河出書房新社、中村白葉訳『トルストイ全集3 初期作品集(下)』1980年第3刷版所収、巻末解説P426-428

『コサック』はトルストイのカフカース体験の集大成とも言える作品です。

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これまで当ブログでもカフカース体験を綴ったトルストイの短編小説を紹介してきましたが、今作はその分量もスケールもはるかに巨大なものとなっています。

また、藤沼貴著『トルストイ』ではこの作品について次のように述べられていました。トルストイにおいて『コサック』という作品がいかに大きな意味を持つかということがわかりやすく解説されていましたので、少し長くなりますが引用していきます。

オレーニンは前述のように作者トルストイに似ており、また、その考え方、言動には、これまでのトルストイの自伝的主人公と共通の特徴がはっきり現れている。そのため『コサック』は『幼年時代』『少年時代』『青年時代』『地主の朝』の延長線上にある自伝的作品だと思えるし、たしかに、オレーニンのなかにはトルストイ自身のカフカース体験がぎっしり詰まっている。

しかし、オレーニンの筋のいちばん肝心な点は、コサック娘マリヤンカに対するかれの実らぬ恋であり、このような体験はトルストイ自身の実生活にはなかった。

これはプーシキンの物語詩『ジプシー』『カフカースの捕虜』、レールモントフの『カフカースの捕虜』(プーシキンの作品と同名)などにつながる、古今東西に数多くあり、ロシア文学にとってとくに切実な、異民族、異文化の男女の恋物語である。

トルストイ自身も後にプーシキン、レールモントフと同名の『カフカースの捕虜』という作品を書いた。この三つの同名の作品の主人公は作者から離れた第三者だった。だが、『コサック』ではトルストイは主人公を自伝的と思えるオレーニンにした。それによって、自伝的な筋を客観的な筋に結びつけ、しかも、自伝的な主人公に異文化の恋を体験させることで、トルストイはこの問題を「お前ならどうするか」という問いとして、自分自身に突きつけた。

憶測にすぎないが、マリヤンカはこの時期にトルストイの悩みの対象であったアクシーニアに似ていると言う人もいる。ここでその真偽は問わないけれども、オレーニンは回顧的な自画像にとどまらず、現在的、予見的なものとなったのである。

トルストイはこうした前期のさまざまな作品にあったいくつもの要素や視点を『コサック』のなかで総合し、しかも、すっきりまとった作品にすることに成功した。

しかし、トルストイは複合的なものをバランスよくまとめるためのことで満足したのではない。また、後(ニ八九ページ)で述べるように、トルストイはドストエフスキーのように多声的ポリフォニックな作品世界を創る作家でもなかった。

さまざまな視点を使うようになった時、その背後にあって、一段高い次元で全体を見わたす叙事詩的視点、いわゆる全知全能オムニポテントな視点を作ろうとした。

それは単に文学的手法の問題ではなく、多くの面をもつ人生をただ一つの真の立場から俯瞰したい、あるいは一つの統一した視点から全体を俯瞰することによって、統一的な一つの真理に到達したという考えの表れだった。

だからそれは作者の人格、生き方の問題でもあった。『コサック』でそういう視点を作る試みが初めてなされたのである。『コサック』がそれまでの作品から一頭地を抜く作品になったのには複数の理由があるが、最大の理由は今指摘した点にある。

しかし、それはもちろん容易なことではなく、次の大長編『戦争と平和』に一つの課題としてゆだねられる。

『コサック』はそれ自体価値ある作品だが、前期の創作の総集でもあり、次の大作『戦争と平和』への跳躍台スプリングボードとなったのである。
※一部改行しました

第三文明社、藤沼貴著『トルストイ』P273-274

トルストイは元々、自伝的な小説を書くことに非常に優れていました。その代表作が『幼年時代』『少年時代』『青年時代』の自伝三部作でありました。

今作『コサック』でもそうした自伝的な部分はありつつも、トルストイは大きな進化を遂げることになります。

それが上の解説でも述べられていたような、「自伝的な主人公とフィクションの融合」でした。

そしてさらにトルストイは「一段高い次元で全体を見わたす叙事詩的視点、いわゆる全知全能オムニポテントな視点」を志向するようにもなっていきます。『戦争と平和』はまさしくこうした視点で書かれることになり、ギリシャの偉大な詩人ホメロスの作『イリアス』や『オデュッセイア』と比されることにもなっていきます。

そういう意味でも今作『コサック』の持つ意味は非常に大きなものがあると思われます。

ここから先はこの作品において私の中で特に印象に残った箇所を紹介したいと思います。

まずひとつ目はカフカースの圧倒的な美しさを初めて見た時のオレーニンの描写です。カフカースの美しさをここまで表現するトルストイにはただただ脱帽するしかありません。

カフカースの圧倒的美しさ

〈さあ、そろそろはじまるらしいぞ!〉こうオレーニンはひとりごち、かねて人の話によく聞いていた、雪をいただいた山々の景観の現われるのを、たえず心待ちにした。

一度、夕方まえのことだったが、御者のノガイ人が、雲のかげからのぞいている山なみを、鞭で教えてくれたことがある。オレーニンはむさぼるように目をこらしはじめたが、あいにく曇り日だったので、雲がなかば山々を隠していた。で、オレーニンには、ただ、灰色した、白っぽい、うねうねしたものが見えるだけで、どんなにつとめてみても、あれほど読んだり聞いたりしていた山の美観は、ひとつとして見いだすことができなかった。

そこで彼は考えた、山と雲とはまったくおなじ外観を持っているので、彼がたびたび聞かされた、雪の山の特殊な美などというものは、バッハの音楽や、彼が信じていなかった女にたいする恋などと同じような、いわゆるつくりごとにちがいないと―そうして、山にたいする期待を捨ててしまった。

ところが、翌日早朝に、彼は、馬車のなかの肌寒さに目をさまして、なにげなく右手のほうを眺めやった。澄みわたった朝であった。ふと彼は、自分から二十歩ばかりのところに(最初の瞬間、彼にはそう思われたのである)、華奢な輪郭をもった、清く、まっ白な、巨大な堆積と、その頂きと、遠い空とのつくりだす、くっきりとした、夢のような、空気のような線をみとめた。

そして、彼が自分と、山や空との距離と、山の巨大さとを完全に理解したとき、そして、その美の限りなさを、彼はそれが幻ではないか、夢ではないかと驚き怪しんだくらいである。彼は、はっきり目をさますために身ぶるいしてみた。が、山は依然として変わりがなかった。

「あれはなんだね?あれはいったいなんだね?」と、彼は御者にたずねた。

「山でさあ」と、ノガイ人はこともなげに答えた。

「わっしもずっと前から見ていたんでございますよ」とワニューシャが言った。「なんてみごとなものでございましょう!うちへ帰って話したって、だれもほんとうにゃしますまいね」

平坦な道を進む三頭立ての早い進行につれて、山々はのぼる朝日にばら色の頂きを輝かしながら、地平線に沿って走っているように思われた。

はじめは、山はただ、オレーニンを驚かしたばかりだったが、のちには彼を喜ばせた。けれども、なおしばらくすると、この、ほかの黒い山々のかげからでなく、いきなり曠野からもりあがって、遠く走っている、雪の山嶺のつらなりを見くいるうちに、しだいに、その美の精神に徹しはじめて、ついには、山を感じるようになった。

この瞬間から、彼の見るもの、考えるもの、感じるもののすべてが、彼にとっては新しい、荘厳なまでに偉大な山の性質をおびるようになった。

すべてのモスクワの思い出も、恥も、悔恨も、カフカーズについての俗悪な空想も、そうしたものはみな消えうせてしまって、二度と帰ってはこなかった。〈いまこそはじまったのだ〉なにかの厳粛な声が、彼にこう言ったように思われた。
※一部改行しました

河出書房新社、中村白葉訳『トルストイ全集2 初期作品集(上)』1982年第4刷版P16-17

いかがでしょうか。こんな文章を書かれたらもうひれ伏すしかありません。異常です。トルストイは。

どうして言葉でこんなにも美しい世界を表現できるのでしょうか。

この箇所を読んで私はどうしてもカフカースに行ってみたくなってしまいました。

トルストイがこんなにも感動した景色を見てみたい。そこでトルストイは何を見て、何を感じたのだろうか。

私は今そんな思いでいっぱいです。

せっかくですので以前紹介した記事よりカフカースの美しき景色をここで紹介します。

美しきカフカース(コーカサス)とジョージアの軍用道路

コーカサス山脈 Wikipediaより
Wikipediaより

カフカースは上の図に示された地域を指します。そしてその中でもジョージア(旧グルジア)北部にあるコーカサス山脈はこの地方を代表する景観の一つとして知られています。

そして、トルストイやプーシキンが歩いた行程が今や「ジョージアの軍用道路」として人気の観光名所となっているそうです。これはぜひ行ってみたくなりますよね!

軍用道路 Wikipediaより
軍用道路 Wikipediaより
軍用道路近くのゲルゲティ三位一体教会 Wikipediaより

以下、その軍用道路の解説になります。

ジョージア軍用道路は、1799年に帝政ロシア軍が古来の街道を軍用車用に整備した道路で、大コーカサス山脈を越えてロシアのウラジカフカス(「コーカサスを征服せよ」という意味)とトビリシの約200kmを結んでいる。ときに貿易の道として、またときに侵略者の道として、地域の歴史に重要な役割を果たしてきた。同時に風光明媚なことでも知られ、プーシキンやレールモントフといったロシアの詩人たちを魅了してきた。

そんな軍用道路も、今はすっかり観光道路となって世界各国の観光客を魅了している。カズべギまで全行程が舗装され、道中も快適だ。途中のグダウリや終点のカズベギにはホテルやゲストハウスも多く、泊まりがけで行ってもいいだろう。

ちなみにカズべギの町の名は、近年革命前の「ステパンツミンダ」に戻されたが、いまだにカズベキと呼ばれるほうが一般的なので、ここでもそのようにする。

ダイヤモンド・ビッグ社『地球の歩き方A31 ロシア ウクライナ ベラルーシ コーカサスの国々 2018~2019年版』P422

そしてこの軍用道路を含めたカフカース、ジョージアについて非常に充実したサイトがありますのでここでご紹介します。

小山のぶよさんの『さぼわーる』というサイトの中にあるページなのですが、これがまたすごいんです。

現地に長く滞在しているからこその濃い情報が山ほどあります。

読んでいるだけで旅行気分になれる楽しいサイトですのでぜひぜひおすすめしたいです。

私もいつも参考にさせて頂いていて、もう現地に行きたくて行きたくてうずうずしています。

上のTwitter記事をクリックして頂ければすぐに軍用道路の記事に飛べますのでぜひご覧になって頂けたらと思います。

貴族社会を嫌い、原始的な美に憧れるトルストイ

『コサック』においてもうひとつ紹介したい箇所が、オレーニンがカフカースで過ごしたことで感じた思いを吐露する場面です。かなり長い箇所なのですが、その中でも最もトルストイらしさが出ている箇所をここで紹介します。

ぼくのところへは、ロシヤから、同情の手紙がずいぶんくる。彼らはみな、ぼくがこの僻遠の地に埋もれてほろびてしまうのを恐れているのだ。彼らはぼくのことを言っている―彼は粗野になり、すべてに立ちおくれ、酒を飲みだし、なおわるいことには、コザック女と結婚するだろう。

そして、エルモーロフ(第一次カフカース軍司令官)が、十年カフカーズに勤務した者は、酒に身をもちくずすか、淫蕩な女と結婚するかどちらかだ―こう言ったのもゆえあるかなだなどと言っている。

なんという恐ろしいことだろう!じっさい、まかりまちがえば、B伯爵令嬢の夫とか、侍従とか、あるいはまた貴族団長とかになる大きな幸福が自分のうえへ落ちかかるかもしれないというのに、われとわが身を破滅させていいものだろうか。

ああ、きみたちはみな、なんというけがらわしいみじめな人たちだ!きみらは、幸福とはなにか、人生とはなにかということを知っていないのだ!

人は、一度はぜひとも生活を、その無技巧の美において経験する必要がある。ぼくがまいにち眼の前に見ているもの―永遠にして近づきがたい山々の雪や、創造主の手をはなれたばかりの最初の女が持っていたにちがいない原始的な美を、今なお保っている偉大なる女性を、見かつ理解しなければならない。

その時こそきみには、みずからほろぼすものはだれであるか、真実に生きる者、虚偽に生きる者はだれであるか、―きみらかぼくかということが、はじめて明らかになるだろう。

ああもしきみらが、欺瞞のうちに生きるきみらが、ぼくの目にいかにいとわしくみじめに見えるかを知ってくれたら!

自分の小屋や自分の森、自分の愛などのかわりに、きみらの客間や、入れ毛まき毛の上へ香油だらけの髪をならべたきみらの貴婦人、あの不自然に動くくちびるや、隠されてはいるが不具にちかい弱々しい四肢、会話であるべきではあるが、そのじつその名を僣すべきなんらの権利をもたない、無意味な客間の饒舌などを思いうかべるやいなや―ぼくはたちまち、やりきれない嫌悪の念におそわれる。

そしてぼくには、その人々の鈍そうな顔や『かまわないわ、よくってよ、そばへいらっしゃい、あたしはお金持の花嫁候補者だけれど』とでも言いたげな顔をしている金持の娘たち、席につかせたり席をかわらせたりするあの社交ぶり、男女をとりもつ無恥な女衒行為、不断のかげロや猫かぶり、さらには、だれには握手、だれには会釈、だれには会話といったような不文律、そして最後には、世代から世代へと伝えられて、われらの血のなかにひそんでいる永遠の倦怠(それらはすべて意識的に、避くべからざるものという信念をもって伝えられている)などが思いだされる。

どうぞ、ただ一つのことを理解するか、またはただ一つのことを信じてくれたまえ。まず第一に、真実とはなんであるか、美とはなんであるか、それを見かつ理解することが必要なのだ。すれば、きみらのロにすること、考えていることはすべて、ちりほこりのなかへ四散し、ぼくのため、きみら自身のためにする幸福の願望も、霧消してしまうであろう。

幸福とは―自然とともにあること、自然を見ること、それと語ることだ。

河出書房新社、中村白葉訳『トルストイ全集2 初期作品集(上)』1982年第4刷版P124-125

貴族社会を批判し、原始的な美を讃美するトルストイ。

こうした語りはまさに『戦争と平和』にもつながります。上の解説で、

「『コサック』はそれ自体価値ある作品だが、前期の創作の総集でもあり、次の大作『戦争と平和』への跳躍台スプリングボードとなったのである。」

と語られていた理由がよくわかります。

トルストイのこうした語りは後の『アンナ・カレーニナ』や晩年の『復活』に至っても変わることはありません。

この段階にしてすでにトルストイのスタイルは固まりつつあったのでした。

そうした「トルストイらしさ」を感じられるという点でもこの作品はおすすめです。

以上、「トルストイ『コサック』あらすじと感想~カフカースの圧倒的美しさを描いたトルストイの傑作中編!あの『戦争と平和』にも直結」でした。

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トルストイ全集〈2〉初期作品集 (1973年)

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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