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ロシアとカフカース・チェチェンのつながり~ロシア帝国とジョージア(旧グルジア)地方の戦争の歴史を振り返る

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ロシアとカフカースのつながり~ロシア・ロマノフ王朝とジョージア(旧グルジア)地方の戦争の歴史を振り返る

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トルストイとカフカース(コーカサス)の強いつながり~圧倒的な山岳風景とトルストイの軍隊経験 トルストイは1851年、23歳の年にカフカース(コーカサス。旧グルジア、現ジョージア)を訪れています。 そしてその圧倒的な自然やそこで出会った人々、命を懸けて戦った経験が彼の文学に大きな影響を与えています。 この記事では藤沼貴著『トルストイ』を参考にトルストイの「カフカース体験」を見ていきます。 トルストイの文学や人柄の特徴を見ていくためにもこれらは非常に参考になります。

前回の記事ではトルストイとカフカース(コーカサス)についてお話ししました。

カフカースは上の図に示された地域を指します。そしてその中でもジョージア(旧グルジア)北部にあるコーカサス山脈はこの地方を代表する景観の一つとして知られています。

コーカサス山脈 Wikipediaより


トルストイは1851年、23歳の年にこのカフカースを訪れています。

この圧倒的な自然やそこで出会った人々、命を懸けて戦った経験が彼の文学に大きな影響を与えています。

今回の記事ではトルストイが訪れることになったカフカースとロシアの歴史についてお話しします。

フランツ・ルボー(英語版)画 『コーカサス戦争の光景』Wikipediaより

トルストイが訪れた1850年代にはすでにロシアとカフカースは戦争状態でした。そしてその時から続く歴史は現代のチェチェン戦争とも繋がってきます。ロシア帝国、ソ連、現代ロシアという歴史の流れを知る上でもカフカースの歴史を知ることは大きな意味があります。

では早速始めていきましょう。

トルストイ、未知の世界へ

五月三十日スタログラドコフスカヤに着いて、トルストイが最初にした行為は文章を書くことだった。かれは出発前から書いていた「きのうのこと」という短編小説かエッセーのようなもののつけたりとして、「もう一日」という題でサラトフからアストラハンまでの船旅の様子を書きはじめたのだ。この文章は一ページ足らずの断片で終わってしまったが、その内容を見ても、すでにトルストイのなかに作家の意識と習慣ができあがりかけているのが感じとれる。

次にトルストイがしたのはへたなくせに大好きなギャンブルで、六月十三日には八百五十ルーブルもすってしまった。これは今の日本の一千万円以上にもあたる大金だ。

しかし、その直後トルストイはこれまで一度もしなかったこと、しかもカフカースでなければできないことを体験した。それはカフカースの少数民族チェチェン人との戦争である。

トルストイは軍隊に入るためにカフカースに行ったと書いている伝記も少なくないが、かれが軍隊に入ったのは五一年末のことで、六月の時点ではまだ軍人ではなく、軍隊に入ることを決めてもいなかった。

最初は正規の軍人ではなく、ボランティアとして戦闘に参加したのである。それから、二年七か月半、別の戦場(ドナウ地方からクリミア半島)に赴くためにカフカースを去るまで、トルストイは数度戦闘に参加し、死の危険までふくめて、さまざまな体験をした。だが、トルストイ個人の体験について語るのをもう一度先送りして、現在(二〇〇八年)までつづいているチェチェン戦争について説明しておかなければなるまい。
※適宜改行しました

第三文明社、藤沼貴著『トルストイ』P144-145

さらっと書かれていますがトルストイがギャンブルで1000万円ほどすってしまっていたというのは驚きですよね。さすがトルストイ。負け方もスケールが違います。(当時のロシア貴族の基準からすればこの額は普通なのかもしれませんが・・・)

では、いよいよロシアとカフカースの戦争について見ていきます。

カフカース問題

チェチェン戦争について説明するためには、カフカース全体の状況について説明しなければならず、そのためにはカフカースの歴史から説き起こさなければならない。それはとても私の手には負えないので、最近出た本『カフカース』(木村崇ほか編、彩流社、ニ〇〇六年)から引用させてもらうことにしよう。

「カフカースのを歴史についての文献をひもとけば、そこにはいつも巨大な国家が顔を覗かせる。古くはアケメネス朝、ローマ帝国、さらにセルジューク朝、モンゴル帝国、ティムール朝、サファヴィー朝、ロシア帝国、そして二〇世紀にはソヴィエト連邦。

地理的に東のカスピ海、西の黒海にはさまれたこの地域は、南北をみれば北ユーラシアと中東を結ぶ通路であり、また東西を見れば、二つの海を船で運ばれる物資の通り道であった。

さらに、山がちな地形と複雑な住民構成は、この地にまとまった強い権力を生み出すことを妨げ、常に小国分立状態をもたらしてきた。地政学的にも通商上も重要であり、天然資源や人的資源も豊富で、しかも地元の強力な国家の存在しないこの地域に、先に挙げたような巨大な国々が支配を及ぼそうとしたのも当然の成り行きだった。そのためカフカースは絶えず周辺の大国の進出を受け、しばしば複数の大国の勢力争いの場となった」(この本は数人の共著。引用部分は〔一ハぺージ〕の筆者は黛秋津)。
※適宜改行しました

第三文明社、藤沼貴著『トルストイ』P145

カフカースが歴史的に大国に狙われる理由はこういうところにあったのですね。

そして次の箇所ではそんなカフカースを狙うロシアの動きが語られます。

ロシアのカフカース進出

Wikipediaより

ロシアのカフカース進出は十六世紀にさかのぼる。十六世紀にモスクワを盟主として中央集権を成立させたロシアはまもなく、かつてのモンゴル帝国に勝るとも劣らないユーラシア大帝国に発展し、海への出口として、黒海とカスピ海の間にある絶好の地、カフカースの制圧に乗り出した。

最初はドン川、ヴォルガ川下流にすでに住みついていて、元来は反政府的だったコサック(カザキ)の力を利用した。十七世紀初頭の一六〇四年に、帝国の正規軍も最初のカフカース遠征を行ったが失敗に終わった。カフカースの住民の抵抗ばかりでなく、トルコ、ぺルシャなどの大国の勢力も排除しなければならず、容易なことではなかったのだ。

その困難さを覚悟の上で、本格的にカフカース攻略をはじめたのはピョートル大帝だった。一七二〇年、かれもやはりこの地域のコサックを組織化して、ロシア帝国のカフカース進出のために利用することにし、その拠点として五つのスタニーツァを構成した。

スタニーツァは露和辞典などでは「コサック村」と訳されているが、分散していたいくつものコサック居住地をまとめた総合組織で、大きなものは人口数万にもおよんでいた。この結果、一七二二年には、チェチェンの東に隣接するダゲスタン沿岸全体を占領するのに成功した。

だが、ピョートル大帝死後ロシアの攻勢は弱まり、ダゲスタンはふたたびぺルシャに奪還された。こうして、カフカースを舞台に、ロシア帝国と少数民族、そしてその背後の大国との果てしない戦争がつづくことになる。

ロシアはその後ふたたび攻撃を強化し、一八〇一~一〇年にグルジア、〇三~一三年にアゼルバイジャンを併合することに成功した。カフカースの多くの少数民族もロシアに帰順したり、生き残りのために妥協したりした。
※適宜改行しました

第三文明社、藤沼貴著『トルストイ』P146

カフカースとロシア帝国の戦争の始まりは1720年のピョートル大帝にありました。

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ロシア帝国の西欧化を推進し、サンクトペテルブルクをゼロから作り上げたピョートル大帝。

彼の視線は西側諸国だけを向いているかと思いきや、東方の領土拡大も抜け目なく狙っていたのでした。

チェチェン問題

このような状況のなかにあって、ダゲスタン族、チェチェン族は頑強に抵抗し、チェチェンでは一七八五~八七年にシェイフ・マンスール(本名ウシュルマ)に率いられる組織的抵抗が起こった。これが十九世紀の抵抗のバックボーンになったミュリディズムの先駆である。

ミュリディズムというのはチェチェン人、ダゲスタン人など、カフカース山岳諸民族中に広まったイスラム神秘主義の一派である。古典的なスーフィズムとむすびついているが、スーフィズムが人間の内面に訴えるのに対して、ミュリデイズムは外向的、政治的であり、キリスト教徒への服従を忌みきらい、キリスト教徒との戦いを「聖戦ジハード」とみなす頑強な思想である。

一九世紀初頭、ナポレオン戦争終了後、ロシアはチェチェン、ダゲスタンに対する本格的攻撃を決意し、一八一六年アレクセイ・エルモーロフをカフカース独立兵団司令官に任命した。

カフカースの戦争は数世紀にわたってつづいているが、とくにこの一八一七~六四年の時期が数世紀にわたる抗争の山場の一つで、狭義の「カフカース戦争」はこの時期を指す。

グローズナヤ(脅威の)、ヴネザープナヤ(急襲の)、ブールナヤ(嵐の)など、穏やかでない名前の拠点要塞が構築されたのもこの時期で、現在のチェチェンの首都グローズヌイはグローズナヤ要塞の名残である。「脅威市」という露骨な名前の都市は世界でもめずらしいだろう。

また、トルストイの作品『森林伐採』の題名にもなった森林伐採作戦もこの時期にはじまった。森の木を切りはらって見通しをよくし、敵の奇襲を防ぐこと、軍隊の通過を容易にすることなどがその目的だったが、これが生活環境を破壊し、住民を山中に追いやった。べトナム戦争の枯葉作戦を思い起こさせる。

このカフカース戦争のチェチェン側の指導者(イマム)はカジ・ムラ(ハジ・マホメド)からガムザト・べクへ代わったが、その後を継いだシャミールの時代(三四~五九)に抵抗は最高潮に達した。

一方、ロシアも攻勢を強め、ヴォロンツォフ将軍を司令官に任命して、ついに五九年シャミールを降伏させ、チェチェンをロシアの領土にした。

しかし、これでチェチェン族の抵抗が終わったわけではない。帝政ロシアからソ連邦へ、ソ連邦から資本主義国家へとロシアの政体は大きく変わっても、ロシアに対するチェチェンの抵抗はおさまらず、当然チェチェンに対するロシアの圧力政策も延々とつづき、十九世紀末にチェチェンに油田が発見され、一八九三年に採油作業が開始されて、その利権をめぐる争いが民族闘争をますます激しく複雑なものにした。
※適宜改行しました

第三文明社、藤沼貴著『トルストイ』P147-148

「カフカースの戦争は数世紀にわたってつづいているが、とくにこの一八一七~六四年の時期が数世紀にわたる抗争の山場の一つで、狭義の「カフカース戦争」はこの時期を指す。」

トルストイがカフカースを訪れたのはまさにこの時期でした。

ソ連・現代ロシアとチェチェン

第二次世界大戦たけなわの一九四二年には、スターリンがチェチェン族、ダゲスタン族の反政府活動を封じるため、約五十万人をシベリアへ強制移住させ、そのうちの多数を死なせるという悲劇が起こった。

ぺレストロイカ後、全チェチェン協議会はソ連邦からの離脱独立を満場一致で採択。ゴルバチョフ失脚後も、チェチェンはその方向を推し進め、ソ連邦離脱を国民投票によって採択し、独立チェチェン国初代大統領にドゥダエフ将軍を選出した。

しかし、エリツィン大統領はこれを認めず、九四年にはチェチェンに軍隊を送り、独立運動を弾圧した。これが第一次チェチェン紛争である。

翌年にはロシア軍がチェチェンの首都グローズヌイを制圧。エリツィンは勝利による休戦を宣言し、軍の撤退をはじめた。

その後、チェチェン側の攻撃はテロ化し、住宅、商店の爆破、特定人物の狙撃、一般市民、子供の誘拐などが頻発した。

九九年十月エリツィンは「テロリズム撲滅のため」にふたたび軍をチェチェンに派遣し、第二次チェチェン紛争がはじまった。その直後大統領に就任したプーチンも前任者エリツィンの政策を継承し、国民の大半もこれを支持していた。

プーチンの支持率が高かった理由の一つは、チェチェンに対するかれの強硬姿勢にあった。今後もロシアの対チェチェン政策が容易に変わるとは考えられない。この長期、複雑、悲惨な抗争について多少とも具体的に述べれば、数冊の本になる。

トルストイ以外にも、グリボエードフ、プーシキン、レールモントフ、マルリンスキー(べストゥージェフ)、チェルヌイシェフスキーなど、チェチェンにかかわったロシア作家は多く、「ロシア文学とチェチェン」というテーマでも優に一冊の本になってしまう。
※適宜改行しました

第三文明社、藤沼貴著『トルストイ』P148-149

ロシア帝国とチェチェンの戦争は現代にもつながっています。

特にプーチン政権によるチェチェン政策はウクライナ侵攻を考える上でも非常に重要なものとなっています。

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プーチン大統領の外交戦略についてはこの本でかなり詳しく語られていましたが、今回、トルストイというロシア文学の観点から見るカフカース、チェチェンというのはまた興味深かったです。

次の記事から実際にトルストイのカフカース体験が反映された作品を見ていきます。

ぜひ引き続きお付き合い頂けましたら幸いです。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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