ショーペンハウアー『自殺について』あらすじと感想~なぜ自殺はいけないのか―キリスト教の死生観への反論
ショーペンハウアー『自殺について』あらすじと感想~なぜ自殺はいけないのかーキリスト教の死生観への反論
『自殺について』は1851年にショーペンハウアーによって書かれた『余録と補遺』の中の自殺に関する論考を訳出して出版された本です。
私が読んだのは岩波書店、斎藤信治訳の『自殺について』です。
さっそくこの本について見ていきましょう。
ショウペンハウエル(1788‐1860)の主著『意志と表象としての世界』以上に愛読された『付録と補遺』の中から、自殺に関する論稿5篇を収める。人生とは「裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいたときにはもう遅すぎる過ちの連続にほかならない」など、透徹した洞察が、易しく味わい深く書かれている。
Amazon商品紹介ページより
この本では自殺について書かれた論稿が5つ収められていて、その中にこの本のタイトルになっている「自殺について」という10ページほどの論稿があります。
「自殺について」という論稿は次のように始まります。
私の知っている限り、自殺を犯罪と考えているのは、一神教の即ちユダヤ系の宗教の信者達だけである。ところが旧約聖書にも新約聖書にも、自殺に関する何らの禁令も、否それを決定的に非認するような何らの言葉さえも見出されえないのであるから、いよいよもってこれは奇怪である。
そこで神学者達は自殺の非認せらるべきゆえんを彼ら自身の哲学的論議の上に基礎づけねばならぬことになるわけであるが、その論議たるや甚だもって怪しげなものなのであるから、彼らは議論に迫力の欠けているところは自殺に対する憎悪の表現を強めることによって、即ち自殺を罵倒することによって補おうと努力しているのである。
だからして我々は、自殺にまさる卑怯な行為はないとか、自殺は精神錯乱の状態においてのみ可能であるとか、いうような愚にもつかないことをきかされることになる。
岩波書店、斎藤信治訳『自殺について』P73
※一部改行しました
この論稿は自殺はキリスト教の説くようにはたして本当に罪なのかという問題提起から始まります。
当時のキリスト教の教義では自殺が禁じられていて、自殺したものは正規の葬儀も行ってもらえず罪人として扱われてしまっていたのでした。その描写として有名なのが『ハムレット』に出てくるオフィーリアの死です。
オフィーリアは父の死や恋人ハムレットの振る舞いに精神を病み、その結果川で溺死してしまいます。これが事故だったのか自殺だったのかはっきりしなかったため、正規の葬送がなされませんでした。
このようにキリスト教世界では「自殺」は罪であり、神の下では到底許されるものではないというのが社会の掟のようになっていたのでした。
しかしショーペンハウアーはこれに疑問を投げかけます。
キリスト教の聖典には自殺を禁じる明確な根拠がないのだから自殺者を罪人扱いするのは不当ではないかと彼は言うのです。
自殺が果して犯罪であるかどうか、この点に関しては何よりもまず倫理的感情に訴えて判定をくだされたらいいと私は思う。(中略)
自発的にこの世から去っていったような知人や友人や親戚をもっていない人がいるだろうか、―そしてこれらの人達を一体誰もが犯罪者に対するような憎悪の念をもって回想しているとでもいうのであろうか。
否、断じて否!むしろ私は、僧侶どもが一体如何なる権能によって、―何らの聖書の典拠も提示しうることなく、否、何らか確かな哲学的論拠すらもちあわしていることなしに―教壇や著作を通じて、我々の敬愛する多くの人達がなした行為に対して犯罪の刻印をおしたり、また自発的にこの世を去っていく人達に対して名誉ある埋葬を拒んだりするのであるか、この点に関して何としても僧侶どもに弁明を要求すべきである、という意見を有している。
但しこの場合はっきり断っておきたいことは、我々の要求しているのは論拠なのであって、その代りに空虚なたわごとや罵倒の言葉は頂戴することは御免蒙りたいということだ。
岩波書店、斎藤信治訳『自殺について』P74
自殺が罪である論拠は教会にはないと彼は強い口調で述べます。
そして古代においては自殺は認められており、むしろ英雄的なものですらあったことを古代ローマやインドなどいくつか例を挙げて述べていきます。
その一部を引用します。
インド人のもとでは周知のように自殺は宗教的行為として出現してくる、―たとえば、寡婦焚死とか、ジャガノートの神車の轍の下に身を投ずるとか、ガンジス河や寺院の聖池などの鰐に身を捧げるとかいった風のことである。人生の鏡ともいうべき演劇においても、また同じようなことが見られる。
岩波書店、斎藤信治訳『自殺について』P77
たしかに仏教でも飢えた虎に身を捧げる物語や、即身仏のように断食による死があります。
さらにショーペンハウアーも述べるように演劇の世界では自殺はたくさん出てきます。特にシェイクスピアにそれは顕著です。しかしシェイクスピアはまったく断罪されず、むしろ世界中から尊敬されているではないかとちくりと述べるのです。
そして彼は自殺についてこう持論を述べます。
自殺に反対せらるべき唯一の適切な倫理的根拠を、私は私の主著の第一巻、第六九節のなかに述べておいた。その根拠はこうである、―自殺はこの悲哀の世界からの真実の救済の代りに、単なる仮象的な救済を差出すことによって、最高の倫理的目標への到達に反抗することになるものであるということ。
岩波書店、斎藤信治訳『自殺について』P78
彼の言う主著とは『意志と表象としての世界』に他なりません。実際にその本の第六九節を見てみるとたしかに自殺について書かれています。
ただ、基本的にこの本は『意志と表象としての世界』というタイトルにもありますようにショーペンハウアーの言う「意志」と「表象」というものが何かわかっていないとなかなか理解することが難しいです。
ここでそれらをざっくりと解説することは専門家ではない私には荷が重いです。ですので興味のある方はぜひ本を読んで頂ければと思います。
さて、ショーペンハウアーは自殺に反対する根拠として「自殺はこの悲哀の世界からの真実の救済の代りに、単なる仮象的な救済を差出すことによって、最高の倫理的目標への到達に反抗することになるものである」とここで述べます。
ショーペンハウアーはインド思想や仏教に影響を受けた哲学者です。世界がそもそも苦しみに満ちた世界であるという考え方はそこに負うものが大きいです。そしてそんな苦悩の世界においてその苦しみから解脱できるように身を修めていくこと、それが救済の道であると考えます。自殺はその道を自ら閉ざしてしまうという点でショーペンハウアーはそれに反対するのです。
そして彼はこうも述べます。
一神教の宗教の僧侶どもが、聖書によってもまた適切な論拠によっても支持されていないにも拘らず、あんなにも並はずれて活溌な熱心さをもって自殺を排撃しているのには、何かしらその底に隠された理由がひそんでいるに違いないように思われる。
その理由というのは、自発的に生命を放棄するなどとは、「すべて甚だ善し」と宣うたあの方に対して余りに失礼な、と、いうようなことではあるまいか。―もしそうとすれば、ここにもまたこれらの宗教の義務づけられた楽天主義が見出されるというわけで、この楽天主義は自殺から告発せられないように先手を打って自殺を告発しているのである。
岩波書店、斎藤信治訳『自殺について』P79
やはり彼はキリスト教に対して批判的な姿勢を崩しません。
彼が述べたキリスト教における楽天主義というのはフランスの啓蒙思想家ヴォルテール(1694-1778)も主著『カンディード』において指摘しています。
キリスト教において神は全知全能の神です。そしてその神が世界を創造したとされます。全知全能の神が世界を創ったのだからこの世界には悪が存在するはずがない。たとえ悪があるように見えてもそれは結果的に善なるもののためにあるのだとキリスト教における楽天主義者は言うのです。
それに対しショーペンハウアーは「キリスト教にとって自殺とは神が創ったこの世界の否定に他ならない。だから先回りして自殺によってキリスト教的世界観が告発される前に自殺を告発しようとしているのだ」と述べるのです。
この本では自殺は決して責められるべき罪ではないが、自殺はされるべきではないとショーペンハウアーは述べます。
自殺とは何なのか。19世紀のキリスト教世界観が根強くあった時代状況の中で哲学者ショーペンハウアーは深く考察していきます。
もちろん、現代ではキリスト教においても自殺に対する考え方も変わっており、ショーペンハウアーの批判しているような状況は変わりました。
ですが現代日本においても自殺は大きな問題です。そしてたとえ自殺にまでいかずとも精神的に苦しむ人は膨大な数に及びます。
150年以上も前に書かれた本ですがこの本に書かれた問題は今もなお重大な意味を持っています。
本の分量としても短く、文体も読みやすいものとなっていますので難しいイメージの強いショーペンハウアーですが比較的手に取りやすい本となっています。ぜひ読んでみてはいかがでしょうか。
自殺について、そして死について改めて考える大きなきっかけとなるのは間違いありません。今現在このような時代においてはその意義がもっと強くなっていくことでしょう。
私自身、自殺について思うこと感じることがたくさんあります。ここではそれについてお話しすることはできませんがいつか機会がありましたらお話しすることもあるかもしれません。
以上、「ショーペンハウアー『自殺について』あらすじと感想~なぜ自殺はいけないのか―ショーペンハウアーの自殺論」でした。
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