屋根を粗雑に葺いてある家に雨が漏れ入るように、情欲は心に侵入する―お釈迦様のことばに聴く
屋根を粗雑に葺いてある家に雨が漏れ入るように、情欲は心に侵入する―お釈迦様のことばに聴く 一三 屋根を粗雑に葺いてある家には雨が洩れ入るように、心を修養してないならば、情欲が心に侵入する。 一四 屋根をよく葺いてある家に…
屋根を粗雑に葺いてある家に雨が漏れ入るように、情欲は心に侵入する―お釈迦様のことばに聴く 一三 屋根を粗雑に葺いてある家には雨が洩れ入るように、心を修養してないならば、情欲が心に侵入する。 一四 屋根をよく葺いてある家に…
ブッダの有名なことば「怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない」 三 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には、怨…
「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。」
『真理のことば』は読みやすく、誰でも簡単に親しめることから世界中で愛読されているお経です。こうした簡潔でわかりやすいことばが最後まで続いていくのがこのお経の特徴です。
さて、今回紹介することばは仏教の基本的なものの見方を表したものになります。
『真理のことば』はひとつひとつの文が簡潔で、非常にわかりやすいです。哲学的なものというより生活実践としての言葉がそのほとんどを占めます。ですのでとてもわかりやすく、すっと心に染み入ってきます。
そうしたわかりやすさ、率直さ、簡潔さがあったからこそこのお経が世界中で親しまれることになったのです。
仏教入門としてこのお経は非常に優れています。お釈迦様が説かれていた教えに触れるにはこのお経が非常におすすめです。
チェーホフは1860年生まれの作家です。つまりこうしたロシア文学の絶頂期の中で若き日を過ごし、成人して作家としてデビューする頃には時代の変化がまざまざと感じられるような中にいたのです。
チェーホフを学ぶことで当時の時代背景や、ドストエフスキーやトルストイがどのようにロシア人に受け止められていたかが見えてくるようになります。これはドストエフスキーを学ぶ上でも大きな意味があります。
そして何より、チェーホフ自身が圧倒的に魅力的な作家であること。これに尽きます。
ショーペンハウアーの本を読み、考え、記事にするのはなかなかに厳しい時間でした。普段の数倍疲労感がたまり、気持ちも落ち込みました。
しかしだからこそショーペンハウアーの悲観主義を乗り超えねばならぬとも感じました。ドストエフスキーやトルストイはその偉大なる先達なのだと改めて感じたのでありました。あの時代の文豪たちがなぜあそこまで本気で「生きること」について思索し続けていたのかが少しわかったような気がしました。
絶望の時代だったからこそ彼らは「生きること」に真剣になっていたのだと。そしてその葛藤を文学にぶつけていたのだと。
読書は質か量か。何を読めばいいのか。そもそも読書に意味はあるのだろうか。なぜ読書をしなければならないのか。
そんな読書についての疑問にショーペンハウアーが鋭い意見を述べていきます。かなり辛口です。ショーペンハウアー節を味わうのに格好の一冊です
「本を読むこと」についてはっとさせられるような言葉と出会うことになるでしょう
当時のキリスト教の教義では自殺が禁じられていて、自殺したものは正規の葬儀も行ってもらえず罪人として扱われてしまっていたのでした。
ですがショーペンハウアーはこれに疑問を投げかけます。この論稿はそうしたショーペンハウアーの自殺についての考察が展開されていきます
150年以上も前に書かれた本ですがこの本に書かれた問題は今もなお重大な意味を持っています。
前回の記事では、ショーペンハウアーの述べる幸福とは何かということをお話ししました。
「ふむふむ、ショーペンハウアーの言いたいことはわかった。でも、具体的に私たちはどうしたらよいのか。私たちは幸せになりたくて悩んでいるのに、『幸せなんて外にない。あなたの人柄が幸せの条件だ』と言われても何の解決にもならないではないか」
そんな疑問が浮かんでくるかもしれません。
ですがご安心ください。ショーペンハウアー先生は私達が何をすべきかをこの本ではしっかり教えてくれます。
「幸福は蜃気楼である。迷妄である」
『幸福について』というタイトルから「人生を幸福なものにするための方法」を教えてもらえるのかと思いきや、いきなり幸福など幻に過ぎぬとばっさり切ってしまうあたりショーペンハウアーらしさ全開です。
この本ではショーペンハウアーが「人々の信じる幸福の幻影」を木っ端みじんにし、どう生きればよいのか、真の幸福とは何かを語っていきます。
彼の主著『意志と表象としての世界』と違って、話も短く具体的でとても読みやすくなっています。ショーペンハウアー入門として最適です。