(13)カール・マルクスの出生とドイツ・トリーアのマルクス家~マルクスの意外な出自とは
カール・マルクスの出生とドイツ・トリーアのマルクス家「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ』(13)
上の記事ではマルクスとエンゲルスの生涯を年表でざっくりとご紹介しましたが、このシリーズでは「マルクス・エンゲルスに学ぶ」というテーマでより詳しくマルクスとエンゲルスの生涯と思想を見ていきます。
これから参考にしていくのはトリストラム・ハント著『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』というエンゲルスの伝記です。
この本が優れているのは、エンゲルスがどのような思想に影響を受け、そこからどのように彼の著作が生み出されていったかがわかりやすく解説されている点です。
当時の時代背景や流行していた思想などと一緒に学ぶことができるので、歴史の流れが非常にわかりやすいです。エンゲルスとマルクスの思想がいかにして出来上がっていったのかがよくわかります。この本のおかげで次に何を読めばもっとマルクスとエンゲルスのことを知れるかという道筋もつけてもらえます。これはありがたかったです。
そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。かなり驚きの内容です。
この本はエンゲルスの伝記ではありますが、マルクスのことも詳しく書かれています。マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。
一部マルクスの生涯や興味深いエピソードなどを補うために他のマルクス伝記も用いることもありますが、基本的にはこの本を中心にマルクスとエンゲルスの生涯についてじっくりと見ていきたいと思います。
その他参考書については以下の記事「マルクス伝記おすすめ12作品一覧~マルクス・エンゲルスの生涯・思想をより知るために」でまとめていますのでこちらもぜひご参照ください。
では、早速始めていきましょう。
1818年、マルクスの誕生
マルクスはエンゲルスよりニ年前に、ライン川の別の支流(ヴッパー川ではなく、モーゼル川)の土手沿いにある、同じようなブルジョワ家庭に生まれたが、彼が受けた家庭教育は、エンゲルス家の厳格な敬虔主義とはいちじるしく異なっていた。
ラインラント南西のこの地域では、一八〇六年のナポレオンによる占領以後、中間クラスの人びとのあいだで、明らかにリベラルな考え方が醸成されていた。
弁護士で小規模なぶどう園も所有していたマルクスの父親ハインリヒは、フランス啓蒙主義の理念と、ルートヴィヒ・べルネなどの青年ドイツ派の人びとが広めようとした、ラインラントのリべラリズムに染まっていた。
ヴォルテールやルソーの言葉は暗記しており、ニュートンとライプニッツ〔ドイツの哲学者・数学者〕の進歩派たちが、当時の政治面および文化面の論争についてあれこれ論じて夕べを過ごしていた。
筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P84
※一部改行しました
マルクスが生まれたトリーアという町は、古代ローマの遺跡が残る古都です。
エンゲルスと同じく、マルクスも裕福な家に生まれています。
ただ、違うのはマルクスの父ハインリヒが当時としてはかなりリベラルな考え方を持っていたということでした。
ユダヤ教から改宗したプロテスタントの弁護士だったマルクスの父ハインリヒ
しかし、ハインリヒは実際にはヒアシェル(またはへイシェル)で、名前を変えてユダヤ教の信仰を捨て、一八一七年にルター派教会で洗礼を受けた人だった。
プロイセンが一八一五年にフランス領だったラインラントを併合すると、トリーアのユダヤ人はナポレオン占領時代の自由を奪われ、公職に就くことや法律家となることを禁じられるなど、一連の制裁が加えられた。「パンなし」になるくらいならと、ハインリヒは改宗したのである。そうすることで彼は、一七〇〇年代初期までさかのぼる、トリーアの数名のラビを含む代々のラビの系譜も断念した。それでも、ハインリヒ―ニュートンの啓蒙思想の信奉者で、腹をすかせた九人の子供の父―は自分のユダヤの系統が絶えることについて、ひどく動揺はしなかったようだ。彼の妻のへンリエッテのほうが、改宗に苦しんだ。彼女はイディッシュ語をしゃべり、自分や子供たちが洗礼を受けてからのちも長く、家庭内でいくつかのユダヤの慣習を守り続けた。
ハインリヒは巧妙に改宗したとはいえ、彼の視野の広い展望は、フリードリヒ・エンゲルス父の福音派の保守主義とはこれ以上にないほど異なるものだった。彼は明らかにもっと愛情豊かな父親でもあった。思春期のカールに宛てて父が書いた長い手紙は、甘やかすような、心からのもので、父親らしい正直な不安に満ちた内容だった。
父親のしばしば熱のこもった心配そうな口調は、母親のへンリエッテによって一層輪をかけたものとなった。家族にたいする彼女の近視眼的な愛情は、救い難い心配性へと発展した。それでも、マルクスの子供時代は、エンゲルスの幼少期と同様、総じて幸せなもので、姉妹たちと泥のパイをつくったり、学校で問題を起こしたりして過ごす日々だった。
だが、十七歳でボン大学に入学するころには、カールは家族から距離を置き始めていた。むしろ、後年、親きょうだいから決然と離別したマルクスのやり方は、家族から離れるために苦しんだエンゲルスとくらべて、はるかに計画的なものだった。
筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P84-85
※一部改行しました
ハインリヒはマルクスのことをかなり大切に育てていたことがわかります。
そしてマルクス家がユダヤ教のラビ(指導者)の家系だったというのは驚きですよね。
マルクス思想には旧約聖書的な影響、つまり宗教的なエッセンスが含まれているというのも、もしかするとこうした背景があるからかもしれません。
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